何となく好きな歌詞のこと
私には「何となく好きな歌詞」というものがある。
「何となく」とあるように、その歌詞が一体なぜ好きなのか自分でもよく分かっていなかった。しかし最近になって気づいた共通点があるのでメモしておこう、というのがこのnoteの主旨である。
好きなものは理由なく好きでも良いが、好きなものを好きでいる理由が分かることは素直に嬉しい。
まず前提として、「好きな歌詞」そのものが私にとって数少ないものである。
曲を聴いていても、歌詞の意味を頭に入れて聴くことがあまりないのだ。音楽をリズム主体で聴いている人間なので、カラオケで歌ってみて「こんな歌詞だったのか」と驚くことは多い。文字は聞くより見た方が頭に入ってくるタイプである。
意図的でないと歌詞が頭に入らない私が、その歌詞を好きであるからには明確な理由があることがほとんどで、数少ない「好きな歌詞」の中に分類された「何となく好きな歌詞」というのは本当に少ないのであった。
詰まる所、「何となく好きな歌詞」の数が少なすぎたが故に共通点がいまいち分からずにいたのだが、最近ふと閃いた。そして、長年の小さな疑問が解決された瞬間を書き残しておきたいと思い至ったのである。
完全に私個人の為の備忘録であり、発見自体も大したことはないのだが、ここまで読んだ物好きな方はそのまま画面のスクロールを進めていただきたい。
簡単にだが、三曲ほど順に説明していく。
【1曲目】
2016年に公開された新海誠監督の映画『君の名は。』の主題歌のひとつである。当時高校生であった私は、この映画でRADWINPSを知った。同グループが手掛けた4つの主題歌のなかでは『前前前世』が有名なイメージがあるが、私は『スパークル』が好きだ。
というのも、歌詞がめちゃくちゃ好みなのだ。特に引用した「まどろみの中で」で始まる一節がとても好きで、一時期はここばかり口ずさんでいた。
「まどろみの中で」「生温いコーラに」「ここでないどこかを」「夢見たよ」、まずここが良すぎる。それぞれで5000億点くらい獲得している。
一番好きなのは「生温いコーラ」だ。
生温くなったコーラ、キンキンの冷たさも炭酸も無くなって時間の経過とともにやさしくぬるい甘い水になったもの。
そこにまどろみのなかで夢をみる。ここでないどこかという不確定な場所を思っているのも良い。どこまでもぬるい居心地が続く歌詞である。
明確な線を持って存在していたものは緩やかにかたちを解き、本来の姿は失われてしまったがそれでも良いのだ。一連を通してそんなことを言っているように思う。
ぜんぶがやさしくて切なく、無性に泣けてくるような歌詞だ。
【2曲目】
いよわさんの曲はよく聴く。歌詞も勿論好きだが、どちらかと言うと不協和音や不安定なメロディを理由に好んで聴くことが多い。
しかし、『IMAWANOKIWA』はこの歌い出しの一節がやけに頭に印象的に残っているのである。
「甘いハッピーエンドに浸っては眠るのが好きだった」、ここが特に好きだ。ねむい目をこすって見たドラマの余韻を噛み締めて、その余韻に浸りながら眠りにつくだなんて、心地よいに決まっている。それも、甘いハッピーエンドなのだ。甘い眠りから覚めれば、窓から光とそよ風が頬を優しく撫ぜる。まごうことなき素晴らしい朝である。
「ドラマを見るのが好きだった」から「甘いハッピーエンドに浸っては眠るのが好きだった」で、「〜が好きだった」を続けているのも耳に心地よく響く。
【3曲目】
700万再生のMVがあるが、私は自主制作盤の方が好みなのでこちらを貼っておく。
「色水になってく甘い甘いそれは」の歌い出しが好きだ。かき氷の比喩も相まって見事だと思う。
キンと冷えていたものが時とともにゆっくりと溶け、周りの温度と同化し、ただの色の付いた水に成り果てていく。「君と僕の手の温度で」という歌詞からも人肌ほどになった温さが分かる。
けれどもその甘さは変わらず、むしろやわらかくなった温度によって更に甘さを増したようにも感じられるのだ。
【結論】
以上のことから、考えるに。
何となく好きだった歌詞の共通点、それは「甘く温くなった心地よさ」であり、さらに抽象的に言えば「静かな変遷」「やさしい変化」なのではないかと私は結論づけた。
列挙してみると割と分かりやすい共通点である。
思うに、「固い決意」だとか「生きていく意志」みたいな信念や死生観を歌ったものは自分の好き嫌いが分かりやすい。
また、創作物に紐付いて作られた曲も、好きな創作物に由来してその曲が好きな理由が分かりやすいのではないかと思う。
↓これは私が好きな歌詞。
一方で、感性が表れている歌詞の好き嫌いは自分の感性を具体的に(言語化できる程度には)把握していないと、自分でも何故好きなのか比較的はっきりと分からないのではないか。万人がそうだとは思わないが、少なくとも私はそうだった。
↓だが例外もある。
これはどちらかと言えば感性の歌詞だと思うが、放つ光があまりに強すぎて「こんなん好きにきまってるだろ」となってしまう。
好き嫌いの由来を分類するなんて無謀で果てしない作業をしたいわけではないので、ここで留めておく。
まあ、そんなこんなで私の好きな歌詞の話は終わりだ。
何となく好きな歌詞の共通点から、私は「甘く温くなった心地よさ」「静かな変遷」「やさしい変化」が好きなのだなと分かったが、だからといってこれということは無いのである。好きなものは好きなままだ。
最後に、話が少し逸れるが今から個人的な思い出話をする。
私は幼少期の頃、チョコレートを口の中で溶かしながら眠りにつくのが好きだった。思い出話というか、バカ話である。短絡思考のガキンチョだった私はその愚行によって生じ得るデメリットなんて微塵も考えず、幸せに浸ってそれをやっていた。
至極当然であるが、繰り返された過ちの末、虫歯が発覚。呆れ混じりに叱られ、歯医者での治療により事なきを得た。流石に懲りたのでそれ以降犯行に手を染めることはなかったが、あの甘くしあわせな眠りはいつまでも私の脳裏にある。
この甘い思い出こそが「なんとなく好き」な要因の一つなのかもしれない。私の経験やそれに基づいた記憶が、今の私を形作っているのだ。
幼い私は、甘いハッピーエンドに浸っては眠るのが好きだった。
お終い
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