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廃墟が好きな理由

「人は2度死ぬ」とよく言われる。
1度目は肉体の死、2度目は忘れられるという死。
もしそうならば、廃墟の多くは2度目の死を迎えている最中だ。

「人は2度死ぬ」。この言説は往々にしてポジティブな意味に使われがちである。彼もしくは彼女は肉体の死を迎えたわけだが、私たちが忘れなければ心の中で生き続けられる、といった具合に。
それが本当だとして、人類が誕生してから2度目の死を迎えていない人間は果たしてどのくらい居るのだろう。
人口に膾炙する英雄譚は、もしくは非道な王の物語は、私たち1人1人が迎えるごく平凡な死を想像する際にどれほど参考になるだろうか。

人間の死とはおそらく平凡なものだ。
人はハッピーエンドを好むが、この世にハッピーエンドはそう多くない。
そして私は、ハッピーでもバッドでもなく、極めて因果に忠実に2度目の死を迎える物語が読みたいのだ。

私たちの死体は消滅するのが早い。2度目の死を迎えるより前に、1度目の死は物理的に失われていることが多い。
しかし廃墟は違う。打ち棄てられた構造物は、ともすれば建物としての機能を失う前に忘れ去られる。

そして、そうした廃墟は2度目の死を待つ死体となって私の前に現れる。
これが、この世で最も普遍的でありふれた死なのだと訴えながら。

だから私は廃墟が好きだ。

自然に身を委ねて崩壊を待つばかりの、空虚な無機物が。
かつての人々の想いごと、静かに溶けていくばかりの空間が。


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