佐原誠 / 声優

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佐原誠 / 声優

声優業をしております!よろしくお願いいたしますー!! https://twitter.com/this_is_makotoS ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」ぷよテト2「スクエアス」ACヴァルハラ「オズワルド」ロシャオヘイ戦記「冠萱」ダーウィンズゲーム「コンドウ」他

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祝・サハラジオ1周年!!(でした)

【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「祝・サハラジオ1周年!!(でした)」 というわけでですね…もう言葉の通り。 サハラジオ、いつの間にかはじまってから1年が経過しておりました。 やったねー--!!イェイ!!! 初投稿はですね、「2021年の3月24日」なんですね。 そこからじみ~~に毎週欠かさず投稿を続けておりまして、そしてとうとう1年を超えたとそういうお話でございます。 すごくないですか?ゴールデンウィークとか夏休みとか年末年始とかそういうの全部関係なく投稿を続けるって!!! 投稿した動画の数はなんと、およそ68本!! 微妙!! 全然大した数じゃない( …週1ペースだと1年やっても100本いかないのね…残念…。 というか初投稿が3月24日で……今これを収録しているのが7月7日(木)になったあたりでございますから…3カ月以上も遅れての祝杯という事になりますね。 おそすぎ( いやほんとはちゃんと気づいてたんですよ、今年の3月に入った時点で。そろそろ1周年だなーって。 しかしながらですね、ちょうどその頃「とある連載」をスタートさせたタイミングでございましてね…それは数回に分かれる長編になるだろうなーとは予想はしていたんですけど、まさか16回にもなるとは思ってもおらず。 かといってその連載中にその流れをぶった切るように「1周年ですいぇい!」ってやるのも気持ちが悪いぞと。 そんなわけで、とりあえず連載を完了させようとそのまま泳がせていたらまさかの7月になっちゃったっていう。随分遠泳したねきみぃ…。 まぁとにかくそんなわけでして、ずいぶん時期がずれてしまいましたが、サハラジオは1周年を迎えました。正確には「迎えてました」。それも3か月以上前に。 これも日頃聴いて下さっているあなたのおかげ。本当にありがとうございます。 しかしながらですね、なんだかんだで15カ月以上?も続けているだなんて自分でもびっくりですよ。何故なら佐原さんは、「同じことを続ける事」がめっちゃ苦手な性格だからです。飽きてきちゃうんですよね、途中で…。 世の中には一定数「毎朝同じ時間に起きて、同じ動線で支度して、同じ時間に働きに出かけ、同じ時間に帰宅し、同じルーティーンをこなして毎晩同じ時間に寝る」という事ができる人がいます。 佐原さん、それマジで無理なんですね。 だってその日の気分によって、やりたい事の内容や、やりたいタイミングって変化するじゃないですか。そんな「その日の気分」に身を任せていると、とてもじゃないけど同じ毎日をおくれません。 スケジュール帳にも「今日やる事」のリストは書いてあるけど、それをいつどこでどんな風にやるかはその日の気分任せ。綿密にスケジュール作っても、ちっともそれを守れない、佐原さんはそういうヤツなんですね。 そんな性格してますから、サハラジオもどこかのタイミングで更新止まったり不定期になったりするんじゃないかなーなんて思っていたんですけども…意外にも毎週かかさず投稿しましたね。ほんと意外( しかしですね、このような動画投稿。ユーチューバーな方々は毎日とかされているわけじゃないですか。 いやもうすごすぎますよね。 「企画考えて、道具そろえて、撮影して、編集して投稿する。」 これって言葉で説明すると一瞬ですけど、実際やるとめっちゃ大変なわけですよ。 サハラジオなんて超ローコストの編集しかしてませんけど、それでもやはり時間はかかるんです。それを毎日欠かさずにコツコツ続けている方々、本当に尊敬する。 ユーチューバーさんではないですが、事務所の後輩の櫻井さんも毎日投稿してますしね、心から尊敬。事務所の先輩の石狩先輩も、週1くらいかな?な頻度で、佐原さんのとは比較にならないくらいちゃんとした動画を投稿されてますから、ほんと尊敬。 みんなすごいなぁ…。 凄いなぁとかいいつつ、佐原さんは今後もクオリティアップはする気ないですけどね!だってこれ以上頑張ると続かないんだもの( 頑張らない編集と内容でほんとよかったなって、この1年半の間に何度思ったか…!!!何度動画を落としかけたかわかりません。 やる事が重なりまくって「あぁああああああああああ」ってなりながらも毎週欠かさず動画投稿できたのは、頑張らなかったから!! ですから今後も、この低い志はそのままに、やっていきたいと思います。 しかしながら今後はどうしていこうかなぁといったところ。 とりあえずサハラジオは続けていこうかなぁと思ってはいるものの、やはりお仕事との関係上、あまり無理するのもなぁなんて思ってはいるわけでして。動画投稿する暇があったら台本読み込めよ!って話もあったりなかったりしますしね( なのでもしかしたら今後は、ちょっと投稿が不定期になっていくかもしれません。 わかりませんけども。 でもでもとりあえず今は、「何事も続かないヤツ・佐原氏」がサハラジオを1年以上続けられたぞって事に驚きつつ祝福しつつ… それをずっと支えてくださったあなたに感謝したいと思います。 本当に、ありがとうございました!! 引き続き、よろしくお願いいたしますね! それでは今回はこのへんで。 それでは、またね!! (あ、「それでは」がかぶっちゃった…) 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

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      #16 ハイブリッドが一番

      【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「ハイブリッドが一番」 はい、16回目となりました。ではさっそく続けていきたいと思いますよ!! 佐原さんは前回までの15回で語ったような事について調べたり、考察したりするのが大好きなんですね。その結果、15回もしゃべり倒すような意味の分からない感じになってしまったわけですが、勉強するにも考察するにも、とあるポリシーを持っております。 それは「感情一辺倒でもダメ、理論一辺倒でもだめ。感情と理論のハイブリッドこそ目指すべき道」というものです。 感情一辺倒とは何かというと「自分の感情(気持ち)や欲望に忠実になる」という事です。利己的で主観的な生き方を良しとする行動方針です。 人間は感情を持つ生き物ですから、このような考え方や生き方をすれば、自分だけはある程度ストレスフリーな生活を送れるでしょう。また、心の赴くままに生きる事は、心を持つ生き物として自然な事のようにも思えます。 ですが、それでは社会秩序というものが保てなくなり、社会が崩壊します。 何故ならば、欲望のままに生きることを良しとすると「自分の自由」と「他人の自由」がぶつかり合うからです。互いの自由がぶつかると争いが起こります。その果てには滅亡が待っています。それでは種の存続を考えた時、大変都合が悪い。ですから人間は前頭葉という理性のストッパーを保有する事を選び、それを進化させる道を選びました。 これは佐原さんの持論ですが、きっと人間の先祖の中には、社会性を増強させず「個体としての強さ」に特化した進化を選んだ種もいたのだと予想します。しかし現在を見回してみると、世界中どこを探しても、人は必ず社会を形成して生きています。そこから鑑みるに、社会性を増強させる道以外を選んだ人間の祖先は絶滅したという事だと思います。 という事は、今地球上に生きるすべての人間にとって「社会性」というのは、非常に重要な意味を持つものだと言えると思うわけです。「ノー社会性ノーライフ」と言っても過言ではない。 人に怒りを鎮める機能(理性)を持たせ、社会性を持たせ、自分は社会においてどのような立ち位置なのかを考えさせるメタ認知を持たせたのは、前頭葉。 しかし人類の数が増え、それに伴い文明や社会構造がどんどん複雑化していきました。その結果、「理性」や「社会性」という個人に依存する「暗黙の了解」だけでは、社会秩序を保つうえで不足になりました。そこで人は、ルールを作ったのです。 「世界人権宣言」「憲法」「法律」「職場のルール」「学校のルール」「家族のルール」「友達間のルール」「暗黙のルール」 あらゆる範囲と強度のルールを設定したり、前頭葉を発達させる事で、人間はその欲望をおさえ、他者と共存できるよう努力してきました。 つまり基本的に理性やルールというのは、人間の欲望とは逆の発想、という事です。ですから、理論や理屈、それを明文化したルールというのは、人間がその社会性を保つうえで、とても大切なものなのです。 ですが、理屈ばかりだと人間は生きていけません。何故ならば人間は、理屈だけでは生きていないからです。 「健康上よくないけどやめられない。倫理的にあまりよろしくないかもだけどこれが好き。」等々。どうしても理性や理屈で押さえられない部分が、人間にはたくさんあります。 そのような「どうしようもない部分」をルールなどで無理やり抑えると、人間は多大なストレスを抱える事になります。そのストレスはやがて爆発し、場合によっては社会秩序を乱す行動につながります。 ここで一度「そもそもルールは何のために制定したのだっけ?」という根本に立ち返って考えるみる。それは、「社会秩序を保つため」です。その社会秩序を保つ事のために作ったルールが社会秩序を崩壊させるのであれば、それはストレートに本末転倒というもの。 ですから社会秩序を保つためのルールというものは、「人間」というものと向き合わずには作れません。人間を無視した理屈は、実現不可能な机上の空論と前に申したのはそういう事なのです。 人間として生きていく以上、心を理解しようという姿勢は必須。だって人間ですから。しかしだからといって「心の赴くまま」にさせていたら社会秩序が保てず、その延長線上には人類滅亡が待っている。 ですから僕は「理論と感情のハイブリッド」が大切なのだと思うのです。「理論と感情のハイブリッド」を目指して、どこが一番いいバランスなのか、その落としどころは何なのか知りたくて、勉強と考察を続けています。 正直その答えはわかりません…。実際そんな事可能なのかな、とも思ったりもしてます。ですが、そのようにバランスを取らないとまずい事になりそうなのは、「バランスを欠いた人たち」がしでかした数々の歴史的事件をみていると、薄らぼんやり理解できるところ。 こんな事を勉強し自分なりに考察する事で、世界や社会が変わるとは思いません。なんなら身の回りの人の意識すら変えられると思っておりません。 ですが、他人を変えられない事と、自分が変わらない事は話が違うわけで。ですから、せめて自分だけでも変わろうと色々と試行錯誤していたりするわけですね。 そんな佐原さんはどうなのかというと、佐原さんはめちゃくちゃ「感情」寄りの人間です。子供の頃からずー---っと「感覚頼りの感情一辺倒」で生きてまいりました。 だからこそ、自分は「理性」を日頃から強く意識する事でバランスをとれるんじゃないかなーと考えています。そのために、理屈だとかエビデンスだとかそういう勉強をすることが大切なのではないかと思ったのです。 その結果、気づけば10年以上こうした勉強をしていました。と、そういうお話でした。 「じゃあ、佐原さんは勉強はじめてから何か変わったの?」と問われると、その答えは「YES」です。ものすごーくかわりました。過去の自分を否定たいわけじゃありません。ですが、間違いなく変わったなと思っております。それもいい方向に。 『心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。』 この言葉は、心理学者・ウィリアム・ジェームズさんの言葉とも、ガンディーさんの言葉とも、マーガレットサッチャーさんの言葉とも言われているそうで、 出展がどこなのかまったく不明なのですが、大変興味深い。 「この言葉の根拠は何なのか?」という事を説明するとまためっちゃ長くなるので今回は割愛するとして…少なくとも自分にとってこの言葉は「途中までは」真実だったようでして。勉強し考察し、心を入れ替え行動を変える事で、たしかに自分の習慣も人格も変わったように思います。 なぜ「途中までは」と言ったかと言うと、最後の「運命」の部分です。これに関しては死ぬまで生きないと何とも言えないので保留( それに、人生は「ABテスト」ができないですから、運命というものが変わったか否かは確認のしようがありません。ですから「途中までは」となるわけで( いやしかしながら、運命もいい方向に変わっているといいんですけどね( というわけで、全16回と大変長くなってしまいましたが、これにて一段落となります。 第1回目は「番組を観たから佐原さんもそれについて語るー!」なんてよくわからんテンションで始めましたが、最終的にはこんなところに落ち着きました。 話が色々と飛んで大変聴きづらかった(読みづらかった)と思います。大変申し訳ございません。しかしながら、それにもかかわらず、ここまでお付き合いくださった方本当にありがとうございます。 ちなみに今回16回もの回数にわけて話し出したきっかけとなった「番組」がいったい何かというと…… YouTubeチャンネル「ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】」にて2022年3月9日から公開されている 【叱る依存】「自分の欲求を満たすだけ」叱る=愛情の裏返しはウソ?ストレスや負の感情が増えるだけ?これからの子育てや人材育成を考える という番組でした。 話が長くなる予感は最初の段階でしていたので、とりあえず自分の意見を言いきってから番組名を公表しようと思っておりました。 もしよければ、そちらもご覧になってくださいね!! 長々とお付き合い下さり、本当に、本当に、ありがとうございました!! それでは、またね!!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

