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鷦鷯(しょうりょう)

四川の都、成都に蕭確(しょうかく)という男が居た。
この男、親族の富裕なるを頼りにして、自分はろくに定職にも就かず、かと言って世を捨てるような大胆さも持ち合わせておらぬ、稀に見る凡人であった。
ちょっと弁護を加えたいのだが、この男本人もこのような状態を善しとしていた訳ではない。日々の暮らしの中で徐々に自らの意思の弱さと身を成すことの艱難(かんなん)を知り、その狭間において身動きが取れなくなっていた。つまり、この男には自信が無かった。

齢三十一になる夏、蕭確は矢庭に(やにわに)思い立ち、己に自信をつける為にはどうすれば良いのかを知る為、唐で第一位の自信家は誰ぞと人に問うたところ、どうやら河南は洛陽の武芸熟達、李寧(りねい)をおいて他に知らぬということである。
蕭確は早速、この李寧の元を訪れた。
李寧曰く「自信がないのは、儞(なんじ)に武芸の備えが無いからだ。ここで存分、修行されるが良い。」と。
蕭確はなるほどと思い、言われるがまま門に下り、その日から毎日、鍛錬に打ち込んだ。
然し長剣、槍、弓に至るまで、ある程度覚えがあると言うところまで修むるも、やれ同郷の何某は出世しただの、何某は官吏を奉じただのと聞くたびに、蕭確は言い知れぬ不安を感じ、それ以上は武芸に身が入らなくなるのである。

焦燥を感じた蕭確は、陜西(せんせい)は長安において大成したと聞く旧友、王萍(おうへい)を訪れた。
王萍曰く「自立を成しておらぬから、そのような不安に苛まれるのだ。職に就き、自らを余裕をもって養うことができれば、不安なぞ立ち所に霧消(むしょう)しようぞ。」と。
蕭確は成程、これだけ偉い者の言うことには間違いないと思い、親族を頼み、市の一肆舗(しほ)を預ることになった。
然し、暫くはこれを管理していた蕭確であったが、何せこれまで放蕩の浪人であった男である。常連の名前を忘れる、客人を怒らせる等の粗相を繰り返し、ついには親族からも見限られ、一年と経たず職を辞することになった。

蕭確は人の機嫌を損ねるのは己の礼の成らざるが為であると苦悩し、今度は邯鄲(かんたん)において君子と名高い周瑜(しゅうゆ)を訪れた。
周瑜曰く「礼とはつまり学である。古人に学ぶことなしに何を以て是を知るか。」と。
蕭確は得たりと思い、昼夜を厭わず往年の偉人の書物を読み耽った。
暫くは紙魚の如く文字に齧り付いていたが、ある時、麦を買おうとして街に出た所、なんとも声の出難いことに気がついた。室に引篭り、人と弁を交わす機会が無かった為、蕭確の喉はその機能を失い始めていたのである。

明朝、困り果てた蕭確が川べりを漫ろ(そぞろ)に歩いて居た所、一匹の鷦鷯(しょうりょう、ミソサザイ)が頭上の細枝に泊まり、美しい声で鳴き始めた。
蕭確は呆然として暫くその歌声を聴いていたが、いつからか、なぜ、この小鳥はこのような美しい声を出せるのか、と考えていた。
大いに逡巡した後、どう考えても、これはまさに鷦鷯であるからあの様な声が出せるのであって、例えば雉(キジ)に鷦鷯の真似はできぬだろう。同様に鶏が雉の真似はできぬ、そして鷦鷯には、鶏の真似はできぬ…

ふと気がつくと初夏、昼下がりの陽光が小川のせせらぎを照らしている。草木は風に従い戦(そよ)ぎ、足元の土は豊かである。
蕭確は、今やこれらを生まれて始めてのように、美しく、新鮮に感じていたのであった。

その後、蕭確は山村に起臥し農民を手伝い、貧窮の者には分け与え、後輩に書を教え、偶(たま)に拙い詩歌を郎したりして、質素に穏やかに暮らしたということである。


あとがき

私は31歳になる今夏、それまでのらりくらりと生きてきたということもあり、普通の人より少し遅めの人生の岐路に立ちました。
自分に自信がないので、何をすれば良いのか分からない、何を目標にすれば良いのか分からない。そんな心境のうちにただ、不安ばかりが募っていきました。
しかしこのままでは駄目だと思い、親しい友人や先輩に話を聞いたり、インターネットで調べるなどしてなんとか人生の指標を探そうと試みたのです。
ある者はトレーニングをすることでホルモンバランスを整え、考えを前向きにするのが良いと書いていました。
ある友人はとにかく仕事をしてお金を稼いで、余裕を身につけるのが良いと言いました。
ある先輩は今からでも遅くないから大学院に行き、学を修めるのも良いだろうと言ってくれました。
私が話を聞く人は皆、親身になって私の身を案じ、その人がその人それぞれの提案をしてくれました。本当にありがたいことです。
しかし私は、自分の芯のないままに色々な考えを聞くものですから、そのたびにその人の考えに容易く染まってしまい、結局、自分がどうしたいのかは分かりませんでした。
それは同時に、自分の不甲斐なさと直面することと同義でした。
(今のところ、肝心なのは自分が何を大切にするかを自分で決め、その役割を理解することのようだと、そのように考えています。しかし、自分が道に迷う中は答えは出ないものだということもまた、分かっているつもりです。)
自分の不甲斐なさと理想との剥離という思考の檻から脱出し、小鳥ながらも自由に木々を飛び交い、伸びやかに歌うミソサザイのようになれたらと思い、これを書きました。
長くなりましたが、今回私と話して下さった方々に重ねて御礼申し上げて、終わりとさせて頂きます。
拙い文章ですが、読了頂きありがとうございました。


絵(鷦鷯)と文 にらさわ

参考文献 
①杜甫の詩における鳥のイメージについて : 「鸚鵡 」と「鷦鷯」に託した杜甫の思い 谷口眞由実
②山月記、名人伝、師弟 など 中島敦

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