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鬼がいなくなったら

またもや雑文です。


引き金

どうでもいいような些細な発言がトリガーとなって、過去のトラウマが自分のなかで再生される。パニックを悟られないように抑え込むので精一杯で、会話からフェードアウトしてしまう。そして茫然として適切な返しができなかったことを後で思い出して、どれだけ時間が経っても、繰り返し自己嫌悪に陥る。

以下は2ヶ月前の投稿である。

メモ兼質問。一般常識範囲内の行為でも自分にとってそれはトラウマなのでやめてね、って周囲にどう伝えてますか? 私は伝えないでやり過ごした結果、今度は「やめてね」と言えなかった場面を反芻するようになってしまいしんどいので、再発防止の方法を探しています。

自分のツイート 12:29 AM · Dec 6, 2023

何も知らない人には「この行為の何が嫌なん?」と意味不明だろうから少しは説明した方がよい気がします。でもその出来事を言語化できないからトラウマであり続けているので、筋道立てた説明が難しいんですよね。かといって詳しく喋るとドン引きさせ過剰に気を遣わせてしまいそうです。

自分のツイート 12:29 AM · Dec 6, 2023

一応可能な範囲で言語化はしてあるのでそれを読み上げることは選択肢の一つかもしれませんが、パートナーでも家族でもない他人にそこまでするのは大袈裟に思えて、現状できていません。 もし似たような経験がある方がいらっしゃればぜひ知見を共有していただけると嬉しいです…!

自分のツイート 12:29 AM · Dec 6, 2023

トリガーがあまりに些細で、もう自分でもくだらなくなって、トリガーになる他人の言葉や行為をリストアップするつもりでブラウザを開いたが、書かないことにした。自ら急所を暴露するバカはいない。悪意のある人間に情報を利用されたら困るから。悪意のある人間に近づかれるような事態は、事前に防がなければならないから。なぜなら…それもまた急所なので書かないでおこう。

もっとも、日常レベルで他人に何かされたところで、私は本当の意味で不幸になったりはしない(空襲とかは別)。「あいつを不快にしてやろう」という悪意をもって考えつくようなことなどは、多少迷惑でも究極的には他人事、"てめーの問題" である。小手先の瞬間的な分かりやすい悪意は、底が見えていて平凡なのだ。アーハイハイあんたも割に俗物なのね、でおわり。失望したと言ってもいい。

むしろ引き金になるのは大抵、ごく普通の出来事である。だがそれについては書かないことにしたので、代わりに悪意の話をしよう。

悪意がわからない

人間は生存の手段以外に、色・金・名誉を求めるものらしい。私に何かしても色も金も得られないので、何かしてくる人は名誉、つまり自他との差異化を目的としていると考えられる。承認欲求ってやつだろう。

おまけに

・信じたいことしか信じない
・好きな人の言葉は聞く
・嫌いな人の言葉は聞かない
・事実はどうでもいい
・都合の悪いこと、気に入らない事実は無視 etc.

が割と普通らしい。

確かに思い返せばそういうことが今までによくあった。

例えば、一人暮らしをしたことがない人と、生計か何かの話になったので、「私の家賃はこれで、家賃の相場は〜なので、位置付けはこう」と説明しようとしているのに「一人暮らししたことないから」「わからないから」と何度か遮られて、この話題に必要な前提情報が伝えられない。という不可解な出来事があった。

結論から言えば、私はその人にあまり好かれていなかったらしい。まあ生存にも色・金・名誉にも関係ない情報だから聞く必要もないと。で、話し手(私)がムカつくやつだから尚更だと。

これってむしろ、何を信じて何を信じないのか、という匙加減をしなければならず、難しそうな生き方だなと思うが、たぶん自覚なくできているから、それほど苦労はしていないのだろう。

