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パレスチナ問題は「暴力の応酬」なのか

 ガザを実効支配するハマスがイスラエルを奇襲攻撃してから2週間が経とうとしている。日本のメディアでも連日報道されているが、その際に「暴力の応酬」という言葉がよく使われる。しかしながら、イスラエルという民主国家vsハマスという武装テロ組織の戦いであるということを考えると、その言葉に違和感を感じる。

 『ケース・フォー・イスラエル――中東紛争の誤解と真実』(アラン・ダーショウィッツ著、滝川義人訳、2010年、ミルトス)の中から、「テロリズムは暴力の応酬というサイクルの一部にすぎない?」(27章)を転載する。ここで語られていることは、イスラエルがアラブ諸国と国交正常化に向かい始めた現在の状況にも当てはまるだろう。


告 発

 イスラエルのテロ対策は、暗殺、家屋破壊、一般住民を道連れにする爆撃、パレスチナ諸都市と難民キャンプ再占領を含み、その苛烈な暴力的報復策が、暴力のサイクルを生み出す。

告発者

▼イスラエルのしていることは、イスラエル人に対する憎悪をつのらせるだけである。一般住民はいよいよ敵意にかられ、つまりは彼らを戦闘員としてリクルートするのが、ずっと容易になる。報復を誓う彼らは命を投げ打って、イスラエルとそれを代表するユダヤ人に、打撃を与えようとする(アシ・プルシファー、Yellowtimes.org)。

真 実

 理性的な人間であれば、イスラエルの対テロ戦術が効果的かどうかで、意見を異にする人がいるかも知れないが、パレスチナ人が展開してきたテロの歴史を見ると、ひとつはっきりしている点がある。つまり、イスラエルが平和提案をしたとき、ハト派の有力候補がいる選挙の時、テロが頻発するようになる。平和への動きで、2国併存の解決方式が検討課題になると、この動きをぶちこわす意図的戦術として、テロが使われるのである。

 例えば、マフムード・アッバスがパレスチナ自治政府の首相就任式を迎えた日(2003年4月30日)、平和のためのロードマップが提案される数時間前に、パレスチナ人自爆犯が、テルアビブのカフェパブで自爆した。アメリカ大使館のすぐ傍らである。パレスチナ過激諸派(ファタハ、タンジム、ハマス)が犯行声明を出し、和平プラン阻止を目的にテロ攻撃を続けると強調した。この和平プランとは二国併存の解決案である。ニューヨークタイムズは社説で次のように論評している。

新しいパレスチナ自治政府首相が就任演説を行ない、テロリズムを非難した直後に爆発が起きた。偶然が重なった事件とは言い難い。テルアビブ攻撃の背後にいる過激派が、イスラエルのみならず自分達の指導部まで攻撃対象にしているのは、間違いない。彼らを成功させてはならない。イスラエル人、パレスチナ人、アメリカそしてヨーロッパの関係者は全員、決意と勇気を胸にエネルギーを注入する覚悟がなければならない。昨日の恐るべき攻撃は、最初の試練にすぎないのである。

The New York Times

 イスラエルには、テロリズムを止める手だてはない。イスラエルにできるのは、執拗なテロリストの願望を阻止することだけである。テロで目的を果たされてはならないのである。暴力のサイクルという考え方は、一方が相手の暴力に対応しないなら、自発的にサイクルを止めることができる、という前提に立つ。経験が示すようにイスラエルがパレスチナ人のテロリズムに断固として対応しなかった場合、テロが頻発するようになる。逆に状況に応じた軍事的対応をすると、テロ攻撃の発生回数と激しさが低下する。

立 証

 暴力のサイクル論に底流するのは、テロを感情的反応とする考え方である。つまり、テロリズムは、他に手段のない失意の人が起こす、感情的な復讐、というのである。イスラエルに対するテロリズムの歴史は、この考え方を根底からくつがえし、パレスチナ人のテロリズムが、指導者達の選択した計算尽しの戦術であることを示している。テロが有効であることを知ったうえでの選択なのである。

 復讐を求める失意の人々から自爆志願者をリクルートするのは、他の層から募るより容易かもしれない。しかし、自爆などの実行犯が、勝手に行動するわけではない。費用対効果を冷静に計算するエリートの指導者に指示され、送り出されるのである。コストは極めて安い。過激テロ集団は、イスラエル人の死、パレスチナ人の死の双方から利益をあげるからである。パレスチナ人は殉教者として祭られ、遺族は称えられ慰労金をたっぷりもらう。

 テロリストの目的のひとつが挑発で、イスラエルの過剰反応を引き出し、テロリストの大義支持のとりつけを狙う。2000年から翌年にかけて行なわれた一連のキャンプデービッド及びタバ会談で、バラク・クリントン提案をアラファトが拒否し、これに続いてパレスチナ側は計画的に自爆テロをエスカレートした。理にかなった提案を拒否したので、国際社会は当初アラファトを非難したが、凄惨な自爆テロを前にしたイスラエルが対策を講じると、計算どおりその非難はイスラエルへ向かってきた。

 もうひとつの目的は、イスラエルの選挙民を揺さぶろうとする。ハマスのような過激拒否戦線派が特にこれを狙う。イスラエルがユダヤ人国家としての性格を残す2国併存案をベースとし、平和交渉が始まりそうになると、テロの頻発がイスラエルの選挙民を挑発して、右派の登場を促がす。その例が2001年から始まる連続自爆テロで、シャロンが選出され、ハマスをはじめイスラエルの存在拒否派が喜んだ。

 第3の目的が、可能な限り多数のイスラエル人を殺し、イスラエルを懾伏せしめようとする。第4の目的は、市井のアラブ人に対する教育である。学校、モスクそしてメディアで、ユダヤ人に流血を強要するのは義務と教える。

 以上4つのうち第1だけが、より穏健なイスラエル国民の反応で影響をうける可能性がある。しかし高い代償がつく。イスラエルは穏健でなければならないし、テロリズムに対してはテロ加担度に応じた対応をとらなければならない。これが正しい道であるからである。しかし、イスラエルの穏健さがテロリズムを減少せしめると考えるのは間違いである。テロリズムが暴力のサイクルの一部とする話と同じ考え方である。テロリズムは、パレスチナ人が有効として真先に選んだ戦術であることを忘れてはならない。



「The CASE for ISRAEL」イスラエルの主張――民主主義の前哨基地
動画版も合わせてご覧ください。


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