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5月上旬 -自粛疲れ、老いについての考察-

5/2(土)

午前1時頃、noteに小説をアップ。

前月の日記でも触れたが、公募に出して落とされたものを時間を掛けて推敲した。写真は、前日に好きな定食屋でお弁当を買った後、踏切のある場所で撮った。
アップロード後、就寝。日をまたいでしまったなぁ。。。

遅めの時間に起床。
執筆が終わったので、なまった身体をほぐすべく、ベリーダンスのDVDを再生して踊る。
アパートの隣の部屋に聞こえてたら嫌だなー。「何このエキゾチックな曲」ってなるよね。

書く作業が一段落したことだし、積読本に手を付けることにする。

5/4(月)

土曜に読み始めた小説「平場の月」(朝倉かすみ)を読了。
泣いた。
この作品に、センチメンタルな要素だけを不自然に散りばめた「泣ける小説」のあざとさは一切ない。この世のどこかにこんな二人が本当にいると思えるほど地味で等身大な物語だったので、終盤になる頃には主人公の二人に親近感が湧きすぎていて「何でこんな別れ方になってしまうんだ」というやるせなさがこみ上げてきた。あれだけ話題になるのも納得の、記憶に残る作品だった。

中学の同級生だった50代の男女がばったり再会し、少しずつ距離を縮めてゆく。男(青砥)は、中学時代に女(須藤)に告白して振られたことがあった。
青砥は高校卒業後に就職して家庭を持つが、やがて離婚し一人で暮らすことに。息子二人とは時々会うが、元妻とは音信不通。今は親から引き継いだ家と会社を行き来しつつ、痴呆の進んだ母親のいる老人ホームに定期的に顔を出す日々を送っている。
一方の須藤は、東京の大学に進学。そのまま東京で就職し家庭を持つが、夫との死別、若い男との無軌道な恋愛などを経て家と財産を失い、地元へと舞い戻ってきた。経済的に余裕のない彼女は、病院の売店でパートをしながら、アパートの小さな部屋で一人、生活費を切り詰めて暮らしていた。

あの時こうしていれば。こんなことになると分かっていれば。もっと違う生き方があったんじゃないか。
青砥も須藤も、折に触れて、そんな回想をする。
二人の人生はやり直しの利かないところまで進み、不意に現れる身体の不調が、残り時間がわずかであることを容赦なく突きつける。読者として二人の日々を追体験するうちに、年を取るとはこういうことなのかと思い知らされる。文章も言葉も柔らかいし読みやすいのに、行間から老いと死のリアルな感触がひたひたと迫ってくる。
そして、それぞれが抱える心細さを埋め合うようにお互いを求める二人の姿が胸を打つ。他愛ない冗談を言い合い、人に語ってこなかった過去を打ち明け、同じテーブルを囲んでグラスを合わせる時間は、たとえその先に子育てやマイホームといった未来が待っていなくても、確かに輝いているのだ。こんな恋愛小説もあったのかと、目が開かれる思いだった。

青砥と須藤を取り巻く環境の描写にも、ものすごく説得力があった。
かつて生まれ育った街で暮らす二人は、旧知の人々の中にいる安心感を享受できる反面、個人的なことがすぐ噂になってしまう煩わしさに苦しめられる。バツイチ同士の「老いらくの恋」は、街の人々にとっては格好のネタだ。

印象的だったのは、中学時代の同級生「ウミちゃん」。二人の旧友であるとともに、須藤が働く売店のベテランパートでもある。
世話好きな性格から須藤を気遣うそぶりを見せる一方で、本人のいないところでは、真面目に生きてこなかった罰が当たったのだと陰口を叩く。個人的なことを根掘り葉掘り聞き出し、ラインで友達に拡散する。厄介な存在だが、東京で上手くいかずに戻ってきた須藤は、地元に根を張って生きてきたウミちゃんに見放されれば立場がなくなる。
ウミちゃんの表情や仕草の描写からは、質の悪い偽善者の姿が生々しく浮かび上がる。彼女の存在が、須藤が味わう心細さやしんどさに立体感を与えていて、「いい仕事してますね!」と嫌味の一つも言いたくなるほどの素晴らしさだった。

年を取ってからこの小説を読み返したら、また印象が変わったりするのだろうか。やってみたい。
そのためにも、この本はずっと本棚に挿しておく。

5/5(火)

ずっと籠ってばかりだったので、バスでちょっと遠出することに。都内を東方向に横切り、昔住んでいたエリアにある大きな公園に行ってみた(「子どもの日」だしね)。

天気が良かったこともあるのか、それなりに人がいた。噴水の脇を通って、奥の小さな丘に登り、下界(?)を眺めて楽しむ。頂上には黒い石で造られた日時計兼タイムカプセルがあって、表面に彫ってある字を確認すると2年後に掘り出されることになっていた。埋めた人が思い描いた未来と今の状況は……ずいぶん違うだろうな。

