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正義という凶器

3.11そう名付けられた出来事から早13年。
当時は幼かった私も、この13年の間に成人している。

私は直接的に何一つ被災はしてない。

だから、当時、あの日を境に身の回りの生活が大きく変わったかというと、そうでもない。

暫く余震が続いた影響で緊急地震速報が鳴りまくったり、計画停電があったり、学校の避難訓練が増えたとか、思い出せる日々の変化はそれくらい。

笑顔で、みんな一つに、みんな頑張ってるから。そんな言葉が、当時の私の周りにはより一層強調されて響き渡っていた。

当時、自分と同世代の子たちが大切な人やもの、家を失ったり、あの日を境に日常が一変している、ということをニュースや学校の先生を通じて見聞きして、苦しくなった。
自分がその立場だったらどれ程辛いだろう、
そして、私が“どれ程辛いだろう”と思う世界を生きている同世代の子たちが確かにいる。
その現実に打ちのめされた。

自然は人の命や生活をいとも簡単に奪っていく。
自然はなんて怖いんだろう。

そう思った。

雄大な自然やその中にいる動物の写真や絵、景色や姿を見ることが当時はとてつもなく怖かった。

地震による火災の映像を見てから、ガソリンスタンドに行くとそわそわしてしまった。

当時の大人たちは「復興」という言葉をよく使っていた。
東北地方の小学校に手作りのクリスマスカードを書くという授業があった。
今になって、あれを送られても受け取る側の同世代の子たちは辛いだけだったのでは、と思ったりもする、傷つけてしまったのではと苦しくなる。

何が正しいのかなんて、大人になった今もわからない。きっと当時の大人たちもわからなかっただろう。混乱の中を皆訳も分からずそれぞれの正義を抱えて生きていたんだと思う。

そして、今の私は地震の揺れが始まると、緊急地震速報が鳴ると反射的に耳を塞いで蹲ってしまう。その間、動悸は止まらず目眩もする。
仲の良い友人の中にも同じ状況でパニックを起こす子がいる。
被災してないからこそ、パニックを起こす自分にやるせなくなる。申し訳無さでいっぱいになる。

あの日の後に生まれた次の世代に、
小学校低学年であの日を経験しそこから感じたことを伝える機会が以前にあった。
何を伝えるかすごく迷った結果、
私が伝えたのは「自分の身はまず自分で守ろうとすることの大切さとその方法」それだけ。
「生かされるありがたみ」でも、「自然の怖さ」でもない。
いざとなった時、そして日常の小さなトラブルから、”自分の身はまず自分で守ろうとすること”
それがいかに大切かを伝えた。
聞いてくれる子どもたちに「生かされるありがたみ」なんて振りかざしたくない、その一言で深く傷つく子がいるのを私は知っている。そしてそもそも私は「生かされるありがたみ」に関しては伝えることが出来ない。
加えて「自然の怖さ」を話したところで次に進むことに繋がるのだろうか。
そう思って、今、そして未来に向かって出来る事を伝えた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2020年の2月。新型コロナウイルスによる危機が始まった時。
私は絶望の最中にいた。

詳しい内容は割愛するが、当時私は心理的な暴力を受け続けていた。

人との繋がりはどうしても希薄になり、その分暴力による心の傷は深くなった。

必要なことだが感染対策のために日常生活は一変し、それで皆の不安も高まり回り回って抵抗しない者への暴力に繋がったのかもしれない。

大きな災害に、(当時は)未知の感染症。
何が正しいのかなんて本当にわからない。 

それぞれの正義をぶつけ合う。
制限のある日常生活に対するフラストレーションを発散する。

そのために、有形無形問わず暴力という手段が使われる、使われたのかもしれない。

私たちはそれぞれ意志や信念を持って生きている。
そしてそれを正義として人に振りかざしてしまうことがある。きっと多かれ少なかれ皆あるはず。私もあなたも。

正義として振りかざしたその手は相手からすると凶器になり、その相手はその後深い傷に苦しむことになるかもしれない。


だからこそ、
「私は人を傷つけてしまうことがある」

それを忘れずに生きていく。

どんな人でも相手を傷つけてしまうことがある、
それを私は今までを生きる中で身を持って学んできたから。


2011年3月11日の東日本大震災により、
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された全ての方々が安心して過ごせる日々が
1日でも早く来ますことをお祈り申し上げます。



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