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        #15 トーンポリシング

        【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「トーンポリシング」 …15回目となりました。 はい、早速始めてまいります!! 前回の最後に「とある議題と向き合っていない」とお話しました。 それはなにかというと…… 「トーンポリシング」です。 トーンポリシングって何?という方のために説明いたしますと……ネットの解説文いわく、 ●トーン・ポリシング (tone policing) とは、論点のすり替えの一種。 ●発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することによって、発言の妥当性を損なおうとしたり、議論を拒否したりする行為である とのことです。 例えば……上司からの度重なるパワハラモラハラに耐えかねた人が、ある時とうとう限界を超えてしまい「お前ふざけんなよ!!パワハラするのもいい加減にしろこのやろぉ!!」などと怒鳴り返したとします。 それに対して、怒鳴られたパワハラモラハラ上司が「目上の者に対してその態度はなんだ!!!」と反撃したり、あるいはそれをみていた周りの人達が「パワハラに怒るのはわかるけど、その言い方はよくない」といったように、「その内容ではなくて口調や態度を否定する事」です。 こういう、話の本筋と違う「口調」や「態度」を取り上げて、それを軸に批判する事を「トーンポリシング」と言うそうです。 んでですね。 佐原さんがこれまでの14回で述べてきた事を要約すると、「このトーンポリシングを肯定するような内容」となっているんですね? 「相手を変えたいのであれば、怒らずに冷静に真摯に、エビデンスに基づいた改善案を提示して諭そう」というのは、そういう事ですから。 まさに、「言い方や態度」の話をしているわけです。 ですからそれらを見ると、佐原さんはこのように「トーンポリシング肯定派である」ように見えるのですが……しかしながら実はそうでもないんですね。 なんならこのトーンポリシングというものは、使い方を間違えるととんでもないことになりそうなものだなぁと感じている。 というのもこれまでお話させていただいたような、「ダークトライアド」的な人でなければ、つまり圧倒的多数派である「一般の人」は、基本的にはよほどの事が無ければ怒鳴ったり怒りだしたりしません。 逆に言えば、そのような「社会性があって我慢強い人」が怒り出すのは、よほどのことがあったからなわけでして。ですから、日頃怒らない人が怒り出した場合は「相応の理由がある」と考えるのが自然ですから、ちゃんと「その原因をつまびらかにしてあげないといけない」のではないかなと。 怒り出した人をみて脊髄反射で十把一からげに「態度が悪い」「口調が悪い」などと否定するのは非常に簡単です。見たまんまの事実を指摘すればいいだけですから。 しかしながら怒る人全員をそのようにトーンポリシングしてしまうと、「これまで耐えて耐えて耐えて、それでも噴火してしまった人」の「心のSOS」を取りこぼしてしまうとも思うのです。 佐原さんはこれまで散々、歴史的事実と、研究結果と、人体の構造に基づいて「怒らずに冷静に真摯に、エビデンスに基づいた改善案を提示して諭そう」と話してきました。これまでの話に嘘偽りなどないつもりです。が、人間と言うのは感情的な生き物だという事もまた事実なわけで。 つまりなにが言いたいかと言うと「あまりに人間の感情というものを無視したような理論」というのは「現実味の無い机上の空論のもののようにも思う」という事です。どんなに理論上完璧な理屈でも、「人間の心」を無視するのは危険だ、とそう思うのです。 これは、佐原さんがこれまで話してきた理屈の話とまったく矛盾していないと思っております。なぜならば「人体の構造上、怒ったり怒られたりすると思考力が鈍くなるよ」というのは「人間の構造」の説明なわけで。そして今回の「人間は理屈じゃなくて感情で生きている」というのもまた、「人間の構造」の説明なわけで。 どちらも人間の構造の話であるわけですね。その中でも、これまでは「体の構造の話」を主にしてきましたが、今回は「心の構造の話」をしている、そういう事でございます。 多くの一般の方は、日々ストレスに耐えて生きています。何故ならば、理性があり、社会性があり、思考力があるからです。 しかしそんな「理性ある人」も、「耐えきれず怒ってしまう」事があります。 そんな「耐えれる人」が耐えられなくなったという事は、それほどストレスが大きいわけであり、つまり「心が悲鳴を上げている状態」だという事です。 その「SOS」を、十把一からげにしてトーポリシングによって一方的に封じ込めてしまうのはどうなのかなーとも思うのです。 しかしながら、怒る事(叱る事)というのは、限定的効果はあるものの、基本的に効果がないのはこれまでの14回で話した通り。 効果がないばかりかどんどんエスカレートしていくし、最終的には(叱る本人が)「叱る依存」ともいえる状態になってしまう事も、心理士・村中直人先生や脳科学者・中野信子先生のお話をまじえてこれまでに説明させていただきました。それもまた事実なのです。人間の構造上そうなのですから。 どんなに正当性のある主張であっても「感情をぶつけるような形の表現」で訴えると、それをされた相手もそれを見た第三者も、身構えてしまうのです。 強い感情は他人にストレスを与えます。ストレスさらされた人は自己防衛のために「闘うか逃げるか反応」がおこる。つまり戦闘モードに入ります。それが形となったもののひとつが、例えばトーンポリシングというわけです。 つまり、強い感情を伴った主張というのは、自然と「敵」を作り出してしまう可能性があるという事です。 しかしながら同時に、その想いに共感した人が賛同し「仲間」になってくれる、という事もあります。 人は、同じ感情同じ価値観を持った誰かが、自分の代わりに力強くそれを主張してくれると、とても頼もしく感じるものです。そして「そうだ、良く言ってくれた!!」とか「自分の代わりに主張してくれてる!よしサポートするぞ!」と、フォロワーになってくれたりもするのです。 つまり、強い感情を伴った主張というのは、自然と「味方」を作り出す効果もあるのです。 まとめると、強い感情は「敵の集団と味方の集団を作り出す」ということ。 敵の集団と味方の集団がいてそれらが衝突している構図を、人は「抗争」とか「紛争」とか「戦争」などと呼びます。強い感情を伴って主張をすることは対立を生み、さらにはこのように、その延長線上には争いが待っていると言えます。 強い感情を伴った主張をする事は、ある種の「諸刃の剣」と言えます。が、その延長線上に高い確率で争いが待っているのであれば、確かに諸刃の剣ではあるが、よくみると自分の方に向いている刃の方がはるかに切れ味が鋭い、つまりデメリットの方が大きいとも考えられます。 「どんな事情があっても争いはよくない」と考えるか「目的達成のためなら争いも仕方ない」と考えるか。 後者の考え方を支持する人は、強い感情を伴った主張をすることは効果的と言えます。 しかし前者の考え方を支持する人は、強い感情を伴った主張はせず、「冷静に真摯にエビデンスに基づいた改善案を提示」したほうがよいように思えます。 しかしながら「耐えて耐えて耐えた末感情が爆発する」というのも、また人間の構造上自然な事です。「自分の心を守るため」に「一度爆発を経由する」事は、生き物として間違っていないとも思うのです。 じゃあどうすればいいんだって話なんですけども。 それは「怒りそうになった人」は、「この怒りが正当性のあるものだとしても、このやり方をすると相手に伝わらないし敵も作るんだよなぁ」と思い直して、冷静に真摯にエビデンスに基づいた案を提示する事を意識してみる。 そして「怒ってる人を見た人」は、「その怒りは心のSOSであると考えて、とりあえず一度爆発させてみてから、あなたの話を聞かせてくれますか」と歩みよればいいのかなと。 双方の「ちょっとした気遣い」がポイントなのかなーと思うのです。 前頭葉の前頭前野は理性をつかさどると、この14回で何度か申しました。その中に「前頭前野は怒りのストッパーの役割を担う」というお話がありました。 怒りの感情がアクティブになると、それに反応して前頭前野も働き始めるそうなんです。怒りだしてからだいたい5秒~10秒後に前頭前野が働くそうなので、何かイラっとした時、怒るのを10秒くらい我慢すると、自然と怒りが静まるのだそう。 しかし前頭前野の発達が未熟だったり(30歳くらいになるまで成熟しきらないそうですよ)、あるいはその怒りがあまりにも強いと、前頭前野のストッパーが押し負けて「怒り爆発」してしまうと。 でも爆発しても前頭前野はまだ諦めていません。怒りの感情が弱まった瞬間があったら、それを見逃さずにすかさず仕事をします。 何が言いたいかと言うと、どんなに激しく怒ってる人も、数十秒、あるいは数分怒らせておくと、どこかで怒りが静まるタイミングがあるという事です。 これは人間の構造上そうなのです。その落ち着いたタイミングで「何があったか話してみてくれる?」と優しく声を掛ければ、その相手もぽつぽつと事情を説明してくれるでしょう。 トーンポリシングが主張する「言い方や態度は大切である」という論は、社会秩序や人体の構造を鑑みると、的を射た論であると言えます。 ですがそうやって制するだけでなくて、その後にきちんとその人の怒りの原因と向き合う時間を作る事、つまりアフターケアもセットでなければ問題解決に至る事はできないのもまた事実なのではないかとも思うのです。 「心のSOS」を無視するというのもまた、社会性を重要視して進化と発展を遂げてきた人間として正しい事なのか、とも考えられるからです。 このように、「怒る側」も「怒ってる人を見た側」も、そのような事を意識すれば、争わずに上手くいくような気がしてきます。第14回でお話させていただいた、プロジェクトアリストテレスの結論「みんなが少しずつ気を遣いあう事が最も大切」。それはまさにこう言う事なのかな、とも思うのです。 佐原さんはこのような事をもう10年以上ずーっと考えております。そのポリシーとして……ってこの先話すとまた長くなりそうなので、次回にまわしますね!! 今回もきいてくださってありがとうございました! それでは、またね!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

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          #14 プロジェクト・アリストテレス(Google

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「プロジェクト・アリストテレス」 はい。14回目!!!いつまで続けるんだこの話!!その答えは簡単。終わるまで!!!もう引っ込みつかない所まできちゃっているんですよ、ははは。 というわけでさっそくやっていきますが…。 前回の最後は「なぜ、叱る時怒ったら上手くいかないのか?という問いがまだ残ってる」というところで終わりました。今回はそのお話をしていこうと思います。 ここに至るまでの13回の中で、何度も「前頭葉」という言葉を出してきました。正確にはその中でも「前頭前野」なのですが。 前頭葉は哺乳類全般が備えた脳の部位。その一部である前頭前野は、他の哺乳類の中でも人間が圧倒的に進化しており、肥大化している。人類に次いで2番目に前頭前野が大きいとされているチンパンジーよりも、圧倒的な差があるそうです。 というか、まず脳の容量が全く違う。人間の脳の容量はおよそ1350mlなのに対して、チンパンジーは400mlほどです。そもそもの大きさが3倍以上差があるのです。その上で、大脳における前頭前野がしめる割合は、人間は30%、チンパンジーは8%ほどだそう。 何が言いたいかと言うと、とにかく人間はほかの生物に比べて圧倒的に大脳が大きく、その中でも前頭前野が圧倒的に進化している、という事です。そしてこの前頭前野は、「理性や思考力」をつかさどっている部位である、と。今回のお話は、この事を前提としております。 まず「怒る側」のお話。 怒っている状態というのは、理性をつかさどる前頭葉が機能していない状態、という事。前頭葉が機能していないという事は、思考力が低下している状態という事です。思考力が低下しているという事は、怒りながら口に出している言葉は、根拠に乏しい感情論である可能性が増大します。そのような状態で叱っても、その内容は正当性に欠けるものである可能性が高いため、説得力に欠ける。それでは相手に納得してもらえないので、相手は変わらない。つまりその行為そのものが無駄である。 その「叱るや怒る」が「自分のストレス発散が目的」ならば一定の効果は認められるのでしょうが、こと「相手に改善してもらう事が目的」ならば、無意味である、そういうお話。 で、次は「怒られる側」のお話。今回のキモはこちらでございます。 こちらでも、「怒りながら叱る側」と同じことが脳内で起こります。 怒りをぶつけられると、その人は強くストレスを感じます。ストレスを感じると、人は「戦闘モード」に入ります。戦闘モードに入ると、前頭葉といった「闘う事に関係ない機能」は全般的にコストカットの対象となります。「理性」は迷いを生むため闘う上で邪魔ですし、「思考力」も一瞬の判断が求められる戦闘時には必要ないからです。ですから前頭葉の機能は積極的にコストカットされるわけです。これを用語で「闘うか逃げるか反応」と言います。(そのまんますぎて専門用語っぽくないですけども)んで、そのような状態では、何を言われてもまともに受け止められないし、考える事もできません。ですから、仮にどんなに大切な事を言われたとしても、「入ってこない」のです。入ってこなければ当然、理解もできない。のであれば改善もできませんので、つまるところ、怒られる事に意味はないということになる。 これは人間の仕組み上の話であって、性格の問題ではありません。生き物は構造上そういうものなのです。 そもそも論、何故「ストレス」を感じるのか、そこを考えてみるとわかりやすいかもしれません。ストレスって何かというと「身の危険を知らせる本能からのサイン」なわけです。「危険が迫ってるよ、警戒して!」という非常事態アラームなんです。つまりストレスは人間の生存戦略であり、防衛本能なんですね。 このような本能は、基本的に人間の意識でどうにかなるものではありません。どうにかなったら本能の意味がないからです。 ストレスを感じた段階で、人は自然と「闘うか逃げるか」のどちらかをするモードに入ります。人だけでなく、他のどの生物も、ストレスを感じると必ずこのどちらかを行います。 が、人間はほかの生物と違い「理性」を、そしてそれに付随する「社会性」という物を持っています。また、「想像力と思考力」も備えています。ストレスで思考力や理性が低下するとはいっても、0になるわけではありません。人間の場合は、低下しながらも残った理性や思考力が、他の生物にない第3の選択肢「その場で耐える」という選択を取るせることが多くあります。パワハラモラハラが横行する職場環境で働き続ける、というのはその典型だと思います。 パワハラモラハラというのは、人間の構造から考えると、他者を攻撃する行動だと言えます。なぜなら、それをする人の認知構造は「攻撃している時のそれと同じ」ですし、それをされた人の内部で起こる反応も「攻撃された時に起こるそれ」だからです。 そのような理由で、パワハラモラハラされた人は「戦闘モード」に入るわけですが、しかし人類の進化により発達した前頭葉が「闘うor逃げる」という生き物が自然と取る基本的な選択を踏みとどまらせます。 「パワハラ上司に反発して、さらなる嫌がらせを受けたらどうしよう」という理性。 「反撃して職場の雰囲気悪くなったりしたら他の人たちに申し訳ない」という社会性。 「今逃げても明日にはまた職場に戻ってこなきゃいけないから…かといって会社辞めても他の会社に再就職できる保証はないし」という思考力。 そうしたものが「その場で耐える」という選択を取らせます。 しかしこれは、先に述べた理由で、動物として極めて不自然な選択なのです。 身体はストレスを与えてくる対象を前にして「闘うか逃げるか」の準備をしている。が、なけなしの理性がそれを踏みとどまらせる。しかしながら踏みとどまった所で、実際問題として「ストレスがなくなっていない(問題解決していない)」わけですから、その状態(職場環境や、パワハラしてくる相手の前にとどまる事)でいる間中、本能はずっと「ストレス」というアラームを送り続けています。 このように異常な状態に長く身を置くと、人は心や体に異常をきたします。非常事態下での緊張状態でいることは、それほどまでに人の心と体にダメージを与えます。例えば戦争状態の場所に長くいると「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」になりますが、これなどはその典型例だと思います。 心だけでなく、体にもとても悪い影響がでます。 戦闘モード…つまり「闘うか逃げるか反応」が起こると、それに必要ない能力はコストカットの対象になる、と先ほど申しました。コストカットというのは何かというと、シンプルに、そこ(臓器)に流れる血流が少なくなるという事です。健康を保つために必要な血液が不足した状態が続く事で、シンプルに臓器がやられるんですね。ですから、ストレスはこのように、ストレートに身体に悪いんです。 そのような「構造上の問題」があるので、他人に「いい仕事」をしてもらいたいのならば、「圧をかける事」は逆効果であるわけです。人間は、パワハラモラハラや「無駄な圧」をかけるとストレスを感じてパフォーマンスが下がる構造だからです。 じゃあ、他人に対してどうすればいいのか(どう接すればいいのか)。叱るや怒るじゃなくて、何をすればよい結果を生み出せるのか。これに関しては、とある複数の研究が参考になります。 「プロジェクトオキシジェン」 「プロジェクトアリストテレス」 というものがあります。これは「Google」という企業がおこなった、とある実験の名称なんです。 2009年頃から非常に長い年月をかけて行われた研究なのですが、その目的はなにかというと、生産性の高い「効果的なチームの条件」を調査して、定義づけることでした。つまるところ「どういう環境を整えると、人やチームは高いパフォーマンスを出せるのか」。Google社はこれを明らかにしたかったわけですね。 細かく説明すると長くなるので割愛しますが、この2つの研究の結果はどんなものかというと……「人がその能力を発揮するためには、心理的安全性が担保されている事が重要である」というものでした。 「心理的安全性ってなんじゃらほい?」って思いますよね。これまたざっくり説明すると…… ●「何かミスをしてしまったとしても、このチームならば大丈夫、解決できると信じられること」 ●「このチームメンバーはけっして自分をバカにしないし、罰したりなんかしないと信じられること」 これらを心から信じられる事が重要だ、とそういう事です。この「信頼」が、人のパフォーマンスを引き上げるのだそうです。 こう言われると「そりゃそうだろう!」などと思わず突っ込みを入れちゃいたくなる感じもありますが、いわゆる「GAFA(ガーファ)」…IT業界のトップに君臨する4つの巨大企業の頭文字をとった略称ですが、そのうちの1社であるGoogleが会社をあげて、長い時間とお金と人材を投資して行った研究の結果がこれ、というのは非常に興味深いです。 また、これとはまったく別の研究で、「高い生産性をほこる優秀なチーム」と「そうでないチーム」について調べた研究があります。その結果、この両チームの間に、ある「意外な差」があることがわかったそうです。それは何かというと、 ●高い生産性をほこる優秀なチームは「ミスの数が非常に多い」のに対して ●そうでないチームは「ミスの数が非常に少ない」のだそう。 あれ?「優秀なチームはミスが多くて、そうでないチームはミスが少ないの?逆じゃない?」そう思っちゃいますよね。これどういうことかと言うと… 優秀なチームはお互いを信頼している、つまりGoogleの2つの研究で言う所の「心理的安全性」が担保されているので、 ●「ミスした場合は、どんな小さなものでも報告する。何故ならばそれがチーム全体に響くミスの可能性があるから」 ●「そしてこのチームはどんな問題も解決できるから、早めに報告しておこう」 という事で、ミスの報告数が非常に多くなるそうです。そうすることで、それが致命的なものになりえると判断した場合は全員でそのミスのフォローに入る事ができる。 ですからはたから見ると「なんかミスばっかりなチーム」なわけですが、結果としては全体のクオリティは非常に高い物になり、優秀な結果を残す事になるそうです。何よりも、メンバーひとりひとりのモチベーションがとても高い。幸福度や仕事の満足度も非常に高いのだそう。つまり「活き活きと仕事をしている」という事です。 しかしながら「そうでないチーム」の方は、「心理的安全性」が担保されていない。つまりミスがバレるとリーダーやメンバーから叱られたり罵倒されたりするので、誰もミスを報告しない。その結果、はたから見ると「ミスが非常に少ないチーム」になるので、ぱっと見「順風満帆なチーム」であるが、その内情は、実は悲惨な事になっている。そして出された成果物も、非常に低いクオリティになっている…そういうお話です。何よりもメンバーがいつも戦々恐々としているので、意識が非常に低い。仕事に対するモチベーションもチームや会社に対しての好感度や忠誠度も非常に低いのだそう。場合によっては互いの足を引っ張りあったりもするのだとか。 この「優秀なチーム」と「そうでないチーム」をわけるものは何かというと、「リーダーの人柄」なのだそう。優秀なリーダーは、メンバーを叱ったり怒ったり恫喝したり圧を掛けたりせず、寄り添って真摯に対応する。しかし優秀でないリーダーはそうでなく、自分の保身のために、パワハラモラハラや無駄な圧をかけ続けるのだそう。 そのリーダーの立ち振る舞いの違いが、チームの中に「心理的安全性」を生み出すか否かをわける。その結果、成果物のクオリティが全く違う。と同時に「ミスの報告数」も全く違う、そういう研究でした。 こうした研究をいくつか並べてみてみると、「怒る行為」がデメリットだらけである事がみえてきます。世界的一流企業もこうした研究結果を残しているわけですから、ある一定の信ぴょう性はあると考えられます。マネしない手はありません。 具体的にどうマネをするかというと、これはGoogleが行った「プロジェクトオキシジェン」と「プロジェクトアリストテレス」における、とある結論が参考になります。 それは「みんなが少しずつ互いを気遣う事が大切だ」というものです。 「いやそりゃそうだろう」again。 しかしながら、Google社が時間とお金と人材を投資して研究をつづけた結果が「気遣いが大切なんだ」というのは、とてもとてもとてもとても興味深い。 まさかこんなシンプルな結論に至るとは…( しかしながら、言葉にすると当たり前なんですが……実現するのがいかに難しいかは、世の中を見渡してみるとわかってきますよね。でもこれを実現できるととても良い結果が生まれるようなので、是非ともできるようになりたいものです。 「気遣いができるようになる。」 社会がそれを実現できなくても、他の人がそのように変われなくても、自分がそれを目指さない理由にはなりません。佐原さんは他人に気遣いができる人になりたい。いや、なります!!ここで宣言いたします、私はそういう人になると。突然なぜ!?そんなことはいいんです、とにかくわたしはがんばりまーす!!! そんなわけでして、まさかの14回まだ膨らみましたが、これにてようやく一段落…と言いたいところですが…まだこのお話をする上で重要な議題と向き合っていない感じがするので、もうちょっと続きます。 というわけでまた次回! 今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました! それでは、またね!! 了 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

