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自分の思考は後からいくらでも変わるから、今生きづらくても大丈夫。


今日は姪の大学の卒業式で、私がお花を送ったので、姪がお花と一瞬に撮った、素敵な袴姿の写真を送ってくれました。


私は本当に姪をスクスク育てたなあ、と兄夫婦を尊敬していますし、スクスク育った姪を眩しくみています。


私自身は思春期から心を拗らせに拗らせて、本当に生きづらい20代だったので、真っ直ぐとひまわりのように育ち、笑顔の眩しい姪をみていると、健全に育つとはこういうことなのだな、と教えてもらうようです。


今思えば、自分が嫌いでコンプレックスの塊だったかつての私は、姪のようなキラキラした人は、無意識に避けていたように感じます。


私と同じように自分を嫌いだったり、何か陰があるというか、何か背負っているかのような人に、どこかホッとするようなところがあったように感じます。


が、自分の内側が混沌としていたからこそ、外側にバレたらいけない、と表面的には結構明るく騒いでいるように見えた(見せていた?)かも知れません。


真っ直ぐに自分を愛せていないとき、真っ直ぐに人も愛せていない。



あらゆることが心の内面通りシンプルに行かず、複雑になって拗らせるわけです。


最近気づいたのが、私が自分を内観し、セラピーを学び受け、変わるに従って喜んでくれる人の方が多いけれど、嫉妬や攻撃の矢も飛んでくる、ということを感じていたけれど、あれはかつての私だ!!ということでした。


かつての私は苦労を知らず、病気を知らず、家族関係に恵まれ、スクスクと育ってきた人に嫉妬していたのです。


最近自分の中にそういう思考がなくなってきていたので、自分は嫉妬なんてしないのに(すっかり都合よく忘れる天才です!)と他人事のように感じていましたが、かつての私は嫉妬をたくさん抱えていた!!ということを思い出しました。


大石洋子さんの以下の本などを読んでいて、やっとそのことを思い出せました。


自分の中にあったものが目の前に現れる。


これはかつて内観研修所で集中内観をしていたときに、何度となく自分自身で気づいたことでした。


✳︎内観療法


母親を攻撃する
→会社で先輩から攻撃される

父親に怒る
→上司から怒られる


自分が人にしたこと、実際にしなくても心の内側で思っていたことが、違う人から同じようなことで自分の身に起こっている。


これは本当に内観中実際何度も私がハッとしたことでした。


にもかかわらず、喉元過ぎれば熱さを忘れる、でその気づきさえ、すっかりと忘れていました。


私が嫉妬されたとしたら、かつての嫉妬心でいっぱいだった私の心が引き起こしたもの。

そう考えていくと被害者にならず、自分主体で考えられ、その思考から自分に寄り添い、自分の中の傷を癒していくほうが成長する、というようなことを著書の大石先生はおっしゃっています。


いろいろな心の学びをしていくと、似たような状況のとき、あそこではちょっと違うニュアンスに言われていたな、とか多少考え方に違いも出てきます。

が、すべては自分次第。

自分が一番しっくりくる、それは自分の体感を伴って納得できるものを採用するのがいいと感じます。

私は内観していたときの気づきが似たものであったので、


すべては自分が創造したもの。

という考えはしっくりきます。

今回は何が言いたいかと言うと、


自分の思考はいくらでもあとから変えられる。


ということです。


あんなに父を恨み、母を恨み、私は誰からも愛されない!!と自分の人生を呪っていた私だけれど、今は、両親からもずっと愛されていて、愛されるに値していた、と感じています。


そして、自分の人生で起きたことに絶望し、消してしまいたいと思っていた過去に対して、あれがあったから今の私があると思え、人に言えない!隠したい!という思いは1ミリもなくなりました。

人は変わるし、思考は変えられる。

そのことをお伝えしたく書きました。 

今生きづらくても、大丈夫。

変えよう!という意志が、あなたを引っ張っていってくれます。
安心して未来の自分に導いてもらいましょう。
必ず未来の自分が手を差し伸べてくれています。


お読みいただきありがとうございます。


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