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VS 藤の湯(あつ湯五番勝負第4戦)

藤の湯。JR手稲駅のそばにあるらしい。
札幌市内に限定すれば我が家から最も遠い銭湯である(多分)。

これはもう、ちょっとした旅行である。
「遠いなぁ…ダリぃなぁ…」と少しだけ思ってしまったが、ここ2年ほど厄介なウイルスのおかげでまともな旅行なんてできていないので、むしろ楽しんでやろうと腹を決めた。

まずは地下鉄東西線の西の果て、宮の沢駅へ。さらに花畔行きのバスへ乗車し、彼の湯を目指す。
ちなみに「花畔」は「バンナグロ」と読む。字面だとコートジボワール代表のゴールキーパーみたいだが、立派な北海道の地名である。

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見慣れぬ街並みを眺めること十数分、「手稲本町1条1丁目」で下車。
正直、本町だかなんだか知らないがこちらにしてみれば地の果、ユンザビット高地である。

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はるばるやってきた私を、手稲区の公式キャラクターである「ていぬ」が出迎えてくれた。「ていね」のダジャレで「ていぬ」だ。「手の形をした犬」である。

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「手の形をした犬」という文章には我ながら違和感しかないが、事実なのだからしょうがない。
そもそも地域のキャラクターというのは名産品とか名所とか所縁の人物をモチーフにしていることが多いと思うのだが、ダジャレ一点突破というのは清々しい。
私の知る限り、手がモチーフのキャラクターは「ていぬ」と「ミギー」だけだ。

藤の湯はバス停のほぼ目の前。
長い歴史を感じさせるその佇まいは重厚なオーラを放っていた。

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北海道公衆浴場業生活衛生同業組合のサイトによれば、藤の湯が創業したのは大正8年とのこと。
大正8年、西暦だと1919年である。調べたところ、この年は板垣退助が亡くなったり、アメリカで禁酒法が制定されたりしたそうだ。教科書の世界と現実の世界が藤の湯を媒介にしてクロスオーバーする。

なお1919年には「カルピス販売開始」というポップな出来事もあったようだが、これは教科書感がなさすぎるので無視する。

先に訪れた「福の湯」同様、希少な番台スタイルだった。
ガラガラと戸を開き、男性は左、女性は右に進む形となっている。
「なんかウィザードリィ感あるな」と思って写真を撮ったが、カメラを向けたのが右手の女湯側だったため「怒られるかも」と焦ってしまいブレブレなのはご愛嬌だ。

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浴場はこれでもかというくらいの湯気で満たされていた。外気温をはじめとしたコンディションのせいなのかもしれないが、あつ湯への期待が高まる。
丁寧かつ迅速に身を清め、いざ主浴槽へ。

「ウゴッホゥ!」

私が発情期のゴリラみたいな声をあげてしまったのは、熱さのせいではない。
深かったのだ。

熱さを覚悟し、心頭滅却した私を襲ったのは「深さ」だった。想定外の事態にパニックとなった。
「柔道着を着た相手が懐から拳銃を取り出した」みたいな感じだ。

さらにいうと、ただ深いだけではなくちゃんと熱かった。
「柔道着を着た相手が懐から拳銃を取り出したので、隙をついて掴みかかったら柔道もちゃんと強かった」みたいな感じだ。

深くて熱い。最高だ。
物騒な例えをした自分を恥じつつ満喫した。

よい塩梅になっていると、恰幅の良い紳士が浴槽にいらっしゃった。2人は十分に収まるサイズなので何の問題もない。

「うぃ〜、あっつ〜」

紳士が身悶える。文字通り身体を震わせる。そのたびに湯がじゃばじゃばと豪快に溢れた。

熱さと深さで軽いトリップ状態にあった私は、溢れる湯が愉快でしょうがなかった。

「いいぞもっとやれ!」

私の心中を知ってか知らずか、いや知らないだろうが、紳士は期待通りに蠢き続けた。

悶える紳士、溢れる湯、にやける私。
見ようによっては地獄絵図だが、私には楽園だった。

遠かったが来てよかった。
「熱さ」に加え「深さ」という座標を与えてくれたことに感謝しつつ、そう思った。
レトロやノスタルジーといった言葉で銭湯を語るのは趣味でないが、長い歴史に裏打ちされた熟練の技を喰らわされた。

そういえば、1919年はこんな年でもあったらしい。

前年に引き続きスペイン風邪が流行。翌年2月までに全国の患者142万人以上、死者6500人以上。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1919年

「あの時も大変だったよ。もう少し辛抱しな」
熱く深い藤の湯がそう言った、気がした。

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