        祝・サハラジオ1周年!!(でした)

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          #13 それでも愛がキーワード

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「それでも愛がキーワード」 なんともう13回目です!!アニメでいえばワンクールだよ!!何してんだよ佐原さん!!まぁいいや!!! というわけで、前回の最後はというと。 扱い方が難しく、加減を間違えるととんでもない事になるリスクもある「愛」は、その事を理解した上で使うのであれば、けっこう有効かなーと思います、という所で終わりました。 今回はこのお話の続きとなります!!よろしくお願いいたしますー--!!! 第3回目で、「試し行動」の話をしました。 ●「自分をどの程度まで受け止めてくれるのか探るために、わざと困らせるようなことをする子供の行動のこと」です。 これはですね、言い換えると「愛の確認作業」であるわけですね。何故愛を確認するかというと、子供にとって親からの愛というのは非常に重要な意味をもつものだからにほかなりません。なんなら子供にとっては「親の愛」がすべてと言っても過言ではない。 この「愛」というもの。愛だ愛だと連呼しているとなんかふんわりしていますけど、この愛の話と言うのは、人間の生存本能とも関係しているお話なんですね。 例えば虐待されている子供。どんなに罵倒され、殴られ蹴られても、親の元を離れようとしない子供と言うのが居ます。いますというか、基本的にはそうらしいんです。 これは何故かと言うと「親から捨てられたら生きていけない」事を「本能として知っているから」なんだそうです。 「虐待されても生き延びる事」事と「見放されて死ぬ」事を天秤にかけたとき、本能は「生き残る」方を選ぶ。そのくらい「生存本能」というものは強力な本能なんですって。 そんな強力な「生存本能」が、子供に「親の愛を確認する」という行為をさせているのかな、と考えられると思います。 ちなみに、大人になってもDVなどパートナーから虐待を受けている人、いらっしゃいますよね。 DVを受けている人たちは、皆なぜか、そのパートナーから離れようとしません。「離婚して物理的に距離を離した方がいいのでは?」客観的にみてるとそのように思ったりもしますから、殴られながらも一緒にいるのが不思議に感じます。 これはですね、さっきの虐待されている子供のパターンと似ている心理現象でして…。これらは「ストックホルム症候群」や「トラウマティックボンディング」と呼ばれています。 何かというと、人間には「自分に危害を加える可能性のある人」「既に自分に危害を加えた事がある人」から「簡単に距離を離せない関係、ないし状況にある」場合、その人に対して「親身になる感情、つまり愛に似た感情が芽生える」という機能が付いている、という事を示したものです。 こうして「親身になる感情(愛のようなもの)が内側から芽生える」事で、「自発的に相手をこれ以上刺激しないようにする」と、そういう事なんだそう。なんなら「むしろ協力的になる」事で、「加害対象から自分を外してもらおう」とするのですと。 これもストレートに「人間の持つ防衛機能」。「つまり生存本能」という事です。 なぜ「内側からそんな感情が芽生えるの?」と不思議に思うかもしれません。 それはですね…。形だけ取り繕っても、バレたらもっとひどい目にあうかもしれないじゃないですか。ですから、「内側から親身になる感情を芽生えさせる」事で、ごく自然に、味方的な立ち振る舞いをさせようと、そういう事なんですね。 敵をダマすにはまず味方から。人間の中にある防衛本能が、自分すらだます事があるんです。とても興味深いですね。 DVされた人は、その「トラウマティックボンディング」や「ストックホルム症候群」が発症し、その結果「わたしがいなくなるとこの人は独りぼっちになってしまう。わたしさえ耐えれば」などと「自然と思ってしまい、その結果離れない」というメカニズムなんだそうです。 この気持ちは「愛」の一種ともいえます。(客観的には「いやそれは愛じゃなくない?」と思えますが、主観的に感じるその感情は、愛とあまり大差がないという事です。親身になる感情は愛の一種だからです。) ちなみに、こういう方も離婚などして物理的に距離を離し、もう会う必要がない状態になると、「なんであそこまで親身になっていたんだろう?」なんてDVを受けてる当時の自分に対して不思議に思ったりするそうです。これはその状況から解放される事で、ストックホルム症候群やトラウマティックボンディングが解けるからなんだそうです。 ちなみにこれはDVだけに限らず、組織内などで「パワハラ・モラハラ」された場合でも同じ心理現象が起こるそうです。「なんとかこの会社で頑張ろう。しがみついてでも残り続けよう」そういったある種の覚悟を持った人が、これら症候群になると。 つまりこの場合は、実際にはいつでも会社をやめられる状態にはあるのだが、「離れられない」あるいは「離れる事は許されない」などと自ら思い込むことで、パワハラモラハラ上司等に、ストックホルム症候群やトラウマティックボンディングが発症するとそういうわけですね。 「どう考えてもひどい扱いを受けているのに、何故かその人の味方をするような心持になったり、言動をしてしまう人」。そういう方がいらっしゃったら、このストックホルム症候群とトラウマティックボンディングを疑ってみるのもいいかもしれません…。 話を戻します。 とにもかくにもですね、子供であっても大人であっても「愛」というのが非常に重要になってくるわけです。そしてそれはストレートに子供の生存本能、生存戦略でありますよ、とそういうお話でした。 「ピグマリオン効果」と「ゴーレム効果」という物があります。 ざっくり説明すると、 ●ピグマリオン効果とは「他者から明確に期待される事により、仕事や学習などの能力が通常よりも向上する」事。 ●ゴーレム効果とは「他者から明確に期待されない事により、ある種期待通りに、仕事や学習などの能力が通常よりも低下する」事。 どうやら、人間には広く一般的にこのような現象がおこるようなんですね。 この現象は、対象が親族には限りません。赤の他人からでも、同様の効果がみられるそうなんです。でもそれは同時に、親族からならば、より高い効果を期待できるともいえるわけです。ピグマリオン効果も、ゴーレム効果も。こと、「親からの愛を求めている子供」ならば。 こういう研究結果もありますから、子供に対してはストレートに愛を降り注いでOKと。もこみちさんのオリーブオイル並みにたっぷり注いでも大丈夫なんじゃないか、と佐原さん思います。元ネタ知らない方は「速水もこみち オリーブオイル」で検索してみてください。 あとはそれが「親のエゴ」なのか「愛」なのか、方向性をきちんとメタ認知でもってして注意しながらやれば。あ、メタ認知というのは「自分を客観的にみる能力」の事です。 つまり、あふれんばかりの愛を子供に注ぎながらも「これは本当にこの子のためなのだろうか。私のエゴではないだろうか」と自問自答を続けるべし、という事です。べし……ぴょん。今のネタもわからない方は、「スラムダンク 深津一成(ふかつかずなり)」と調べてみてください。きっと答えにたどり着けるはずです。 突然、立て続けにネタをぶち込んですみませんでした( そんなわけで愛を惜しみなく注ぎながらも。子供が成長し大きくなって論理的な話し合いが可能になったら、愛一辺倒ではなくて、きちんとエビデンスベースの話し方にシフトするべきだと思います。もちろん、愛の熱量はそのままに。 社会に出ても感情論を振り回していたのでは色々と不都合がでてきますから、論理的な話し合いができるような年齢になったら積極的に会話の中にエビデンスを取り入れて、エビデンスという物に慣れ親しんでおくのがよいのではないかなーと思ったりしてます。 勿論子供だけでなく、相手が大人でも、親族ではなくて他人でも、愛とはいかないまでもその延長線上にある感情は持つべきだと思います。何故ならば、強度は違えど、愛の効果や影響の方向性は、人間皆同様だからです。 そんな事を考えているとですね、ますますもって、「改善要求に怒りって必要??」って思うわけですね。 真に相手に変化してほしいと思うのであれば、エビデンスをしっかり提示して、冷静に、誠心誠意向き合うべきなのではないかと。そして、そうしようとすると、そこに「怒り」の入り込む余地がないように思うんです。 怒りの感情のような激しい物は、事態の悪化を招く事はあっても好転する事はない、そう思うんですね。 そんなわけで、以上の理由で佐原さん的には「改善要求をすることに、怒りの感情いらないよね」という仮説を立てました。じゃあ何が必要なのかというと、「エビデンス」「人間性」「愛」と、そういう事なわけです。 でもこれでは「なぜ𠮟る時怒ったら上手くいかないのか?」という問いがまだ残ってる感じもします。 この話もし始めると話が長くなりすぎるので、次の機会にまわします!!! そんなわけでして、今回も最後まできいてくださってありがとうございました! それでは、またね!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #13 それでも愛がキーワード

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          #12 愛は扱いが難しい

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「愛は扱いが難しい」 12回目に突入!!もう言い訳はしません、今回もばりばりいきます!!! 前回では最後「愛って大事だよねー」というお話をさせていただきました。 しかしながら同時に「愛は取り扱いが難しい」というお話もさせていただきました。今回はここからいきますね!! 何故取り扱いが難しいかというと……基本的に「愛」を建前にすれば、一見、大抵の事が正当化されるような感じがするからです。 人の気持ちというのは他人からは決してわかる物ではありませんから、実際は違っても「これは愛のムチです!」と主張すれば、虐待やDVすらある種の正当性を帯びる。「叱る」とか「怒る」というのも「あなたのためをおもって」という枕詞を添えれば「仕方がない」感じがする。 「あなたのためをおもって」という言葉は「実際はあなたのためではない」、というのは多くの心理学や脳科学で説明されているところですし、虐待やDVに関しては、どういう心持だろうが法的に完全アウトなんですけど、「自分に対する、自分を正当化する理由」いわば「自分をだます」理由としては十分機能している感じがある。 この、客観的にみたらシンプルにアレな行為なんだけど「主観的には正義の執行である」という感覚に陥らせるのも、「愛」の難しさの理由のひとつです。 例えば僕が子供の頃住んでいた団地にはですね、いわゆる「教育ママ」的な有名人がおりました。毎晩毎晩窓を全開にして、「なんでこんな問題もわからないんだー!!」「この●●がー--!!!」と、一晩中大声で子供に対して怒鳴り散らしているそのお母さん。 今そんな事やったら直通でSWATを呼ばれそうな感じの行為ですが、このお母さんは、「主観的には愛ゆえにそのような教育法を取っていた」のだとも考えられるのです。 なぜそう言えるかと言うと、愛がなければそもそも「教育」という手間のかかる事に時間を割かないからです。愛してないならば放置しておけばいい。他人に対してなら「憂さ晴らし」でそういう事をやる人もいるでしょうが、親族にそれをするとは考えづらい。 ではなぜわざわざ怒鳴りながらもそんな事をしているかというと、それは愛ゆえになんだと思うんですね。 「勉強して良い大学に入って良い会社に就職すれば、きっと楽しくて幸せな人生が待っている。23歳まで頑張れば、その後ウン十年の人生をハッピーに暮らす事ができる。だからわたしは嫌われてもいいから、心を鬼にしてこの子の明るい未来のために、できる限りの教育を施さなくては。」 この様な事を考えて、そのお母さんはその「熱のこもった教育」をされていたのではないかと佐原さんは予想します。その理屈の「善悪」や「成否」は置いといて。 というか何なら、たびたび「私がいかに子供の事を心配しているか」をご近所のお母さん方に語ってらっしゃるの何度か見たことありました。もっというと、僕もそのお母さんにつかまって語られた事あります。僕は当時小学生だったんで、言われてもよくわかりませんでしたけど( 何が言いたいかと言うと、客観的には「え、大丈夫?」と思われるような事も、主観的には「愛ゆえの善行」だったりするわけで。 愛という物は、時として人にあやまった決断(や行動)をさせてしまうものです。 だからといって「愛があるからといって何をしても良い訳でもない」のもまた事実。「愛」は決して「免罪符にはならない」のです。 そしてまた、先ほどちらっと申しました「わたしは嫌われてもいいから」とか「恨まれてもいい」という考え方。これも非常に危険な考え方であると言えます。何故かと言うと、このような言葉を口にして他人に厳しくする人の中には一定数「怨みの恐ろしさ」について無頓着であるような気がするからです。無頓着という事はつまり、恨みつらみの持つデメリットを理解していないという事。 確かに場合によっては「見返してやる」という怨みの気持ちは強い原動力になりえます。しかしその力は「怨みが解決」したら、それ以降効力を発揮しません。 例えば「子供をいい会社に就職させるために恨みつらみの力を利用する」のであれば、その力は「就職した段階で効果を失う」わけです。 しかしながら。 当たり前ですが、会社に就職するというのは「スタート」なのです。そこから先もずっと努力して結果を出し続けなければならないものなのです。しかしそこに至るまでの道のりを「恨みつらみ」などの負の感情を原動力に頑張ってきたものだから、「それがなくなった今、今後の頑張り方がわからない」といった状態に陥ります。 社会に出て働き始めてからがいわば「本番」であるのに、本番に入ってから力を出せないのであれば、それは本末転倒です。 そしてそれ以上に、恨みつらみというのは、人間性をゆがめます。これが最大のデメリットです。 人間にとって大切なものは「希望」と「自尊心」と佐原さんは考えています。何故そう言えるかは長くなるので割愛しますが、恨みつらみというのは、この2つを他者から踏みにじられたと感じた時に感じるものです。 人間にとって最も大切なものを踏みにじられて平気な人はいません。仮にそれが「大義をなすため」だとしても、心が納得することはなく、またその踏みにじられた記憶は決して消えません。 こと「自尊心」は、その人の人間性を形作る上で非常に重要です。ここがゆがんでしまうと、他者へのコミュニケーションの取り方もいびつになり、また何かをなす時もその手段がゆがみかねません。 自尊心を踏みにじられ、消えない恨みつらみを心に宿した人は、人間性がゆがみます。そのような人が、学校や会社などの社会の中に入ると、他の人と軋轢を生みがちになります。 「敵意帰属バイアス」というものがあります。これは「他人の行動について、それを好意的ではなく敵対的と解釈してしまうこと」の事をいいます。例えば、目の前で人がこちらに聞こえない声で喋っている時「自分の悪口を言っていると思い込む」といった感じです。 この敵意帰属バイアスは「認知のゆがみ」のひとつと言われているのですが、何かを見聞きする度にこのような「誤解」をしていては、円滑で円満な人間関係を築くのは難しいでしょう。 人間性のゆがみは、このような認知のゆがみを引き起こすのです。 また、そのような「歪み」に染まってしまうと、絶えず「倒すべき敵」を作るようになります。「努力する事」と「恨むこと」が同居したまま頑張ってきてしまった人は、恨む以外の原動力がないので、それを得るために、恨む対象を常に探すようになってしまうのです。 このように「恨みつらみ」というのは、確かに原動力として機能する側面がありながらも、無視するには恐ろしすぎるデメリットが多くあるのです。ですから、安易に「恨まれても構わない」と考えるのは、おススメできないわけです。こと、その人に「幸せな人生」を送ってほしいのであれば。 ちなみに先ほど例に出した、佐原さんの地元のお子さん。 お母様から「愛ある教育」を受けたそのお子さんは、ある時を境に悪戯が目立つようになり、それがエスカレートした末、悪戯で緊急停止ボタン押して電車止めたりしてました。 お母様が実際のところ何を思ってそういう教育をされていたのか、今となっては確認が取れませんが、もし「愛ゆえに」「この子のためを思って」やった結果がこれだったとしたら………うーん。 「いたずらのプロフェッショナルとして飯を食える人を育てる」「いたずら系ユーチューバーとして世界を席巻」みたいな目的の元にその教育を行ったならば、目的と結果が結びついていると言えなくもない。 ですが、もしその「愛ある教育」によってこの結果を「もたらしたかったわけではない」のであれば、その「教育方法」について考え直してみるべきなのかもしれません。 しかしながらですね、このような、客観的にみたらDVや虐待、モラハラパワハラにしか見えなものというのは、やり方として間違っている事はわかるが、状況証拠を集めて裁判でもしない限りその間違いを本人に認識させるのはなかなかに難しい。 何故ならば、第三者が結論を出す裁判の様な場でない、個人間の話し合いでは「愛だから!」「その人のためだから!」と主張し続ければ、論破される事はなかなかないからです。何故ならば、「他人の心は分からない」以上、「それが愛じゃない証明」をするのは難しいからです。 そのように、結局のところ使い勝手が良すぎる「愛」という言葉。 使い勝手が良すぎるだけに、使い方には注意が必要だと佐原さんは思います。 そんな、扱い方が難しく、加減を間違えるととんでもない事になるリスクもある「愛」は、その事を理解した上で使うのであれば、けっこう有効かなーと思ったりはしております。 何故かと言うと……この話もまた長くなりそうなので、次に回します!! 今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました!! それでは、またね!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #12 愛は扱いが難しい

