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1人でお酒をたしなめる街

#どこでも住めるとしたら
というテーマがあったので、書いてみる。

わたしがどこでも住めるとしたら、少し変な言い方になるかもしれないけど、いま住んでいる街と実家の二拠点居住をしたい。

いま住んでいる街はとても住みやすい。
車がなくても生きていけるし、車があればすこし楽に生きることができる。

これは、学校に行くときにさえ、車での送迎がないとしんどいような実家との大きな違いだ。
あの町は、とても寂れていてさみしくて、大きな国道沿いにはチェーン店があるけれども、道を抜けると、緑の麦畑や田んぼしかない。
駅もとうとう無人駅になってしまったし、電車は1時間に一本も通らないから、ひとりではどこにもいけない。

もちろん田舎だから空が抜けるように広く、青い。
空は「世界は広いんだから、君はどこにでも行けるよ」と言っているように聞こえるのに、町は噂話がすぐに広がるほど閉鎖的で、人はみんな老いて、若い人は下を向いていて。
前向きな空が青めくせいで、町の後ろ向きさが強調されて、とてもとても寂しい。

こんな町で育ったから、少々空が狭くても、人々が行き交い、老も若きも前も向いて歩いている、いまの街がすきだ。

また、いまの街は、女のわたしがひとりでもお酒が飲める場所である。
中心街に出れば、歓楽街があって、飲食店もたくさんあって、それはわたしの自由の象徴だ。


実家にいるときには「女の子が1人でお酒?そんな危ない!」と過保護に育ったので、そんなチャンスはなかったのだけれども、この街では、わたしにそんな心配をかける人はいない。

ひとりでお酒を飲み、酔い潰れずに自分で会計をすることは
わたしがきちんと大人になれた証拠のように思える。

自由を謳歌し、自分の気分によって生きていけることが、こんなに楽しいなんて、わたしはこの街で息を大きく吸って生きている。


あの実家の町にいたら、わたしはずっと親の中では子どもなのだ。
なにをするのも心配だしら危なっかしい。
守ってあげなきゃならない存在。


だが、最近はそれだけでは済まなくなってきた。

親は60を超え、父はもうすぐで定年退職。
母は体のいたるところが痛いと言っている。
服用している薬も増えてきたし、なんだか急に小さくなって見える。
両親の仲も決していいわけではないし、親戚のもろもろや、いろんなものに忙殺されつつある母をみていられなくなった。
だから、近年は度々実家に帰って、親の手伝いをしている。


また、メンタルの不調を起こしたわたしが駆け込み寺的に帰るのも実家だ。
仕事が忙しい夫と生活をしていると、どうしても「ふたりでいるのにひとり」みたいな構図になってしまい、三食ひとりご飯。となることもしばしばだ。
もともと精神疾患持ちのわたしにとっては、その寂しさが病状悪化の引き金になりやすく、半ば助けを求めるように実家に帰り、母や妹と共に料理を作ったり、適当な会話を楽しんだりして、生きる力を溜める。

ひとりを謳歌しながらも、わたしはまだひとりでは生きていけないのだ。

だから、変な話、いま住んでいる街と実家が二駅先くらいになればいいのに、と毎日思っている。

地元で結婚をし、親といい距離で過ごしている同級生を見るとぐぎぎぎと羨ましくなるが、そこはがまん。

二拠点を行き来しながら、のんびり生活を送るのを今年の目標にしたい