丘を反対側から下って、林の中の道を歩いて入口へ戻る。森林浴ができたのは嬉しい反面、それなりに人がいる中で深呼吸するのは気が引ける。些細なことでも、こういう小さな我慢や自粛が積もり積もってメンタルが削られる。
しかも、医療従事者とか失業者とかもっと辛い人がいることを知っているので、この程度のことで「しんどい」「疲れた」と言うのも憚られる。そういう愚痴を受け止めてくれる人がいたとしても、感染のリスクを考えると直接会って語り合う機会を持てない。
こんなに自由な時間があるのに、生活のあちこちで閉塞感や罪悪感に行き当たる。

公園から少し足を延ばして、雑貨屋「PUEBCO」へ。
シックで無骨な雑貨が揃っている店で、入っているビルの1階が佐川急便の集配所というところも無骨さを加速させている。SNSにセールの告知が出ていたので混んでいることを覚悟したが、先客はおらず、女性の店員さん2人が梱包材を床に広げて商品を包んでいるだけだった。普段のゴールデンウイークなら稼ぎ時なんだろうけど。。。
部屋の整理中にリストアップした収納系のアイテムと、安くなっていたポーチとアロマディフューザー(瓶に棒を挿すタイプ)を買う。帰り際にお客さんが2人来て、ちょっとほっとする。

バス通りをしばらく歩いて、アジア雑貨の店「元祖仲屋むげん堂」へ。
よく考えたらこの店、20年近くここにある……店の外にはためいているインドやタイ製のカラフルな服を見ながら、感慨に襲われる。店内をぐるぐるして、最終的にインド製の紺のノースリーブワンピースを買った。胸元に白い糸で刺繍が入っていて綺麗だったので。外に行けない代わりに、家で快適に過ごせるようにしたい。

5/9(土)

母の誕生日と母の日を兼ねて、実家で両親とすき焼きを食べる。晴れていたので、テーブルはガレージではなく、1階のデッキ(普段は洗濯物を干すスペース)に出ていた。肉が美味しい。
ネット(Creema)で買ったネックレスと、パウンドケーキ(オランジェショコラ味)をプレゼントした。アクセサリーを売っているような店があまり開いていない今、Creemaがあってくれて助かった。

父は癌が再発し、定期的に病院に通っている。この日はかなり気温が上がったのに、セーターを着ていた。少しずつ心の準備をしておかないといけない気がする。

ただ、正直、私の中に「お父さんに長生きしてほしい」という気持ちはない。
27年一緒に暮らして、時代に合わせて価値観をアップデートできない人だと知っているので、自分に馴染みのあるものがどんどん姿を消していく中で生き永らえても楽しくないだろうし、周囲にとっても面倒だと思う。

例えば、同じリビングで音楽番組を観ていた時に、「昔の歌はよかった」「何歌ってんのか分かんねぇ」などといちいち言ってくるのが本当に嫌だった。私たちの世代そのものが否定されているようで辛かった。自分の感性には響かなくても、その歌に感動している人がたくさんいるという事実に対して敬意やリスペクトはないのか。今でも、年末に実家に帰って一緒に紅白を観る時間は嫌いだ。早く寝てくれと思う。
これに限らず、嫌な思い出は沢山ある。父から経済的に独立して、やっと自分の人生が始まったような気がした。

自分が理解できるものしか認めない人間がどれほど周囲にストレスを与えるか身をもって知っているし、そういう生き方をしている父が全く楽しそうに見えないので、私自身は、彼がこの世に長く留まることにあまり意味を感じられない。実際、父自身も「長く生きすぎた」と言ったことがあった。
私は決して積極的に父の死を願っているわけではないが、「なるようになるんじゃない」みたいな冷めた気持ちでいる。尊敬できるところもなくはないのだが(会社を作って存続させたことはすごいと思う)、ああいう器の小さい年寄りには絶対なりたくない。

いくつになっても、時代の変化を楽しめるような大らかさと好奇心を持ち続けたい。音楽番組は「今こんな歌が流行ってるのか~」と楽しみながら観たい。そして、自分より若い世代と感想を語り合いたい。
死んだ後、「小林さんが今生きていたら、この状況をどう思うだろう?」「この未来を小林さんと一緒に見たかったな」と言われるような存在になるのが理想。同世代や、価値観の近い人とばかりつるまないようにするのが大事かも。頑張るぞ。


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