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          #11 7つの社会的罪が指し示すもの

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「7つの社会的罪が指し示すもの」 とうとう11回目!!!こんなこと誰が予想したでしょう!! とある番組に触発されて、佐原さんの趣味の話が爆発してからはや11回!! 毎度お付き合いくださってるあなた、本当にありがとうございます!!! ってなわけでさっそくやっていきますよ! 前回までの10回で、「そもそも怒りの感情いる?負の感情はなくてよくない?」と幾度となく申してまいりました。しかしながら、「怒りがない」だけでもなんだか不都合が起きる気がしてなりません。 じゃあ何が必要かというと、「愛」に準ずる感情、愛の延長線上にあるものであると。そうでないと、やはり人さまの気持ちを動かせないような気もするのです。 そこでキーワードになってくるのが……というのが前回のお話。 この続きからいきますね!! 佐原さんが好きな言葉で「7つの社会的罪」というものがあります。これはインドで指導者として活躍されたマハトマ・ガンディーさんの言葉です。具体的には… ●理念なき政治 ●労働なき富 ●良心なき快楽 ●人格なき学識 ●道徳なき商業 ●人間性なき科学 ●献身なき信仰 これ等を「7つの社会的罪」と、そうガンディーさんは仰っているのですね。(ちなみにこの言葉、ガンディーさんのお墓にも彫ってあるそうですよ。) このうちの「労働なき富」だけ少し毛色が違う感じがしますが、他の6つは要約すると……「何をするにも人間性が伴わなければならない」という事かなーと思います。 これを引用すると「叱るという行為も、人間性を伴わなければならない」そのように言えると思うんですね。 はい、今回のキーワードは「人間性」でございます。 しかしながら、実は佐原さん。こうした格言やら名言やらコトワザのようなものは、普段あまりあてにしていなかったりします……。何故ならたいていの場合、その言葉と逆の意味のモノがありますから、「結局何とでも言えるじゃん!」なんて思っちゃうわけでしてね。 例えば「老いたら子に従え」と「老いたる馬は道を忘れず」とか。 「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と「君子危うきに近寄らず」とか。 「好きこそ物の上手なれ」と「下手の横好き」とか。 「二度ある事は三度ある」と「三度目の正直」とか。 「善は急げ」と「急がば回れ」とか。 調べると枚挙にいとまがない!! ことわざって調べて行けば行くほど「結局、すべての可能性あるよね」という答えに行きつく。そんなわけで、あまり格言的なものは、わたくし信用しておりません。 実際、1年以上続けているこのサハラジオ内で、コトワザやら格言やらを根拠に論を展開した事、一度もないと思います。あったらごめんなさい( 何故ならば、ことわざや格言を調べていった結果、自分の考えを説明する時に「それらはなんらエビデンスにならない」事がわかってしまったからです。 逆に言うと、ことわざや格言を例に出した場合は、前回の10回目でいう所の「自分に都合のいい資料集め」をしたからだという事だと考えられます。自分に都合の悪い資料にも目を通すと「必ず反対の意味のことわざや格言が出てきてしまうから」です。 そのような理由で、佐原さんはことわざや格言などの「それっぽい言葉」を基本的に使いません。まぁ…「わかるー!」と共感したり「かっこいいー」と憧れたりはめっちゃするんですけども、その内容を吟味すると…ね( が、そんな佐原さん。ガンディーさんのこの言葉「7つの社会的罪」はとても好きなんですね。何故かと言うとですね、実際今の世の中を見渡してみると、世がまさにこのガンディーさんがおっしゃったような感じになってきているからです。 昨今、「誹謗中傷」なるものが問題になっております。この言葉、聞いたことがない人はほぼ居ないと思います。ニュース番組でもネット記事でも討論番組でも、様々なメディアで、様々な形で取り上げられてきたこの「誹謗中傷」問題。 これってなんとなーく「日本人の抱える問題」と捉えてらっしゃる方、いるかもしれません。実際、これを例に「日本人は同質的だから個性を許さない」「日本は村社会」といったような、日本批判に使われている場面を散見します。 でも実はこれ「世界の問題」なんですね。 日本では「誹謗中傷」と言われておりますが、海外では「キャンセルカルチャー」だとか「指殺人」などと言われておりまして、ずいぶん前から問題となっているんです。実際、アメリカでは数年前に、オバマ元大統領が誹謗中傷(キャンセルカルチャー)について苦言を呈した何てことがありました。 また、この誹謗中傷を受けた末、心が傷ついて自殺をしてしまった……という著名人、実は世界単位でみると予想外に多い。日本だけでなく、アメリカでもイギリスでもフランスでも、驚くほど多くの自殺者が出ています。1人2人ではないんです、この数年で何十人も亡くなっているんですね。なんとか自殺手前で踏みとどまった方でも、心を病んで活動休止に追い込まれた方も、とても多くいるのだそう。 その中には「まったく悪い事していないのに謎の誤解をされて批判にさらされている人」も数多くいらっしゃるようなんですが、「倫理的によくないよね」という事をした著名人なんかは、顕著にその標的になっているようです。 この流れは非常に興味深い。 もちろん「悪い事をしてないのに誹謗中傷にさらされる」というのはあってはならないと思います。これに関しては早く法整備をし、素早く検閲できるようなシステムづくりをして、罪なき人を守る仕組みづくりを整えていただきたいところ。 興味深いのはそこではなくて「倫理的に良くない事をした人は、優秀な人であってもその地位をはく奪される」という昨今の流れの事です。 というのもほんの少し前まで「なにかしら優秀な結果を残した人、あるいは能力を持っている人は、人間性に問題があっても問題ないよね。だって優秀なんだもの」といった形で、その人間性に関しては黙認されていたように思うからです。 例えばアーティスト、タレントさん、芸人さん。「古き良き時代の著名人たち」の多くは、その私生活は相当やんちゃだったなんて話があって、その逸話もいまだにあちらこちらで語られたりなんかして。その中には「今同じことをやったら大炎上するのでは?」なんてものも少なくありません。 学者さんなどもそうです。あの超有名な、その分野を次のステージに押し上げたあの方も、実はDVで離婚していたり子供を虐待していたり、なんて話があったり。 「さっきから誰の事かさっぱりわからん」と思われた方、ごめんなさい。そこらへん(具体的な人物名)を明確にするのもどうかなって思いましてね…( とにもかくにも、ほんの少し前までは「優秀な人はどこか変わってるもんなんだよ」そう世間様が許してくれていた感じがします。 しかしいつからか……まぁ…個人的には具体的な事例は思い浮かんでいるんですけど、こちらも言うのはやめておきますが……明確に、ある時を境にそうではなくなった感じがします。 そしてそれからというもの、今ではすっかり、著名人は「一芸に秀でていることは当然のことながら、人間性も伴っていないといけないよね」となっている感じ。ことメディアに出る人は顕著に、いわば「人間の完全上位互換でなければならない」そのようになってしまいました。何故ならば「影響力がある」らしいから。 人間の完全上位互換というのはつまり、何かについて凄い技術や知識を持ち、実績をもち、その上で人間性も大変よろしい、という事です。これを人間の完全上位互換と呼ばずになんというのか。非の打ちどころがなさすぎてもうね( ここで「それは日本だけの話では?海外では今も能力主義ですよ」そう思われた方、いらっしゃるかもしれません。実際そのような意見をご意見番的な方がメディアを通じて発信しているところを散見します。 しかしながら、例えば海外のスポーツ選手や芸能人。どんなに素晴らしい功績を残した人でも、不倫やDVといったいものだけでなく、マスクせず公共交通機関を使った事で世界中からバッシングされたりします。その結果大会に出られなくなったり、番組降板させられたりね。スポンサーもそういう事があるとさーっと離れていく。 まぁ中には「反省している態度を信じる」と言ってスポンサードを継続したりする企業もあったりもしますが、それはやはりマイノリティ。 海外が本当に能力主義なのであれば、このような事例でバッシングされたりペナルティーを課せられたりはしないと思うわけです。 他にも例えば「#MeToo」運動や「Time's Up」運動。 この「#MeToo」の原型は実は2007年からあったそうですが、これが世間に認知されるようになったのはその10年後、2017年でした。アメリカの超大物映画プロデューサーによるセクハラを、俳優が告発した事から有名になり世界に広がった「#MeToo」運動と「Time's Up」運動。 もし海外が「能力が高ければ人間性がアレでも問題ないよね」という価値観が社会通念だとしたら、そもそもこのような大きな運動に拡大しなかったと考えられます。 これ等運動の発端となった映画プロデューサーは、業界内では非常に地位の高い有名な人物だったそうで、その影響力は絶大だったとか。つまり、その側面(仕事関係)においては、この映画プロデューサーは優秀な人であったと言えるわけです。優秀でないとそもそも影響力を持てるポジションにつけないですからね、たぶん。 「能力が高ければ人間性には目をつむる」のが海外の社会通念であれば、世論がこのプロデューサーを守るはずなんですね。 ですが現実はと言うと、世論の圧と各種運動を通じて、最終的には逮捕されて刑務所送りとなりました。 そしてこの例は、同時に「一昔前までは、能力が高い人はわるさしても仕方ないよね」が社会通念であったことの根拠であるともいえます。今回問題視された、この映画プロデューサーのパワハラセクハラは「相当前から続いていたものだ」という事がわかったからです。 そのような映画プロデューサーの行為を周囲が知らないわけがありません。一度や二度ならばバレずにすむかもしれませんが、「長年」「常習的に」やっていたのだとしたら、隠しようがないからです。それは、ずっと業界が「能力第一主義」でプロデューサーを守り続けていたという事であり、つまりは「能力が高い人は人間性がアレでも仕方ない」が通念であったと言えます。 この件が、世界的に意識が変化してきた根拠のひとつと言えると思うのです。 他にも、とある外国の知事の方がセクハラパワハラ問題で辞職した、なんてことがありました。 この知事の方も、仕事面においては大変優秀だったそう。しかしながらその方も、セクハラとパワハラが明るみに出たことで辞職を余儀なくされました。こちらも「能力が高ければ倫理的にダメな事しても許されるよね」が社会通念であれば、このような結末にはならなかったと思います。 これ等の事例から、一昔前まで主流であった「能力第一主義」から「人間性が伴ってこその能力」という風に価値観がかわってきたと、佐原さんは考えます。つまり「一芸に秀でてるだけでは不足で、人間性も伴っていなければならない」そのようになっているように思うんですね。 それが良い事なのか悪い事なのかの議論は他の方にお任せしますが、この現状はまさに、ガンディーさんが1世紀前におっしゃった「何をするにも人間性が伴わなければならない」という状態になっているんじゃないかなーなんて、佐原さんは思うんです。 もうこの現状、正直佐原さんはびびりまくっております。何故ならば私は、とてもアレな人間であるからです。知識もなければ経験も浅い、思考力もない。実際勉強がまるでできない。そして性格に関しても、自分と仲良くなった人からは必ず「どっかおかしい」と言われる始末。こんだけ知人から「おかしいおかしい」と言われるという事は、きっとおかしいんでしょう。おかしいんです。でもおかしいって言われるとちょっと嬉しい。そんなところがまた……といった感じの無限ループ。まぁそんなわけで、戦々恐々としているわけです( まぁとにかくですね。 今現在、社会はこのガンディーさんが1世紀前におっしゃった「7つの社会的罪」に対して大変厳しい世の中になってる感じがします。実際、企業としてのコンプライアンスも強く求められる中、近年では「個人のコンプライアンス」も求められるようになりました。 これは先ほどの「著名人やプロフェッショナルという人たちの在り方」を問われているのと同時に、「そうでない人の在り方」も問われているように思うんです。何故ならば、社会の中で生きていく限り、ほとんどの人は「影響力」を持つ立場になる場面があるからです。 「自分の影響範囲内・影響範囲外」という考え方があります。 これは「7つの習慣」という、自己啓発本のバイブルとも呼ばれる、全世界で3000万部売り上げた名著の中にも書かれている考え方です。 いわく、「人には影響範囲というものがある。影響範囲外の事はどうすることもできない。影響範囲内の事であれば変えられるが、そのように変える権力を行使できるかわりに、範囲内の事はすべて自分が責任を負わねばならない」そうです。 分厚くて読む分量が多くて大変ですが、その実とても読みやすく面白い本なので、読んだ事がない方はぜひ読んでみてください。 んで、その影響範囲内とは何か。 例えば「後輩」「子供」「部下」「生徒」。これらは全部影響範囲内です。何故ならば、自分が決定権を行使できる立場にあるからです。 つまり、著名人だけじゃなくて、誰もが「影響力のある人」になりえる。その範囲が比較的広い人の事を「著名人」と言うだけで「影響力を持つか持たないかの話」だと、大抵の人は「影響力を持つ側」になるんですね。(今は持たなくてもいつか持つ場面が来る) そうなると、先ほどの「人間性が伴わなければ」の話は、ほぼすべての人類に対して言えると思うのです。無人島で一人暮らししてる人以外は。 佐原さんはもういっそ、一生子供でいたい。そんな責任負いたくない( しかしながら、自分が望む望まない認める認めないに関わらず「生きていくという事はどうやら責任を伴うという事」みたいなのです。 覚悟を決めろよ、佐原さん…( そして今世間様が「人間性が伴わない人」を「許さない」という風潮があるのだとしたら、人間誰しもが、否が応でも「人間性」というものと向き合わざるを得ない、そういう風に思うんです。 一昔前では、その仕事に適性のある能力を持っていれば「有能」。持っていなければ「無能」とされました。その能力の有無だけで人が評価された時代だったわけです。 今もその部分では変わりはないのかもしれませんが、それとは別にもう1つ、新たな基準が生まれた事を見逃してはなりません。 その基準が「人間性」なのです。 その仕事に適性のある能力を持っていても「人間性」が伴っていないと、ある映画プロデューサーやある知事のように「それを理由にその場をおわれる」事になる。 自分の人間性が原因で「自分の能力を発揮できる場所にいられなくなる」のだとしたら、それは、結局のところ「無能」と変わらないんですよね。理屈上は。 このような変化が良い事なのか悪い事なのかはさておき、現実問題として、どうやら世界の流れはこのようになってるみたいなんですね。 ガンディーさんが1世紀前に残した「7つの社会的罪」。要約すると「何をするにも人間性が伴わなければならない」。この考えが顕現したかのような現代社会。社会の中で生きていく以上、どうやら私たちは、この言葉を意識しておいた方がいい気がしてなりません。 この「人間性」という言葉。広辞苑曰く「人間らしさ」という身もふたもない、それ以上でも以下でもない意味なんですが、ガンディーさんのいう「人間性」には、なんか別のニュアンスも含まれているような感じがしますね。 それはきっと「愛」なのかなーと予想。つまり「人間らしさ=愛」と解釈しているのではないかと勝手に思ってます。間違ってたらごめんなさい。 しかしながら、「人間らしさ=愛」とまではいかないまでも、人間性というのは、愛の延長線上にあるもののような気がします。感覚的な話でごめんなさいですが、世間様ではそういう使われ方をしているような気もするのです。 色々と長くしゃべりましたけど、「愛」って大事だよねっていうそういうお話でした。 でもこの「愛」というのもまた難しい。取扱注意の危険物な気がしてなりません。何故ならば……… という話をしだすと長くなるので、次回にまわしまー---す!!! 今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました!! それでは、またね!!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #11 7つの社会的罪が指し示すもの

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          #10 そのエビデンス、本当にエビデンス?