そのとき自分はといえば、よく分からないけどたまに嫌われているタイミングがあるな〜と思っていた。私が劣っている(主観・客観)から、この人は私と一緒にいると自分も劣っている気がして嫌なのかな?私と会話するくらいでこの人の実力は下がったりしないのに変だな?自信がないのかな。こんなに地位も実力もあるのに不安で不満なのか。闇深いというか人間らしいというか、意外と大変そうだな、と。

だが、思えば自分は当時、その集団内で最もその人と似た属性を持っていた上に、新入りだったので、その人は唯一無二の地位を突然脅かされたような気分で、日々過ごしていたのだろう。だからその人は私を(知的な面で)貶めたかったのに、私がその人の知らないことを話そうとしたことで、さらに不安感が煽られたのだろう。そんなことしなくてもその人は立派な人間だったはずなのに。

こういうことは18〜25歳頃に複数のコミュニティで何度か体験した。

嫌味がわからない

私みたいなのがそういう "承認欲求についての考えを共有しているつもりの人たち" と絡むと、価値観や常識が違いすぎて、コミュニケーションがうまくいかないことがある気がする。

他にも例えば、昔、課外活動の合宿所でカレーが出たとき、先輩が私の皿を見て

「えー!こんな風にルーかけたりしない。ぐちゃぐちゃにするのないわー。最後までごはんとルー分けて食べるのが好き。」

という趣旨のことを言ってきた。

実は私もご飯とルーは分けて食べる派である。ではなぜご飯の上にルーがそのまま乗っていたかと言うと、私の分は食堂の従業員さんが盛り付けたものだったからだ。先輩は並ぶ列かタイミングが違ったか何かでセルフサービスだったらしい。

先輩に同意したい気持ちは山々だったが、盛り付けに不満があるわけでもなし、従業員さんに聞こえたら悪いと思って、先輩には同意せずに流した。

ところが課外活動をやめて5年後、このやりとりをふと思い出して気づいた。この先輩は私に嫌味を言っていたのだと。なぜならこの合宿中、他にも

先輩「なんでその髪型なの」
自分「〇〇だからですよ(照れ)」
先輩「ふーん」

みたいなやりとりがあったからだ。もう一つ何かあったはずだが今思い出せない。

とにかくこの合宿中、この先輩は私に対してイライラしていたらしい、という新事実が判明した。いや、普段からずっとそうだったのかもしれない。

その原因は、先輩の承認欲求が刺激されたことではないかと予想している。この先輩を唯一無二の存在として特徴づける何かが、おそらく私にも共通していて(例えば器用さ?だとか性別とか)、自他の差異化が足りないという危機感を感じてしまったのではないだろうか。

しかし私は当時の先輩のことを素敵だと思っていたし、先輩の嫌味も婉曲的すぎたので、分からなかった。私に知識や経験が足りず、コミュニケーションが上手くいかなかったのだ。強いて言うなら、先輩には、集団内で受ける目線(それもイマジナリーだが)だけでなく、私からの眼差しにも気づいてほしかったナ!とかだろうか。ただ、当時の私は今よりもっと感じの悪い人間だったと思うので、先輩の反応も無理はないのだ。

悪意に勝るラスボス

だがこれを書いていて気づくことがある。だから私は、私を大切にしない他人を信奉してしまうのではないかということだ。

私の自己認識を仮に「陰キャの悪者」だとしよう(仮ですよ!)。しかし私の周りには、私を①素敵だとか面白いとか思って普通に接してくる人もいれば、②スルーする人、③嫌ったり攻撃してくる人もいる。

①の人とは、「私」についての認識が一致しない。私は悪いものと思っているものを、相手は良いものだとしてくるから。でも相手の認識を否定したところで無駄なので、こちらは自己認識を押し殺さないといけない。だから接するのに疲れて離れてしまうこともある。

②の人は、お互いに突っかかる要素がなければ、問題は発生しない。適度な距離感だ。

③の人は、関わらなければ問題ない。しかし「お前嫌い」という感じを前面に出さずに隠しながら絡まれると厄介である。なぜなら私も相手も「私」を攻撃対象と認識しているからだ。私は、私を攻撃してくる人と、馬が合いやすいのだ。

