独り言だけSNS

また明日から働くという事実を受け入れなれないみゅあです。


こんな今週最後の休日に、Twitterを平日と変わらず監視していました。

でも私が誰かにリプライを行うということはほとんどありません。

何か思っても「いいね!」とファボって終了です。


たまにリツイートした場合に限り、その後のツイートでそれに対するコメントを述べます。別に引用ツイートでもないので、相手に伝える気はさらさらありません。


SNSっていろんなの人と絡むことのできるツールなのに、それを活用することってすごく減ってる。

なぜかと考えると、顔が見えないとしても人と絡むことがめんどくさくなってしまっているのだと思う。

匿名性があると思われていたSNSはもう匿名だけど、完全に匿名ではない。

個人を特定しようと思えばできるし、「無言フォロー失礼します・・・!」みたいな(私としては)無駄なマナーみたいな言葉まで生まれていて、リアルとさして変わらない。


それ以上に文字でのやりとりの上、片手間作業であることが大半だから一言だけが一人歩きして叩かれたりする。

文脈はその人のアカウントに詰まっているかもしれないが、私たちはそれを断片的にしか見る余裕がない。

そしてその言葉が本人の本心なのか、引用なのか、パクリツイートなのか判断がつかない。


実にめんどくさい!


もちろん人を傷つけることを言うべきではないし、なんでもかんでも自由に発言すべきだ!と言っている訳でないことは、常識人ならわかるだろう。

ただ、そのせいで新たに知らない人(アカウント)に絡むことをやめてしまった。

興味があっても、「いいね!」等で済ます。

意見は自分の陣地(つまり鍵アカウント)で書く。

本当に知らない人には干渉されないので、もし自分がそこに書き込んだとしても、リアルで返答が来たりするから話の導入としてはすごく楽だし、その一言の解説もできる。

SNS内では解説できない。

とう言うか誤解を招く可能性もあるからしたくない。


もう人と絡む以前に、意見を発することも減っている。

最近しているのもっぱら監視観察で、インフルエンサーのツイートにふむふむと空っぽの頭で読んでいるくらいである。


でも、もっと発信すべきだと心のそこから思っている。

発信って言っても言いたいこと言って、自分勝手な正義振りかざして、ドロンするってことじゃない。

発信して、受信して、こう考えている人もいるんだなってコミュニケーションをすることだ。発信だけするんじゃない。コミュニケーションのためにまず、「発信」すべきだと思ってる。


リアルであっても、声を出さなければ何も帰ってこない。

周りの話声に聞き耳を立ててることの楽しさも知っているが、それだけではコミュニケーションは行えない。自分自身は広がっていかない。


それはそれで、干渉なしで楽かもしれないが、つまらない。


それなら私は見えない「何か」も一緒に受信してしまうことを恐れず、発信していきたいと思う。


きっとその中に素敵な出会いはあると思うんだ。

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