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「そのエビデンス、本当にエビデンス?」 はい、今回10回目となります…。というわけでさっそくいきますよ!! 前回は 「エビデンスも使い方を間違えるととんでもない事になるよ」というところまでお話させていただきました。今回はこの続きからいきますね!! 1回目から佐原さんが度々口にしてきたこのエビデンスというモノ。扱い方を間違えるとこれまたとんでもない事になる。 半歩間違えると「ひたすら理詰めで相手を責める」みたいな事になりかねません。 「怒りながら論理的に説明する事は、人体の構造上難しい」と8回目あたりで申しましたが、これは即興(アドリブ)の話であって「事前に集めておいたエビデンスを放出する」のであれば、怒りながらでも可能なわけですね。 5回目で、GADHA(ガドハ)のお話をさせていただきました。 GADHAとは「パワハラ・モラハラ加害者の会」の事ですが、その代表である「えいなか」さん。この「えいなか」さんこそ、この「エビデンスベースのパワハラ加害者であった」と、ご自身自ら語っておられます。 それによると…エビデンスベースのパワハラをする方というのは 「気になる事、他人に直してほしい事があると、自分の気持ちの正当性を証明する材料(エビデンス)を集め、資料にまとめる。そしてその資料に基づいて、相手に怒りをぶつける」 のだそうです。 確かにこうすれば「エビデンスベースで怒る」という事が可能になります。 実際に加害者ご本人がそうおっしゃっているのもあって、「エビデンスを提示すればいい」わけではない事はどうやら間違いなさそうです。こういう場合もあるので、佐原さんは1回目から「そもそも怒りとかいる?」と、感情面のお話もさせていただいているんですね。 なぜ「怒りがいらない」か、この「えいなか」さんの例で申しますと…「怒り」があると「上手くエビデンスが集められないから」です。 どういう事かというと「自分の論を正当化するために有効なエビデンスだけ集めておりませんか」という事です。言い換えると「自分の論が揺らぐようなエビデンスを、意識的無意識的関わらず排除してしまっていませんか?」と、そういう場合も中にはありそうだぞとそういうお話です。 何かについて考えだす時。大抵の場合、まず「仮説を閃く事から始まる」と思います。何故ならば「考えだすにもとっかかりが必要である」からです。 その上で、その仮説を立証するために関連しそうな資料を調べていくわけですが、資料を集めて考察した結果、最終的には「最初に閃いた仮説とまったく異なる結論になりました」何てことがあります。 「あります」というか、佐原さんの場合はそういう事めっちゃあります。なんなら自分が最初に閃いた仮説が証明された事の方が少ないです。 どんだけ佐原さんの直感は使い物にならないんだ。まぁ僕は頭悪いんで特別そうなのかもしれなくて、世間の皆様はそうじゃないかもしれませんが( とにかく、エビデンスを集めるにも、そのように「不都合な事実を排除しない」事は絶対に心がけるべきだと思うんです。なるべく中立に、中立にと。求めるものは「自分の論を正当化する事」ではなくて「真実」であると、その意識を持つことが大切です。 「もしかしたら間違っているのは自分かもしれない。改めるべきは、実は自分かもしれない」その可能性を常に頭の片隅に置いておくことが大切だと思うのです。 そもそもの動機が「相手が間違っているという先入観」が出発なのですから、その反対である「自分が間違ってるかも」を意識するくらいしないと、バランスが取れません。 「自分の論の正当性を証明する根拠」を求めた途端に、集めた資料(エビデンス)には色が付きます。そのような色のついたエビデンスに基づいた理屈は、不都合な事実が排除されたモノである可能性が捨てきれませんから、実は破綻している可能性がある。 じゃあエビデンスになるべく色をつけないためにはどうすればいいかというと……真摯に誠実になる事です。 エビデンスに色を付けないためには、資料集めの段階で、前頭葉をフル活用して、論理的に、冷静に、真摯に集めざるを得ません。 色のない資料集め、つまり「中立な資料集め」をするためには冷静さと思考力が必要不可欠ですから「前頭葉が機能低下し思考力が落ちた状態」つまり「怒りながら」では、エビデンスを構築するための資料集め自体上手くはいかないのです。 そう考えると、例えその「お叱り」がエビデンスベースだとしても、怒ってる時点で、持ち込んだエビデンスには正当性が乏しい可能性があると言えるわけで。 結局のところ、他人に改善要求する全プロセスにおいて、例えばエビデンスを集める段階でも、そこから考察する段階でも、実際相手に改善要求を求める段階でも、徹頭徹尾「その怒り、いる?」に立ち返ってくるわけです。 そもそも論、散々今まで心理学や脳科学の分野で「怒り」のデメリットが、特に「人間関係においていかに問題を起こすか」は研究で証明されているところでして、それを調べて資料に入れていない時点で、そのエビデンスは不足であると言えます。つまり「怒っている自分を疑うことなく肯定している」時点で、そのエビデンスの科学的根拠が揺らぐという事です。 しかしながら難しいのは叱られる側。 例え相手が提示してきたものが突っ込みどころだらけのエビデンスであったとしても、それを即興(アドリブ)で論破するのはなかなか難しいと思います。 特に「立場の上と下」がある関係で、下の人が「意義あり!!」なんてどっかで聴いた事のあるような口上を皮切りに、小気味良く論破するなんてまず不可能。例えエビデンスに穴を見つけられたとしても、今後の事(上司からの報復)を考えると恐ろしくてできません。 それに、そもそも大抵の場合は、穴に気づく事すらないと思います。「怒りの感情をぶつけられると人は思考力が低下するから」です。思考力が低下した状態では、気づける事も気づけないわけです。 そうなると、エビデンスベースで叱られる側は、いよいよもって逃げ道がなくなります。逃げる事も闘う事もできず、ただただ「感情論」と「一見それっぽい理屈」をぶつけられるサンドバックと化します。 楽しいのは殴っている方ばかり。殴って発散したストレスは、数倍の重みを帯びて、殴られている側に蓄積されます。 殴られる側は、感情面でも理屈面でも逃げ道がありません。そのように、心も体も逃げ道がなくなってしまったら、次の段階は「心身を病む」。このフェーズに入る可能性がある。 これは大問題です。 だからこそ、「叱る」行為に「そもそも怒りの感情いる?負の感情はなくてよくない?」と申しているわけでして。何故ならば、「怒り」のような「負の感情」が「改善要求」にくっついているのがそもそもの問題なのだから。 しかしながら、「怒りがない」だけでもなんだか不都合が起きる気がしてなりません。そこに、「愛」に準ずる感情、愛の延長線上にあるものがないと、やはり人さまの気持ちを動かせないような気もするのです。そこでキーワードになってくるのが…… はい、長くなりそうな気配がするので次回に回します!!! 今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました!! それでは、またね!!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #10 そのエビデンス、本当にエビデンス?

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          #9 改善要求をする時になくてはならないモノ

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「改善要求をする時になくてはならないモノ」 はい、今回9回目となります…。10回目がみえてまいりましたね…。いったいいつまでこの話を続けるつもりなのかというと……それは、終わるまでです! そりゃそうだ。 というわけでさっそくいきますよ!! 前回は 「諭す事は難しいが、だからといって改善をあきらめてはいけない相手」、例えば子供を前にした時はどうすればいいのか?と疑問を投げかけたところで終わりました。 例えば、「他人の所有物は大切に扱いなさい」とか、「道路に飛び出したらいけません」とか、「危険な場所には入っちゃいけません」とか。こと「命や健康」に関わる部分は、なんとしてもわかってもらいたいもの。 しかしながら。 佐原さんがこれまで散々申してきました「諭す」はうまくいかなそう。何故ならば子供にはエビデンスを理解するのは難しいから。大人でもよくわからない事あるんだもの。子供にとってはもっと難しい。 かといって感情的になって怒鳴っても、心理士・村中直人先生いわく効果はないと。正確には「条件を満たせば限定的効果はある」が、デメリットが多すぎると。その上、下手したらまわりから虐待と言われかねない。今は世間の目が厳しいいいいいいいい。 いや世間の目だけじゃなくて、なんなら法律で罰せられる事すらありえます。 2020年4月1日より施行された、親権者等の体罰を法律で禁止することなどを定めた「改正児童虐待防止法」。 この法律が言う所の「虐待」には「物理的な暴力」だけじゃなくて「心の暴力」も含まれているんですね。例えば、子どもの存在を否定するようなことを言ったり、心に傷を与えるような事を言ったりすることも、虐待とされているわけです。 物理的に傷をつけるのはもってのほかとしても「相手の心を傷つけるもの」というのは、なんとも難しい。物理的な傷は、どんな人でもだいたい同じ方法で傷がつくので、何をしたらいけないか判断しやすいのですが… 心の傷に関しては、何が心を傷つけるかは相手の個性に依存します。「自尊心」を否定するような物言いをすれば心に傷がつく事は間違いないですが、何が相手の自尊心を傷つけるかがわからない、という事です。 おまけにその傷は目に見えないので、相手が我慢して平静を装えば、加害者側は傷つけた事に気づきません。また、明確に相手が傷ついていたとしても、加害側の共感能力が低ければそれに気づきません。 目に見えない傷と言うのは、このように扱いが難しいのです。 じゃあ子供相手にはどうすればいいのか………と言うと。 これまでならば、この下りの後は何だかんだそれっぽい事を言ってきた(つもりの)佐原さん。ですが正直、この問題に関してはいい仮説がまだ出せておりません。 ないのかよ!!こんだけ引っ張ったのに!?ごめんなさい、わかりません。だって、専門家じゃないんで( 元も子もない事言いましたけど、でもそんな中でもおぼろげながら思っているのは……「いかにわたしがあなた(子供)の事を大切に思っているか。つまり愛しているか」それをひたすら子供に感じさせながら、そして同時に自分も感じながら、話をするほかないのかなーとか思っていたりします。 急にスピリチュアルな事言い出してすみません( でも、そのくらいしか手立て無くない?と思ってしまっている現在の佐原さん。 また、場合によっては「叱る」も有効なのかもしれません。 ここに来て急な手のひら返し。どうしたどうした。 第1回目でもお話しましたが……「叱る」には、「相手から信頼されている」という条件を満たせば、限定的な効果があるとは心理士・村中直人先生の弁。その効果とは「危機介入」と「抑止力」、この2つですと。くわしくは1回目を参照!! そのように、叱るにも限定的な効果がある事もまた事実。しかし叱る行為には強いデメリットがありますから、「ここぞという時以外は極力やらない」とか、「アフターケアをかかさない」など、注意が必要です。 …しかしながらこれって結局のところ……「愛が大切ですよね」って事な気もしてきます。 何故なら、きちんと「叱る」のメリットとデメリットを理解し、そのうえそれを実行する場合はアフターケアも忘れない。こんな丁寧に「叱る」を繰り出す人、愛がなくちゃできない感じします。 「諭す」にしてもそうです。相手が受け取りやすいように環境や雰囲気を整え、理解しやすいように言葉を選ぶ。「愛」がないのにこんな面倒な事できるでしょうか。 つまるところ、相手が子供の場合に限らず、相手に改善を求める時には、やはり「愛」というものは欠かせないような気がしてなりません。 しかしながら、自分の子供ならいざ知らず、赤の他人に愛情を持つことはなかなか難しい感じがします。が、何も、子供に対するレベルの愛が必要なわけではありません。 「愛のカテゴリに入ってそうな感じ」レベルの気持ちで十分だと思うんですね。 例えば「真摯で誠実な態度」。これを示す事も、愛の延長線上にあるもののように思うんです。なんだろう……いわば「人間愛」みたいなものといいますかね。 これが根底にないと、改善要求というものは上手くいかないような気がしてなりません。 何故なればそれがないと、対応が乱雑なものになってしまう感じがするからです。そして人間と言うのは敏感な生き物ですから、そのような「雑」を、敏感に感じ取ってしまうのです。 雑に扱われて嬉しい人間はおりません。ですから、そのような乱雑な対応では相手の心変わりを促す事はできないでしょう。相手の心がこちらに向いてくれないと、どんな良い事を話しても心に届かないですからね。 佐原さん、第1回目とか2回目で、「怒りなどの負の感情は不要」という事と、「エビデンスが必要」という事を申しました。 これらがいかに大事か、とりわけエビデンスがどれだけ重要か、これまで長々と説明させていただきました。とにもかくにもエビデンスだと。まるで「エビデンスさえあれば万事解決」のような物言いです。 しかしながら。当たり前ですが「これさえあればおーるおっけー!」というものは(世の中に)なかなか存在しません。それは、このエビデンスも同じことです。 このエビデンスというモノ。扱い方を間違えるとこれまたとんでもない事になるんですね。どうとんでもない事になるかというと……はい、この話も長くなりそうな気がするので次回にまわします!! 今回のテーマ「改善要求をする時になくてはならないモノ」とは何かというと、「愛」でした。「人間愛」ね! というわけで最後まできいてくださってありがとうございました!! それでは、またね!!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #9 改善要求をする時になくてはならないモノ

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          #8 [怒る]と[論理]は人体の構造上両立できない理由

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「[怒る]と[論理]は人体の構造上両立できない理由」 8回目!!この連載8回目ですよ!!どー--なってんだー---!? はい、前置きは短く、どんどん先に行きたいと思います!! 今回もどうぞ、お付き合いくださいませ!!! 前回(7回目)の最後はどんなお話だったかというと。 エビデンスというものが何なのかをしっかり理解し、使いこなせるようになるまで、エビデンスベースの思考法をしみ込ませることが大切である。 そして、エビデンスに基づいて考えるという事がどういう事かわかってくると……「怒ったり叱ったりする必要がない」事がわかってくる。 なんなら、相手に受け取ってもらえるようにしっかり丁寧に、真摯に、順を追ってエビデンスに基づいた説明をしようとすると、怒りの感情が「邪魔」だとすら感じる。 何故ならばエビデンスベースで話をするという事は、論理的に話をするという事であり、論理的に話をするという事は、前頭葉を酷使するという事だからである。 この「前頭葉を使って論理的な思考をすること」と「怒る事」と言うのは、相性最悪である。 ……ここまでが前回のお話でしたね!!今回はこの続きです!! 何故ならば……うん。第1回~7回を聴いて下さった「ちょっとどうかしてるあなた」はお気づきかもしれません。 そう、前頭葉には「怒りを鎮める機能が付いている」からです。なんなら前頭葉は「怒りを鎮めるために発達した機能」なんです。ここら辺のお話は第3回の時にさせていただきました。もしまだ聴いてない(読んでない)方がいらっしゃったら、ぜひ3回目をどうぞ!! そしてこの前頭葉は、怒りを鎮める機能以外に「思考力」にも関係してくるんですね。 ここら辺をちょっと一度まとめると…… 「前頭葉が機能すると、怒りが静まって、思考力が上がる。」 逆に 「前頭葉の機能が低下すると、感情のストッパーが働かず、また思考力がさがる。」 そういう事ですね。 そんなわけで「怒り」というものと「論理的な思考」というのは「人体の構造上、同時に行いづらい」んです。 もう一度言うと、「怒ったり叱ったりしている人というのは、怒ってる時点で前頭葉が働いていない」ということであり、前頭葉が働いていないという事は「怒り等の感情のストッパーが機能していない」ということであり、また「論理的な思考ができない状態である」という事なのです。そして論的的思考ができていないという事は「いま怒りながら発している言葉はエビデンスが不在の感情論である可能性がとても高い」とそういうお話です。 そんな人体の構造がありますから、心の底から相手にわかってもらおうとエビデンスベースの「諭す」をしようとすると「怒り」は邪魔でしかないのは自然な事なんです。 佐原さんがこの第1回から通底して提案させていただいている「その怒りの感情いるのかい?ただ真摯に諭そうぜ」と言っているのは、こういう理由なんですね。 諭せれば、相手が大人であればたいていの場合、話を聞いてもらえます。ちゃんとしたエビデンスを用意して、その上で負の感情を捨て去り、ただただ真摯に誠実に諭す。その上でダメな場合は、相手が性格的にアレな人か、論理的な話を理解できないほどソレな人なのか、という事になりますので、あきらめましょう!! その場合は、今度は別の問題が浮上してきます。その相手がいわゆる「ダークトライアド」というものに属している人の可能性があるからです。 ダークトライアドとは心理学の用語で「マキャベリスト」「サイコパス」「ナルシスト」、そして近年では(そこに)「サディスト」も加わって、簡単に言えば「性格がとてもアレな人」の事を指します。「性格がとてもアレ」じゃまったくわからんわいって話なので、もうちょっと別の視点から説明すると……「極度に利己的な人」という事です。 現状の心理学では、ダークトライアドに対して有効な手立てはなく、遭遇した場合の解決法は「距離を取る」この一択のみであるとされておりますので、基本的にどうしようもありません。専門家もお手上げ状態なわけですから、素人の我々は潔く諦めて、距離を取りましょう!できるだけ!! しかしながら、「諭す事は難しいが、だからといって改善をあきらめてはいけない相手」というのがいます。例えば、相手が子供の場合ですね。 エビデンスを子供が理解するのは難しいですから、諭すのはうまくいかなそう。かといって感情的に怒鳴っても効果は薄いし、下手したらまわりから虐待と言われかねない。 これは非常に難しい問題です。 じゃあ子供相手にはどうすればいいのか………このお話をするとまた長くなりそうなので、次回に回します!! 次は9回目ですか……うん、なんかもう、10回こえそうですよね。 ごめんなさいね、同じ様な事ずっと喋って。でも佐原さん、この手のお話するの大好きなんです。1年以上続けてきたサハラジオ1、ぶっちゃけ楽しいです。 次回もよろしければお付き合いくださいませ。 それでは今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました!! それでは、またね!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #8 [怒る]と[論理]は人体の構造上両立できない理由

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          #7 好き嫌いと善悪の話は論点が違う。