先輩の件もこれだったら嫌だなぁと思う。つまり、私を雑に扱う先輩だからこそ憧れたのかもしれないのだ(まあ馬は合ってなかったけど)。思い出に泥が塗られてしまったと残念がるべきか?それとも本当の関係性が明らかになったと喜ぶべきか?(こういう共依存の百合ってあるよね)

だたし、前述の例で悪意をもって接してくる人たちは、①の人たち同様、私に何か長所などを認めるからこそ、そういう振る舞いをしているのである。私を攻撃するという結果は一致しているが、攻撃の理由は私と彼らではズレていると言わざるを得ない。

つまり、ドンピシャで私のだめなところ(主観)を攻撃してくる人はほとんどいない。歳を重ねるごとにますますそうなっている気がする。「私のだめなところはそこじゃないけどね」「やっぱわかってねーな」とすら思う。

なぜそうなるのか。私のラスボス、イマジナリー養育者による私の存在否定には、現実世界のどんな悪意も叶わないからだ。これほど私に本気で向き合って否定してきたりする存在には出会ったことがない。

鬼がいなくなったら

自分の中の、認識できないほど深いところに、イマジナリー養育者がいる。警察組織よりも国家元首よりも絶大な権力を持っている。私に暴力を振るう権利を、無条件に認められているのだ。

私は誰に理不尽なことをされても「お前が私にそれをする正当性はない」と考えることができる。苦しみの直接的な原因をもたらした元養育者や生物学上の先祖の所業も、間接的にそれに影響した通俗道徳、資本主義、新自由主義、優生思想、ナショナリズム、家父長制、教育システムなども、否定的に捉えている。

しかし、自分の中のイマジナリー養育者にだけは「理不尽で不当だ。やめなさい。」と思うことが難しい。

イマジナリー養育者はこの世のものではない。人間ではないので、仮に「鬼」といってもいい。鬼が私に、常に暴言を吐いて急かしてくる。

その苦しみが最近累積しているし、それが原因で周囲に迷惑をかけがちなんじゃないかと思うとしんどくなる。だから、そんな鬼への対処法を身につけられたらいいなと思う。トラウマ治療は、最近では頭だけでなく身体からアプローチする方法もあると聞くし、金と時間をかけて取り組む価値は大いにあるだろう。普通になりたいというのは子供の頃からの願いだし、夢叶できるならしたい。

しかし、もし対処法を身につけて「普通」になったら、上述の、リアルの世で向けられる悪意に、容易に傷つくようになってしまうのではないだろうか。色・金・名誉を求める感情が新たに生まれ、それに振り回され、その度に対処しないといけないのではないか。注意力や記憶力が落ちて、ますます頭が悪くなり、労働や収入に影響するんじゃないか。楽器を弾くときの集中力が下がるんじゃないか。ますます鈍感で気が利かない人間になるんじゃないか。防犯意識が下がるんじゃないか。イデオロギーに迎合するようになって、反骨精神(笑)を失ってしまうんじゃないか。友達の話を傾聴できる、という自分の数少ない長所が無くなり、無価値になってしまうんじゃないか(「いつも話を聞いてくれてありがとう」と複数の友人によく言われるので)。

私は「普通」になりたいけど、具体的な「なりたい自分」像はまだ知らない。だが少なくとも、上記は明らかに「なりたくない自分」である。「普通」になるには、これらの煩悩や問題を自分ごととして引き受ける覚悟が必要なのだろうか。

これらの懸念が根本的にいろいろ間違っているというのは頭では分かる。自分を責める習慣がなくなれば、そもそも、できないことがあっても気にならないからだ。だがそのような変化をまだ恐ろしいと思ってしまうのが現状である。単に鬼に脅迫されているだけかもしれないが。

当面の間、私は注意深く過ごすしかない。まずは①〜②の人たちを混乱に巻き込まないためにも、③を遠ざけることである。その注意深さも、鬼にせっつかれているおかげで維持できているだけなのかもしれないが。


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