読後感 伊坂幸太郎『グラスホッパー』
さて、前回とても不純な動機で始めました『伊坂幸太郎さんを全部読む』、二作目は「殺し屋」シリーズ三部作(2023/9/21に四作目の「777」が上梓されるので今後は四部作か)の一番目にあたる「グラスホッパー」です。
伊坂さんの小説を読むのはまだ二作目なので、作者の作風、世界観、作品テーマの置き場所などはあまり掴めていませんが、文体は堅すぎず、柔らかすぎず、平易で目に入りやすい言葉を使っているので物語に簡単に入り込めるのが嬉しいです。
そして、今回の読後感はこの作品で心に残ったフレーズや登場人物について少し書こうと思います。
「ブライアン・ジョーンズ」
”ブライアン・ジョーンズ”は鈴木の妻のセリフに登場します。
実際に僕もこの作品を読むまで、亡きブライアン・ジョーンズを思い出すような場面はありませんでした。ストーンズの旧いアルバムを聴いているときも、一昨年(2021年)にチャーリー・ワッツ(ストーンズのドラマー)が亡くなったときも、ブライアン・ジョーンズの名前が心の片隅にでも浮かんだか?と問われれば、せいぜいが旧いレコードジャケットの中の彼を見て、ああこんな人もいたな、程度なので、ノーと答えるしかありません。
昔から随分と言い古された内容で、福永武彦の「草の花」という小説の一節にも登場しますし、コミックのONE PEACEにも同じような意味合いのセリフがあるようです。
それでも、人が生物学的に亡くなり、やがて周囲の人々の記憶から薄れていくことで第二の死、あるいは完全なる死を迎えることへの哀しみや恐怖を描くのに”ブライアン・ジョーンズ”という固有の事例を使うことで、鈴木と妻の会話がよりリアルな活きた会話として浮かび上がってくる、伊坂さんのセンスに少なからぬ共感を覚えた次第です。
「鯨」
鯨は作中に登場する殺し屋の一人ですが、その手口が対象者を自死に追い込むように説得あるいは洗脳、マインドコントロールをする才能に長けた人物として描かれています。
僕は世に誇れるほど沢山の小説を読んだわけではないので、同じような手法を短時間の接触で完成させる殺し屋が今まで描かれたことがあるのかまでは言及できませんが、少なくとも僕の記憶の中では初出だと思います。
作中に登場する他の二人の殺し屋「蝉」と「蕣」については極めて常識的な手法(考え付くという意味で殺人を肯定しているわけではありません。念の為)なので、それだけ「鯨」の異色さが興味を引きます。
そんな鯨が抱える心の闇の部分も鯨の葛藤として作中で克明に描かれていますが、先に触れた”ブライアン・ジョーンズ”がここで効いてくる構成になっているところが作品の面白さ、奥深さにつながっているのだろうと思っています。
鯨によって命を絶たれた人々が鯨の中で今も生き続け、やがて鯨の心の中に澱のように溜まった人々の存在が鯨を追い詰めていく過程がこの小説のひとつの肝なのか、あるいはそこまでの意図はないのか、もう少しの間考えてみたいところです。
なんだか表題の「グラスホッパー」に係わる部分など全く触れていない読後感となりましたが、続編となる「マリアビートル」では今作の登場人物をどのように散りばめてくるのか、あるいは切り捨てるのか、新たな主人公となる人物の人物像は?などいろいろと楽しみに、次に進みたいと思います。
2023.8.30読了
読後感ここまで
「蛇足」
つい最近ですが、映画化された「グラスホッパー」を視聴する機会がありました。120分という上映時間で小説の全てを映像化することはやはり難しいのでしょうが、連続ドラマにして小さなエピソードを無理やり加えるのも作品のスピード感を阻害して冗長な作品になってしまうだろうから、小説と映像は別なものと考えるのが当たり前の結論ですが適当なところでしょうか。
それを踏まえてもダイジェスト版になってしまうことはこの小説が面白かっただけに少々残念な部分ですが「蝉」の狂気と哀しみを演じた山田涼介さんの演技はとても良かったと思います。
了
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