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「好き嫌いと善悪の話は論点が違う。」 はい、続く事今回7回目です!!いつも聴いて下さってありがとうございます!!!あまりに長く続きすぎて佐原さん内心焦ってます!!どうしよう、ごめんなさい!!!なのでとっとと話し始めますね!! あ、今回は7回目という事は、1回目~6回目もあるという事です。よろしければそちらもぜひ!お願いいたしますー---!!! という事でですね、前回の最後には「どのような事情があれど、力による一方的な現状変更は認められない」というお話をしました。何故ならば「力による一方的な現状変更」を肯定してしまうと、秩序が保てないからです。 この「力による一方的な現状変更」は、言い換えると過去6回で度々出てきた「力押し一辺倒な叱り」になります。この「力押し一辺倒な叱り」をする人の中には、とある重大な誤解をしている方がいらっしゃるのではないか、というのが今回のお話です。 それが何かというと「自分が好きなもの=善」「自分が嫌いなもの=悪」。こういう誤解をしている人が一定数いるのではないかと。 例えば……佐原さんはお酒が好きなんですね。そんな佐原さんが上記の理屈でそれを語ると「僕はお酒が好きだ。であるから飲酒は善行である」になるわけですが……これって理屈として通ってると思います?? ちょっと…というかだいぶ無理がある感じする。 そもそもアルコールなんてものは体にとってシンプルに「毒」なので、毒を体内に入れる飲酒という行為が善行なわけがない。「蒸留酒は大丈夫」だとか「少量のお酒はむしろ健康にいい」とか色々諸説出回っておりますが、はたして本当にそうなのでしょうかと。 というのも、アルコールは脳に強い影響を与える物質で、特に海馬や小脳、前頭葉に強い影響を与えると言われておるわけでしてね。 ●海馬は、短期記憶をつかさどる場所。飲酒後に記憶をなくすタイプの人は、ここに強い影響が出てるということです。 ●小脳は、運動をつかさどる場所。飲酒して千鳥足になる人は、小脳に強くアルコールの影響が出ているという事です。飲酒運転がダメとされる根拠もこれ。 ●前頭葉は、理性や思考力や社会性をつかさどる場所。飲酒で人格が変わる人は、ここに強いアルコールの影響が出てると言う事です。 ここでちょっと話が脱線するのですが…。近年に行われたとある研究でとても面白い研究があったのでご紹介します。どういう研究かと言いますと「アルコールとモラルの関係性」について調べた研究でして…ちなみにモラルというのは日本語で言うと「道徳」の事です。 結論から申しますと「アルコールはモラルには影響しない」という研究結果が出たそうなんですね。つまりどういう事かというと「しらふだと善人な人が、お酒飲んで酔っ払った事により悪人になる事はない」そういう事です。 アルコールが前頭葉に影響を与えるというのは先ほど述べた通りですが、あくまで「思考力」や「理性」が鈍るだけ、つまり「ストッパー」が弱くなるだけなんです。アルコールは、その人がもともと持っている【倫理観】や【価値観】にはなんら影響を及ぼさない、そういうお話です。 「ストッパーが弱くなる事は、価値観が変わる事ではない」。これはつまり「ストッパーが弱まった時に出てくる人格というのがその人の本来の性格である」そういう事を立証した研究になります。 …なんて恐ろしい研究なのでしょう…!!今まで「お酒を言い訳にして許してもらっていた人たち」が真っ青になる研究結果です( なので「お酒さえ飲まなければいい人なのに」という人が近くにいたとしたら…………うん、これ以上は言いません( すみません話が大幅に脱線しましたが…とにかくですね、このように脳に強い影響を与える飲酒という行為が善行なわけがない気がしてきますよね、理論上( でも佐原さんはお酒が好きなので、何だかんだで飲んでしまう。健康の事を考えると飲まない方がいいのに、それでも飲んでしまう。いやむしろ、体に悪いんだよなぁなんて思えば思うほど、ここぞという時に飲むお酒がおいしかったりしたりもして。このように「やっちゃいけないと認識すればするほどやりたくなったり、そういう行為ほど楽しく感じちゃう事」を心理学では「カリギュラ効果」といいます。 まぁそんなわけで、佐原さん的に飲酒は「大好きなんだけど善行ではないよね」の代表例、「自分が好きと感じる≠善」そういうお話でした。 また、佐原さんは「豆腐よう」が苦手なんです。豆腐ようって何かというと、沖縄発祥の発酵食品です。お酒好きにはたまらない「ツウなおつまみ」だそうですが、酒飲みのはずの佐原さんはあの独特なお味がどうにも苦手で、ずいぶん前に1度食べたっきり食べておりません。基本的に何でもおいしそうにむしゃむしゃ食べる佐原さんですが、唯一といっていいくらい苦手なものが、この豆腐ようなわけですね。 これを先ほどの理屈に当てはめると「佐原さんは豆腐ようが苦手=豆腐ようは悪」となる。うん、こんなバカげた話はないですよね( 言うまでもなく豆腐ように罪などあるはずもなく、シンプルに「佐原さんの味覚にそれが合わなかった」というマッチングの話。つまり個人的な趣味嗜好の話であるわけです。 自分が苦手だからって「豆腐ようはこの世から抹消すべきだ」とか言って工場を破壊したり、食品製造業者さんに「何でこんなものをつくるんだ!」と電話かけたりメールしたりしたとしたら、それは説明不要なほどにどう見てもおかしい。 「世の中は佐原さんの趣味嗜好をベースに作られてるわけじゃないぞ」って話です。そんなわけで、「自分が苦手≠悪である」というお話でした。 佐原さんは今「お酒」と「豆腐よう」を例題に出しましたけど、これはほかの何を当てはめても同じです。「好きか嫌いか」と「善か悪か」はそもそも論点が違う事にはかわりはないんです。 あ、ちなみに豆腐ようって癖になるとほんと最高のおつまみらしいので、もしこの話を聞いて興味をもたれた酒飲みの方がいらしたら、是非食べてみてください。佐原さんも「今ならいけるかもしれない」って今思ったので、今度みつけたら買って食べてみようと思います。あの頃から少しは大人になれたかしら…わたし( …とにかくですね、このように、「好き=善」「嫌い=悪」などと決めつけるのは大変おかしな話なのですが、まこと不思議な事に、ごく自然にこのような考えをもってらっしゃる方が、確かに一定数存在する感じがするんですね。 論点が違うものを一緒にしてしまうと、先に述べた佐原さんの例のように、おかしいっちゃおかしいが「笑えない方のおかしい感じ」になるわけです。ですからまずはエビデンスというものが何なのかをしっかり理解し、使いこなせるようになるまで、エビデンスベースの思考法をしみ込ませることが大切だと思います。 今回佐原さんの、わかりやすいんだかそうでないんだかよくわからない例え話をして「自分が好き≠善」「自分が嫌い≠悪」としましたが…「いやいやそれ、あくまで佐原さんの感覚の話でしょ?根拠はあるの?」って思わなくもないですよね。これまで一応それっぽいエビデンスをまじえて話してきたのに、突然どうしちゃったのよと( 実はこの話、脳科学者の中野信子先生も同じことをおっしゃっているんですね。 中野先生は、ご自身の著書「人は、なぜ他人を許せないのか?」の中で、「正義中毒」という言葉を使っております。詳しくはぜひそちらの本を読んでいただきたいのですが……ざっくりと説明いたしますと。 「人間は、正義の制裁を加えると脳の快楽中枢が刺激されて、快楽物質であるドーパミンが出る。この快楽は強烈で、一度ハマると抜け出すのが容易ではないほど強力である。そのため、正義の制裁を加えてドーパミンを出したいがために、攻撃する対象を探すようになってしまう。この状態は、認知構造がいわゆる依存症と同じであるため、いわば正義中毒とも呼べる状態である。」 とした上で… 「この正義中毒に陥ると、自分と異なるモノをすべて悪だと捉えるようになってしまう」と、そう説明されているんですね。 ここのくだりとかめっちゃ面白いので、ぜひ本を購入して読んでみてほしい……!!難しい題材を取り扱っているわりに、説明が物凄く丁寧でわかりやすくておすすめです!! でですね… この説明は「自分と異なるモノは悪」という話のみですが、これは転じて、このように考える人は「自分とひとしいモノは善である」と考えていると言える、と佐原さんは考えます。 (専門家である)中野先生の著書に書かれている事が、「自分が好きなこと=善・自分が嫌いな事=悪」と考えている人が存在する証明であり、また「そのような価値観はいびつであると言える根拠」にもなっている、そういうお話でした。 これに加えて、この中野先生のお話は、これまでの6回で出てきた「とある事」の証明にもなっております。何かというと「叱る依存」です。 1回目の時からたびたび出てきておりますこの「叱る依存」という言葉。これは心理士・村中直人先生が作られた造語…なのかな?たぶん造語なのですが、そもそも何故「叱る」が「依存」になるのか、この問いに実はまだ答えておりませんでした。 この問いの答えの一つは、この脳科学者・中野信子先生が仰っている事があげられると思います。それは「叱る」の中には「正義の制裁的な側面が含まれている」から。だって、少なからず自分の気持ちや理屈に正当性を感じていなければ、叱るなんてそもそもできないからです。そしてその結果は先ほど述べた通り。 ➡【人間は、正義の制裁を加えると脳の快楽中枢が刺激されて、快楽物質であるドーパミンが出る。この快楽は強烈で、一度ハマると抜け出すのが容易ではないほど強力である。そのため、正義の制裁を加えてドーパミンを出したいがために、攻撃する対象を探すようになってしまう。この状態は、認知構造がいわゆる依存症と同じであるため、いわば正義中毒とも呼べる状態である。】 気が付けば依存症の出来上がりと、そういう事です。 そうならないように、エビデンスと言うものを理解して、使えるようになることが大切なのではないか、佐原さんはそう思うわけですね。 そして、エビデンスに基づいて考えるという事がどういう事かわかってくると……「怒ったり叱ったりする必要がない」事がわかってきます。なんなら、相手に受け取ってもらえるようにしっかり丁寧に、真摯に誠実に、順を追ってエビデンスに基づいた説明をしようとすると、怒りの感情が「邪魔」だとすら感じます。 何故ならばエビデンスベースで話をするという事は、論理的に話をするという事であり、論理的に話をするという事は、前頭葉を酷使するという事だからです。この「前頭葉を使って論理的な思考をすること」と「怒る事」と言うのは、相性が最悪なんですね。 何故かと言うと…… この先のお話も長くなりそうなので、次回にまわします!!! 今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました!!! それでは、またねー! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #7 好き嫌いと善悪の話は論点が違う。

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          #6 力による一方的な現状変更は認められない

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「力による一方的な現状変更は認められない」 今回気づけば6回目となっておりますよ…。 そう、6回目ということは、1回目~5回目があるということです。そちらを聴かれて(読まれて)ない方は、ぜひそちらを経由してください。ビュー数が増えて佐原さんが喜びます( で、前回の最後はですね、「立場が上とか下」という話はとても複雑、というところで終わりました。色々な話が絡み合ってよくわかんなくなってきますよと。 でもね、まだこれに関連のありそうな話があるんです。今回はこのお話からスタートします。 「ヒュブリスシンドローム」という言葉があります。日本語にすると「傲慢症候群」。これは何かというと、「地位や名声、富を手にすると、人は傲慢になる」という人間の特性を説明した言葉なんです。 何度か「叱る依存」の人は「自分より立場が下の者にやる」という話が出てきましたが、そこにこの「ヒュブリスシンドローム」も含まれてくる可能性があるんですね。 当たり前の話ですが、「偉い肩書」とか「莫大な富」を持ったからって人間的に優れているとか、偉いとかそんな事はありません。(仮に)あったとしても、その影響力は自分が属するコミュニティ内でしか基本的には機能しません。その枠外の人からしたらなんら関係がないと。 お金に関していうと、持っているだけでは意味がありません。お金を持ってるだけでは偉くなれない。つまり影響力はないという事です。お金で影響力を持ちたいなら、そういった使い方をしなければなりません。 しかしそういった使い方をした場合、下手すると「お財布」やら「ATM」みたいな認知のされ方を(まわりから)されかねない。お金をちらつかせて、実際お金を支払ってる間は限定的な影響力を持てるとは思いますが、お金を支払わなくなれば、それと共に自然と影響力もなくなるでしょう。 でも人は不思議と、それらを手にすると、まるで自分という「人間そのもの」が偉くなったような気がしてきてしまって、傲慢になるそうなんですね。それを「ヒュブリスシンドローム」というわけですが、いやいやそんな単純な話ある??って思っちゃいたくもなる。 しかし、こういう専門用語が存在する事自体が、ある種の根拠であるとも考えられます。何故ならば、そんな言葉が作られ、専門家たちがそれを引用し、一般に広がるくらいには、広く一般的にそういう傾向がみられるという事だからです。 まぁ専門用語の中には「わざわざ用語にする必要ある?」というものも存在する感じはありますけどね…。しかし言葉という物は、作っても使われなければやがて忘れ去られるものだと思うので、「淘汰されるかどうかは世間様にお任せするとしてとりあえず用語を作ってみる」という考えは、そこまで間違っていない気も………まぁいいや( しかしながら。 ヒュブリスシンドロームのような「人間の特性」に振り回されて、素直に傲慢になってしまうのも、ある意味前頭葉の未成熟が原因なのではないか、とも思えるんです。自分を客観的にみる能力「メタ認知」や、思考力、社会性というものがあれば、肩書やお金をもっただけで傲慢になるなんてことはないはずですからね。 ちなみに今サラっと申しました「メタ認知」。自分を客観的にみる能力と申しました。こと自分の「人間性」を育てる上で重要になってくると言われているメタ認知。これもね、前頭葉、正確には前頭前野が関わっている機能と言われています。ここでも出てくる前頭葉!! そんなわけでして、この「ヒュブリスシンドローム」も、自分が傲慢になってる事に気づかない「メタ認知の欠如」も、根っこは同じ「前頭葉の問題」なのかなーなんて思ったりもするのです。 ちなみに…一説によると、この前頭葉というのはそもそも発達が遅く、また「加齢による劣化が早い器官」なのだそうです。だいたい30歳くらいになるまで発達しきらないとか書いてあるのを読んだ事ある気がするんですよね。そしてそのくせ、一説によると50歳前後で劣化がはじまるのだそう。早い人は40代から…なんて話も。はやすぎ。 この「前頭葉がいかに大事な器官であるか」は、これまでお話ししてきた通りなわけでして。日頃この前頭葉を訓練して、少しでも劣化を遅らせたいところであります…!!!どうやって訓練するか知らんけど!! そんなわけで、前回までにちらほら触れた「エビデンスを欠いた力押し一辺倒な叱り」というのは色々な要素が絡み合った結果おこるわけですが…まぁ、どんな動機、理由にせよ「このような行為が正当化される事は今後もなかなか難しいでしょう」と佐原さんは考えます。 ここのところ、ロシアがウクライナに対して軍事行動を行った、というニュースが世間を騒がせています。その際、とある大変偉い立場の方が発した「とある発言」が、佐原さん的にとても興味深かったんです。それは… 「どのような事情であれ、力による一方的な現状変更は認められない。」 という言葉です。 これは勿論、ロシアとウクライナの問題に対してした発言ですが、この言葉の意味ってそのまんま、パワハラモラハラや「叱り」にも適応される感じがします。 「相手を変えたい」という気持ちはわかるし、実際そうしないといけない場合もあるでしょう。しかしながら、今回の戦争と諸外国の反応を鑑みるに、やり方がまずかったらそこに正義はないとされるし、まわりも認めてくれないようですよと。そんなことを、このお偉い方の言葉は示しているように感じます。 「どのような事情であれ、力による一方的な現状変更は認められない」。 これね、この方だけでなく、世界各国のお偉いさんも似たような事をおっしゃってるっぽくて。つまりこれは、世界の通念、万国共通の考え方と言えると思います。何故そう言えるかと言うと、勿論「みんな言ってるしぃ」というのもあるのですが、それ以上に。 「この言葉を否定すると世界の秩序が守れないから」です。 逆にして考えてみるとわかりやすいかもしれません。つまり「力による一方的な現状変更を肯定する」とどうなるかというと、虐殺か戦争が起こります。圧倒的な戦力差があるか、あるいは相手が抵抗しない場合は虐殺。ある程度力が拮抗した場合は戦争。そういう事です。 このように、世界の秩序が守られないとどうなるかというと、戦争が起きます。 そうならないためには、各国の代表がこの言葉を遵守する必要があるんですね。それを遵守しない人がいたらどうなるかというと、まぁ、ニュースを見ての通りですよと。 この事から「力押しは世界で認められないやり方である」と言えると。 そしてこの事は、パワハラモラハラにも通ずるような雰囲気を醸し出しておりますから、どうやら、国のお偉いさんだけじゃなくて「そうでない人」も頭の片隅に置いておいた方がいい考え方のようですよと。でないと、自分も知らず知らずのうちに「力による一方的な現状変更」をしてしまうかもしれないから。 しかしながらこのように、ニュースや記事などで散々取り上げられているのに、まだ「力押し」をしてしまう人がいる様子。そういう人の中には一定数、とある重大な誤解をしている可能性がある、と佐原さんは思うんですね。それが何かというと………… ってまたこの話続けると話が長くなりそうなので、第6回はこの辺にしておきます!!! そんなわけで、今回も最後まできいてくださってありがとうございました。 それでは、またね!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #6 力による一方的な現状変更は認められない

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          #5 ハラスメントをする人達の、興味深い共通点

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「ハラスメントをする人達の、興味深い共通点」 というわけで、なんと今回で第5回目でございます!!ひとつの話題でどんだけ喋ってんだって話です。大変申し訳ございません。でも自分の趣味の話なので、話してる方は楽しいです( で、どうせ今回も話が長くなりそうなので、さっそくお話しますね!! 前回までの4回分を聴いて(読んで)らっしゃらない方は、まずそちらを経由していただけると、ビュー数が増えて佐原さん喜びます。宜しくお願いいたします。いや、ビュー数増えたからってなんも無いんですけどね。お金が入るわけでもないし( んで、さっそく前回の終わりの続きです。 「なぜ立場が上の人が下の人に力推し一辺倒なお叱りをしがち」なのか。その根本には、ある「事実」が関係しております、というお話でした。 それは……立場が上の人は「正解を決められるから」です。 つまり、立場が上の人が白と言えば黒い物も白であり、黒といえば白い物も黒と決めつけられる以上、下の人には反論の余地がない。ですからね、立場が上の者からすると、何を言っても反論されないのであれば、エビデンスを用意するなんて面倒な事もしなくていいってなっちゃうわけですよ。なので立場が上の人というのは、自然と、エビデンスを用意するという工程を省略するようになる。最初はきちんと手順を踏んでいた人も、気が付くとそうしなくなりがちであると。 何故ならば「エビデンスがあろうとなかろうと、自分が決定権を持つ状況に変わりはない」から。その結果、力押し一辺倒な「叱る」になりがちなわけです。 また同時に、これには第3回目でお話しした「試し行動」と「社会性の未成熟」も関係している場合があります。試し行動とは「自分をどの程度まで受け止めてくれるのか探るために、わざと困らせるようなことをする子供の行動のこと」です。 いくら自分が立場が上だからといっても、中には反撃してくる猛者もいるかもしれないじゃないですか。ですからまず、パワハラまがいの「叱り」をする前に「試し行動」をする場合があるんですね。 「試し行動」で相手が反撃してこない事を確かめたのち、「社会性の未成熟からくる甘え」をすると。「この人には負の感情をぶつけても黙って受け止めてくれる」という「一種の信頼感」を持って、子供のように「叱るという甘え」をする、といったように、段階を踏む事もあるわけですね。 本来はこのような「甘え行為」は赤の他人にやることではありません。また成長に伴ってその甘えも卒業するのが一般的なわけですが、前頭葉の発達(特に前頭前野)が未熟なので社会性が育たず、分別がない状態で成人し社会に出てしまったような人は、社会に出てもなお、人に甘えるわけですね。 だが「無作為に甘えるのはまずい」と考えるくらいの社会性と思考力は身についている。だから自分より立場が下の、その中でも反撃してこない人を狙って甘えるわけです。ですから「叱る依存の人」というのは、その特徴として、立場が上の人に「叱る」ことも、そもそも意見を言う事すらも、ほぼありません。あくまで標的は立場が下の人なのですと。 また、心理士の村中直人先生いわく「叱る行為はエスカレートしていく」そうなのですが、これも「試し行動」と言える場合があると考えられます。 試し行動は「どの程度わがままを受け止めてくれるか探る行為」と申しました。これはつまり「相手が限界を迎えるまでエスカレートしていく」という事でもあります。「叱る」という甘えをしてみて相手が反撃してこなければ、まだいける、まだいけるとエスカレートしていく、そういうお話です。叱るがエスカレートしていく背景には、このようなパターンも考えられるわけですね。 「GADHA(ガドハ)」という団体があります。 これは「パワハラ・モラハラ加害者」の団体なんですが、その代表者である「えいなか」さんによりますと。モラハラパワハラ加害者の特徴の一つとして。「親の批判ができない」というものがあるのだそうです。 論理的に考えると、親と言うのも人間ですから、当然ミスしますし、間違いを犯します。物事の正解を導き出すためには「正しい知識と経験、そして思考力」が必要となります。理論上はこれらを持っていれば間違える事はありません。しかしこれは、実現するのは無理に近い。何故ならば、地球上のすべての知識と経験を身につける事は、おそらく不可能だからです。 そして、地球上にはまだ解明されていない謎が多くあります。人間の脳の仕組みもそのひとつです。つまり現在「知識」として扱われているものだけが、知識じゃないという事です。未解明の謎が解明されて、それが「知識」として昇華した時、その知識がこれまでの常識を根底から覆す事もあります。(鎌倉幕府成立の年号とかね。)そのようなクリティカルな知識がまだ眠っている可能性がある以上、「全ての正しい知識と経験を得る」事は、シンプルに不可能であると考えられるのです。 そんなわけでして、たとえ親と言えど、ミスや失敗をおかすのは自然な事なわけです。親と子というのは非常に長い時間共に暮らすのが一般的ですから(僕は元ヤングケアラーで小学低学年以降は親と暮らしてませんが、あくまで一般論として。)、そのように多くの時間を共有する中で、親がした失敗や間違いやおかしな言動をみたことが一度もないというのは、考えずらい。 しかしながら、GADHAの代表「えいなか」さんによりますと、このパワハラモラハラ加害者の人の多くは、そうした親のミスや間違いを、話せないそうなんですね。 何故か。 調べを進めていくと、ある共通の「認知」が見えてくる。その認知とは「目上の者は絶対だ」という認知なのだそう。その人達がなぜそういう認知を持つに至ったかは不明なんですが、しかしパワハラモラハラ加害者の人たちは、何故か「目上の者は絶対だ」という認知を持っており、その結果、「目上の者の代表格である親」の批判ができないのだそうです。 ただ、認知は同じでも、親の批判を話せない、話さない理由は人それぞれのようですが。例えば「目上の人の文句を言うなんてけしからん」とか。「うちの親は間違いなんておかさないからそもそも批判する内容がない」とか。 いずれにせよ、しかし通底しているのは「目上の者は絶対だ」という認知なのだそう。 そしてそういう認知を持っているからこそ、理不尽な要求を部下などの、立場が自分より下の人たちにしてしまうと。何故ならば、「立場が上の者が言う事は絶対」なのだから、「立場が上である自分の言った事に間違いなどあるはずない」からです。「立場が上の自分が言った、絶対的に正しい指示通り動かないなんて、お前が悪いに決まっている」と、力押し一辺倒な叱り、つまりパワハラをする事になるのです。 この一連をみて「いやそもそも、パワハラと叱るって違くない??」とそう思われた方。いらっしゃるかもしれません。が、村中先生のお言葉を踏まえて考えると「立場が上の者が立場が下の者に、怒りなどの負の感情を伴った何か」をしたら、それは何であれ、パワハラの要素は入ってきてしまうわけで。そして現状「叱る」という行為はどうも基本的に負の感情を伴うものが多いそうですから、共通点もあると考えられるわけです。ですから、このGADHA(ガドハ)の「えいなか」さんがおっしゃるパワハラモラハラ加害者の方々の話と、今回のテーマ「叱る」は、関係があるように思うんですね。 うーん。この「立場が上とか下」っていうのは、今の時点で結構複雑じゃないですか。色々な話が絡み合ってよくわかんなくなってきます。実に厄介。でもね、まだこれに関連のありそうな話があるんですね。これが何かというと……… はい、長くなるので次にまわします!! 今回も最後まで聴いてくださってありがとうございました!! それでは、またね!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #5 ハラスメントをする人達の、興味深い共通点

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          #4 ハラスメントの土壌は、実は●●が作り出している…??

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「ハラスメントの土壌は、実は●●が作り出している…??」 はい……何と今回で4回目でございます。毎度お付き合いくださり、本当にありがとうございます…。 佐原さんがこういう「人間の根本的な話っぽい雰囲気のある事柄」について調べたり考えたりするのが大好きなのは以前お話した通り。そんな趣味全開120%のお話をこうしてさせていただいているんですけどもね、いやぁ楽しいですね! 4回も似たような話を聞かされる側からしたらたまらないと思いますけども( というわけで今回の第4回目、いってみようと思いますが、その前に少し前までのおさらいを。 そもそも何故こんな難しい内容の話をたらたら喋ってるかと言うと、佐原さんがとある番組を観たことがきっかけでした。その番組は「叱る行為に効果はあるのか?」というテーマで、専門家と「過去叱る依存だった方」そして「その被害者」の方をまじえて議論をしておりました。それを受けて、佐原さんもそのことについてお話してみようと思いました、とそういう流れでございました。 その上で。 1回目「叱る行為に効果はあるのか問題について」 2回目「叱るではなく諭す。それを実現するために必要なモノの話。」 そして前回(第3回目)は「社会性は、●●があるからこそ成り立ってるっぽい」というテーマでお話をさせていただきました。この●●は何かっていうと「前頭葉」の事ですね。前回は「叱る行為」と「前頭葉というものの性質」を絡めてお話させていただきました。 前頭葉はとっても大事。これのおかげで社会性というものを持って、生き物(主に哺乳類)は共同生活を営めているわけですね。人間がここまで発展してこれたのも、いわば前頭葉のおかげと言っても過言ではない!……かも? ない…かも!?なんて冗談ぽく言いましたが、わりとマジな話でして。 人に最も近い生き物として、チンパンジーさんがよくあげられます。このチンパンジーさんは哺乳類ですから、もちろん前頭葉を搭載しております。 佐原さん、ずっと前頭葉・前頭葉といってますが、実は前回(第3回)でお話した、前頭葉の機能としている内容は、その前頭葉の中でも「前頭前野」という部位の働きだったりします。ただまぁ色々ややこしいし間違ってはいないなと思ったので「前頭葉」と言っているわけで、今後も前頭葉としてお話していきますが……その前に。 人間さんとチンパンジーさん。もっとも近い構造の生き物ながら、人間の前頭前野は、大脳のおよそ30%をしめているのに対し、チンパンジーさんの前頭前野はおよそ8%と言われております。まったく違いますね。人間に次いでもっとも前頭前野が発達しているとされているチンパンジーさんですら、1位の人間とは大きな差があるんです。 しかしながら興味深いのが、この人間さんとチンパンジーさん。DNAがほぼ一緒という事です。どのくらい同じかというと、およそ98.5%……細かな数字は諸説あるのですが、ざっくりこのくらい、DNAが同じなんだそうです。 しかしながらどうですか。ぱっと見、人間さんとチンパンジーさんではまったく違いません?街中でチンパンジーさんが歩いていたとしたら、絶対わかるじゃないですか。会社に出社したとき、隣のデスクにチンパンジーさんが座ってたらぎょっとするじゃないですか。それはなぜ??「まったく違うようにみえる」から。 しかしDNA的には、およそ98.5%が一緒。この1.5%の差が、人間の前頭前野をここまで発達させたと考えられるわけです。そして前頭前野を発達させたおかげで、人間は高い社会性を持つことができた。その結果、人と人が協力しあえるようになり、ここまでの繁栄を手にすることができたと。それを受けての「人間が発展したのは前頭葉のおかげかも」というお話でした。 [ 「わずかな違いが大きな差を生む」…その話の好例なのではないかと思うので、佐原さんはこのお話が大好きです( しかしながら。 この前頭葉があるからこそ生まれた問題というのも、なんかあるっぽい。それは何かというと………というところまでが前回までお話でした。すみませんすでに話が長くなっちゃった…。今回はこの続きからいきますね。 んでですね。佐原さんが観たその番組内で、心理士である村中直人先生が興味深い事をおっしゃっておりました。 それは「原則として、叱る行為は、立場が上の者が下の者にやる」というお話。 確かに、「生徒が教師を叱る」とか「部下が上司を叱る」とか、あんま聞いた事ないですもんね。マンガやドラマの中ではよくみますけど、現実ではみたことない……かも?? これには理由があるんですね。 そもそも何故、立場が上とか下とかあるかというと、これは、人間が社会性を持っているからにほかなりません。社会性を持つという事は、共同生活を送るという事。共同生活を送るという事は、他人と協力して何かをするという事。 その時、「リーダー」が居なければ、チームがまとまりません。「何をするのか」の最終決定するのはリーダーだし、「どのようにそれをするのか」の最終決定をするのもリーダーだし、「どのくらいの品質でそれを完了とするか」の最終決定をするのもリーダーです。そのような「まとめ役」がいなければ、何もなせません。それだと(みんなで協力できなければ)、共同生活してる意味がそもそもない、という本末転倒の自体に陥ってしまいます。 なので、チームをまとめる「リーダー」が必要なのです。 そしてリーダーがいるという事は、それを支えるフォロワーもいるということ。つまりリーダーがいるということは、「=自然と上下関係がうまれる」ということなんですね。 この「上下関係の発生」というものの根本は、本能のようなものだと考えられます。 例えばわんちゃん。わんちゃんは飼い主一家をみて、序列を決めるそうです。「ご飯をくれて散歩に連れていってくれる人が一番上。遊んでくれる人はその次。何もしてくれないし家にあんま居ない人は自分の下。」みたいに。 これをはたしてわんちゃんが「思考して」そうしているのかというと、はなはだ疑問です。犬種によっては非常に賢いわんちゃんもいますが、大抵のわんちゃんはそこまで複雑高度な思考はできないからです。 他にもー……お猿さんとか?猿山的なところにいくと、絶対ボス猿っているじゃないですか。このボス猿、色々な事情でボスがいなくなると、別の猿がボス猿になるんですね。この時、「わたしがボスに立候補します!」とか候補者立てて、みんなで投票などして話し合いで決めてる…ことはないと思います。少なくとも佐原さんは見たことない。いかにお猿さんが知能が高めとはいえど。基本的には本能的なものだと思うんですね。ケンカして腕力勝負で決めるのだとしても、同じことです。強いものに惹かれるのは本能ですから。 ですから、「序列を決める事」は本能的なものだと考えるほうが自然でしょうと。 そんなわけで前頭葉を持つ動物、いわば社会性を持つ動物というのは、集団生活を円滑に営むために、自然と「リーダー」や「フォロワー」などの上下関係を作り出す性質を持っています。 これが、ある側面からみると、問題なのですと。 前頭葉の発達した動物が自然と作り出す「立場の上下」。この仕組みが、パワハラモラハラを生んでいる可能性があると思うんですね。 だってパワハラモラハラって、大前提として「立場が上の人が立場が下の人に向けてやる」ものじゃないですか。という事は、そもそも「立場の上下」がなければ、パワハラはおきませんよね?その立場の上下はなぜ生まれるかというと、社会性があるからです。そしてその社会性は何によって生み出されているのかというと、前頭葉なわけですね。(正確には前頭前野ですが。)という事は、前頭葉がパワハラモラハラを作り出している、と言えると思うのです。 これが、前回の最後と、今回の冒頭で述べた「前頭葉があるからこそ起きる問題もあるっぽい」の事です。 いやー、悩ましい問題ですよね…。 ●前頭葉が発達したおかげで、理性を持つことができた。 ●理性を持てたことで、社会性を持つことができた。 ●社会性を持てたことで、ほかの個体と協力して何かをしたり、共同生活を営むことができるようになった。 ●その結果、種として生き残り、繁栄する事が出来た。 ●しかし前頭葉が発達し社会性を持つことができるようになったがゆえに上下関係がうまれ、パワハラモラハラといった問題もおこるようになった。 完全無欠にみえた前頭葉様も、光と闇があるんですねぇ。 冒頭で引用させていただいた、心理士・村中直人先生のお言葉。「原則として、叱る行為は、立場が上の者が下の者にやる」。近年、村中先生やこの番組が取り上げているような「叱り」、が「パワハラ」として訴えられることが増えてきているそうです。 パワハラの相談件数は、この十数年の推移をみてみるとおよそ3倍になっており、今ではだいたい年9万件前後の相談が寄せられているとか。 このような現状を鑑みて、2020年6月には「改正労働施策総合推進法」が施行されました。これは別名「パワハラ防止法」なるものでして、その名の通り、パワハラモラハラ削減のために作られた法律でございます。 「改正」とあるだけに、その元となるものがあったのですが、じゃあそれと何が違うのかというと…最大の違いは「法制化」された事でしょうか。つまり今やパワハラは「法律違反だよ」とそういう事になると、佐原さんは解釈しております。間違ってたらごめんなさい。(…法制化ってそういうことですよね?) そんなわけで、パワハラをした証拠をおさえられちゃうと、加害者の方は大変あぶない状況に立たされます。裁判されて証拠提出されたら、まぁ負けます。 そんな状況ですから、「立場が上の人が立場が下の人」に「改善要求」するのは、大変神経を使う感じがします。「改善要求」の力加減を間違えちゃうと、即パワハラになるわけですから。なんだか窮屈に感じてしまう。 しかしながら、よーく考えてみると。 そもそも、いくら相手が立場が下の人とはいえ「赤の他人に対して無神経に言葉を浴びせかけられる状況」自体が異常だったのではないか?という風にも思えます。 だって普通、赤の他人と接する時って、気を遣いません?だって「他人」だもの。 電車では、一緒に乗り合わせた他の乗客達に気を遣います。お店に入ったら、他のお客さんや店員さんに気を遣います。道を歩いている時ですら、他の歩行者とぶつからないように、動線気にしたり、半身になってみたり、場合によっては道を譲ります。 なぜ?赤の他人だからです。 仮に、相手が会社とか学校とか同じ組織の人であれ、他人は他人です。その事実は変わらない。 考えれば考えるほど、むしろ何故いままで「立場が下の者には何を言っても、何をやってもいい」と思えていたのかが謎だなぁと思えてくる。なんなら「気を遣わなくちゃいけない状態の方が、人間関係として正常」だとすら思えてきます。何故ならば、肩書という「組織を運営する上での便宜上の上下関係」はあれど、人間そのものは皆平等で対等だからです。 ですので「他人に気を遣わなくちゃいけない状況に窮屈さを感じるのは、もしかしたらおかしな話なのかもしれない」そのようにも考えられるわけですね。 日本国憲法に「思想・良心の自由・幸福追求の権利」等々、様々な国民の自由というのが、国民の権利として明記されております。それだけみると何をしても許されそうな感じはありますが、もちろんそんな都合のいい話はありません。あくまで「他人の権利を侵害しない範囲で」のみ、自由が許されているわけですね。 (仮に)そうでなくて、誰もが「自由」を行使して奔放にふるまうと、お互いの自由を侵害しあう事になり、それはやがて闘争に発展します。 この日本国憲法というものは、1947年に施行されました。つまり戦後に作られたという事です。究極の他人の人権侵害って、戦争行為だと思うんですね。規模も内容も。 日本国憲法というものは、戦争という他者(他国)の自由侵害行為の末路を受けて、作成されたという事だと思います。ですから、この日本国憲法の保障する国民の自由というのは、他人の権利や自由を侵害しない範囲、となっているのだと考えられるんです。そうでないと、また「世界大戦」が起きてしまうからです。 その前提の上でなお「他人に改善要求をする」のであれば、やり方に気を遣うのが自然な事のように思えてなりません。具体的にどう気遣うかと言うと、「怒りなどの負の感情の排除」や「エビデンスを用意する事」や「真摯に誠実に話す事」などです。 にもかかわらず、なぜ立場が上の人が、下の人に力押し一辺倒なお叱りをしがちなのかというと、第2回目でもお話しましたが 「一種の恫喝」をする事で、相手を委縮させて反論させる余地を作らないようにして一方的に自分のペースで終わらせないと、論破されて負けてしまうから。 そのように「負ける事」を、無意識か意識的かは別にして恐れているがゆえに、勢いに乗って勝負をつけようとしている。 …と、いうものの他に…。また別のある「事実」が関係していると、考えられるんですね。それは何かというと……… はい、ここから先はまた話が長くなりそうなので、次にまわしますね!! 無理ですよ。無理です。こんな難しい話、短くまとめるの無理。もう諦めました( あ、ちなみにテーマの「ハラスメントの土壌は、実は●●が作り出している…??」の●●は、前頭葉でした!! というわけで、今回も最後まできいてくださってありがとうございました。 こんな趣味100%の話にお付き合いくださってね……ありがとう。 それでは、またね!!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

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          #3 社会性は、●●があるからこそ成り立ってるっぽい

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「社会性は、●●があるからこそ成り立ってるっぽい」 はい。 というわけで今回もですね、またまた「続きの話」となります。しかも3つめ。 1回目「叱る行為に効果はあるのか問題について」 2回目「叱るではなく諭す。それを実現するために必要なモノの話。」 これに続きまして、今回3回目となります。 まさかここまで話が分割するとは……はっきり言って想定外。 でも一度にばー--っと長話しても内容わけわかんなくなるでしょうし、かといって端折って誤解されても困るし、という事で、わけました!! 1回目と2回目を聴いて(読んで)らっしゃらない方は、先にそちらの方を経由していただけると「ビュー数が増えて」佐原さん喜びます( そんなわけでさっそくお話していきたいと思いますが、その前に少し1回目と2回目のおさらいを。 1回目では、「叱る行為」について議論する番組を佐原さんがみて、それに触発されて、自分も「叱る」をテーマにお話しするよ、という流れから、心理士「村中直人」先生が語る「叱る依存」の話をしていきました。 2回目は、「何故人は、他人に改善要求する時に怒りなど、負の感情をセットにお付けしがちなのか」という事に足を踏み入れまして、その理由のひとつに「試し行動」というものがあげられる可能性があるよーというところで、終わりました。 今回はここからお話をしていきたいと思います。 「試し行動」とは何かといいますと。 ●「自分をどの程度まで受け止めてくれるのかを探るために、わざと困らせるようなことをする子供の行動のこと」 を言います。 これは(説明文通り)基本的には「子供の行動」とされておりまして、一般的には大人になると、このような試し行動は卒業してやらなくなります。 が、「大人になってもこの試し行動をする人」というのは一定数いらっしゃるんです。 どういう人がそれをするかというと…一般的には「精神が未成熟な人」とされています。「大人になりきれていない大人」とでも言いましょうか。(アダルトチルドレンとはまた別です) 「精神が未成熟ってなに?」って話なんですけど、言い換えると「社会性の未成熟」です。社会性というのは「集団をつくって生活しようとする人間の持つ基本的な傾向」の事なのですが「それが育ち切っておりませんね」という事ですね。 この原因の一つとして考えられるのは「前頭葉の発達の遅れ」があげられます。 前頭葉というのは人間の脳の一部の事でして、これは理性や思考力、自制心など、つまるところ「理性のストッパー」的役割を担う器官です。何かしらの事情でこの前頭葉の発達が遅れると、ざっくり言えば「社会性の発達が遅れる」という事になります。 一説によると人間は、「社会性というものを持つために前頭葉を発達させた」という話があります。何故そう言えるかと言うと……19世紀のアメリカで起きた事故が参考になります。 「フィニアス・ゲージ」さんという方がいらっしゃったのですが…その人の頭に大きな鉄の棒が刺さる、という事故がありました。その結果彼は、「左前頭葉」の大部分を破損したそうなんですね。 普通に考えたら即死しそうなものですが、なんと彼はそこから見事生還し、しばらくしたらその傷も治り、なんとか普通の生活を送れるまで回復したそうなんですね。 しかしながら……ひとつ大きな変化が彼におこったそう。何が起きたかと言うと……人格が豹変してしまったそうなんです。 事故前のゲージさんは、勤勉で責任感があり、周りの人たちから非常に好かれていた「とてもいいひと」だったそうです。しかし事故後のゲージさんはまったく変わってしまった。 気まぐれで、礼儀知らずで、きわめて冒涜的な言葉を口にして喜んだりだとか。また他人に敬意を示さない、忠告は聞かない、時にはとてつもなく頑固になり、しかし気まぐれで移り気。また、言動には子供っぽさが見られ、同時に、なんか妙に野生的な側面もみせるようになったと。 事故前のゲージさんを慕っていた人達はみな「あれはゲージさんではない」と口をそろえたほどの、性格の変貌ぶりだったそうです。 この事故でゲージさんが特に損傷したのは、先ほども申しました通り、「前頭葉」。この事から、脳科学者は「前頭葉に、思考力や理性などをつかさどる機能があるのではないか」と仮説をたてて、研究をしたそうなんですね。 実際人間の前頭葉というのは、他の動物たちにくらべて圧倒的に進化しているそうです。 哺乳類は全般的にこの前頭葉をそなえているそうですが、人間ほどではまったくないと。でもそう考えると、哺乳類って、小さいながらも集団生活をおくる動物、多いですよね。ネコとかイヌとか、ゾウとかカバとか、カンガルーとかネズミとか、イルカとかクジラとか、もちろんサルも。それはこの、前頭葉の賜物といえるわけです。 先ほど、この前頭葉というのは、理性をつかさどる場所と言いました。いわば「ストッパー」だと。いったい何に対してのストッパーかというと、色々な欲望に対するストッパーなのですが、「怒り」へのストッパーという機能もついているんですね。 「怒り」というものがそもそも何か、ここらへんの仕組みを話し出すと大変なので簡単に話しますが……ざっくり言うと、地球上の生き物ほぼすべてが備える「種の保存の生存戦略」ですね。 基本的に地球上で生きるという事は、パイ争い(パイの奪い合い)みたいな側面があります。何故ならば、資源が有限だからです。ですのでそれぞれの生き物が、生き残るためにその資源を求めて活動すると、どうしても、他の生物とエンカウントしてしまうと。 人で言えば、例えばー………キノコを求めて山の中を歩いていたら、同じくキノコを求めてさまよっていた熊と遭遇してしまった、みたいな感じ。こうなってしまったらさぁ大変です。だって言葉が通じないんだもの。説得することができません。 こんなふうに、目の前に「敵」っぽいものが現れたとき、もっと厳密に言うと「ストレスを与えてくる対象」が現れたとき、生き物は「怒りスイッチ」が入ります。 このままどちらかが逃げ出してくれれば、闘う必要はない。だがもし相手が襲い掛かってきたら、闘うか逃げるかしないと、殺されてしまうわけじゃないですか。ですから防衛機能として、怒りスイッチというものがあるんです。 この怒りスイッチ。備えているのは人間や熊だけじゃありません。サルやイヌだけでもなくて、なんと、トカゲにもあります。あんな小さいナリして、しっかり怒るんですね。トカゲというといまいちピンとこないですけど、爬虫類ってことで考えるともうちょっとわかりやすいかも?例えば……「ヘビ」とかも怒りますよね。しゃー--ってね。 この怒りスイッチが入ると生き物はどうなるかというと、アドレナリンとドーパミンがでます。ざっくり説明すると、アドレナリンは興奮作用のある物質で、ドーパミンは快楽物質です。で、これらが出るとですね、体が「戦闘態勢」に入ります。 戦闘態勢に入ると、心臓が強く脈打ち、全身に血液と酸素を供給します。 その結果体温は上昇し、筋肉はパンプアップして、動きやすくなります。また目にも血液が送り込まれ、動体視力もあがります。 なぜこんな事になるかというと、敵と戦うにも逃げるにも「体を使う」からです。 そして同時に、前頭葉の機能が低下し、感覚器官が鋭くなります。何故なら敵と相対している時は「どうしようか考える時間」などなく、刹那的な判断を求められるからです。それに対応するために「闘うのに必要な機能以外はコストカットの対象」となり、活動が鈍ります。 怒りスイッチには、このような効果があるんですね。そして多くの生き物には、この「怒りスイッチ」が標準装備されているわけです。もちろん、人間も同様です。 しかしながらですね、この怒りスイッチは、社会を築く上では、とても邪魔なものなんですね。 先ほど何故、あえて「ストレスを与えてくる対象を前にすると怒りスイッチが入る」と言ったかというと……それは必ずしも「敵」ばかりじゃないからですね。 共同生活を営むという事は、人と人との距離感が近いわけじゃないですか。そうすると、自然と摩擦もおこりやすくなるわけです。 シェアハウスで暮らす友達に聞いた話ですが、「まったく生まれ育った環境が違う人たちが一緒に暮らす」と、最初は「こんなにも細かな違いがあるのか」と驚かされる、と。トイレに備え付けるトイレットペーパーが「シングルロール」なのか「ダブルロール」なのかでももめるらしいんですね。 それくらいに、他人と一緒に暮らすのはストレスフルな事なんです。 ですから、普通にそのまま(怒りスイッチ野放し状態)一緒に暮らしたら、ケンカばかりおこっちゃって生活にならないわけですよ。だって、そこかしこに「ストレスを与えてくる人」がいるんだもの。状況(前頭葉による抑止力の無い集団が生活する事は)としては、先ほど例に出した「ゲージさん」が何人もいて、一緒に暮らすようなものなわけです。 絶対に無理。 しかしながら、種として生き残るためには、力を合わせて共同生活を営んだほうが都合がいいと。そのために、怒りを制御する「前頭葉」を発達させた、そういう事なわけですね。 そう考えると、社会性というものと前頭葉の発達には、非常に強い相関関係がある事が見えてきます。つまり「人間は、他人と共同生活するために、理性を必要とした。そのために前頭葉を発達させた」と言えるわけです。 逆に言えば、成人しても「試し行動」など、社会性が低いとみられるような行動をする人というのは、前頭葉が未成熟なのではないか、と考えられるわけですね。 そして前頭葉というのは「思考力」もつかさどる器官でありますから、それが未熟という事は「エビデンスに基づく論理的思考も十分にできない」という事になります。その結果、感情論一辺倒の力押し戦法「改善要求に怒りをセットでお付けします」をするわけです。 前頭葉、大事すぎませんか……??大切にしなきゃ……。どう大切にしたらいいかわからんけど。 そんなわけで、前頭葉というものの大切さ、重要さはなんとなーくご理解いただけたかと思います。 今回のテーマ「社会性は、●●があるからこそ成り立ってるっぽい」の●●は、そう、「前頭葉」ということでございます。この前頭葉があるからこそ、人間は社会性を持って、他の動物と比較しても、複雑かつ高度な共同生活が営めるわけですね。 しかしながら。 この前頭葉があるからこそ生まれた問題というのも、なんかあるっぽい。 それは何かというと……… うん、この話をするとまた長くなりそうなので、次回にまわします…。 ほんとごめんなさいね……3回にわけたのに終わらせられなかったよ……。 そんなわけでして、今回も最後まできいてくださって、ありがとうございました。それでは、またね!!! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

          #3 社会性は、●●があるからこそ成り立ってるっぽい

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          #2 叱るではなく諭す。それを実現するために必要なモノの話。

          【声優 佐原誠って?】 ●アルビン!&しまっピーズ「サイモン」役 ●カードファイト!! ヴァンガードoverDress「コイデ」役 ●ぷよぷよテトリス2「スクエアス」役 ●アサシンクリードヴァルハラ「オズワルド」役 ●CallofDuty:ModernWarfare:Warzone「アズール」役 ●ロシャオヘイ戦記「冠萱」役 ●真心が届く「チェユンヒョク」役 等のボイスを担当しております。 宜しくお願いいたします! *この動画のトークを「だいたいの形」で書き起こしました。 *動画を観る時間取れないよー!という超絶お忙しい方向け。 *あるいはテロップがわりとしてどうぞ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうも、佐原です。 【声優 佐原誠のサハラジ!!】にお越しくださいましてありがとうございます! ではさっそくサハラジオ、始めて行きますよ、というわけで今回のテーマはこちら 「叱るではなく諭す。それを実現するために必要なモノの話。」 はい。今回はですね、以前お話した「叱る行為に効果はあるのか問題について」の続きとなります。 じゃあ「叱る行為に効果はあるのか問題について・2」とかわかりやすいテーマにしろよって話なんですけどね。それだとなーーんか内容とずれてくる感じするなぁなんて思いましたので、テーマをかえてみました( でも内容は「叱る行為に効果はあるのか問題について」の続きなので、そちらを聴いて(読んで)無い方は、ぜひそちらをいったん経由してくださると嬉しいです。 ……ビュー数的にも( というわけでさっそくお話していこうと思います。 前回はですね、「叱る事の是非」について議論する番組をみて、佐原さんも便乗してそれについてお話しますーといったところをスタートとして、専門家で心理士の村中直人先生いわく「叱る行為は あんま 意味ないよ」という話を経由して、その理由をお話をいたしました。 「じゃあ結局、人に改善要求をしたい時はどうすりゃいいの!?」とこうなる。 その答えのひとつが「諭す」である。 ……とここまでが前回の最後のお話でした。今回はここからお話していきますね。 大切な事なので前回に引き続きもう一度確認しておきたいのは、「怒る」「叱る」「諭す」この3つの「言葉の意味」です。 広辞苑いわく ●「怒る」とは、腹を立てる事。叱る事。 ●「叱る」とは、声をあらだてて欠点をとがめる事。 ●「諭す」とは、言いきかせて納得させる。おしえみちびく事。 「怒ると叱る」はだいたい一緒なので「叱る」に統一します。 そうなると「叱ると諭すの違いとはなんぞや」という話になるわけですが… どちらも「相手に物申す状態」なんだけども、その実ニュアンスが明確に違う事が、言葉の説明からわかりますと。 この言葉の意味を考えていくとね。「相手に何かしらの改善要求をする時に、そもそも怒りの感情は必要あるの?」という疑問にたどり着く。だって「諭す」の中に、腹を立てるとか、声をあらだてるとか、そういう感情をあらわす言葉入ってないじゃないですか。 これって「説諭(せつゆ)」という言葉にも似てる。 説諭とは「悪いことを改めるよう、言いきかせること。」なのですが、まぁだいたい「諭す」と一緒です。でも説諭って佐原さん的にあんま馴染みないので、「諭す」でいきますね。 で、この諭すも説諭も、感情を含まず説得を成立させている状態の言葉です。 「こんな言葉があるくらいなんだから、怒らなくてもいけるじゃないか!?」佐原さんはそう考えました。じゃあこの状態を実現するために何が必要なのかというと…… 「エビデンス」ですね。 つまり「なぜそれを改善しなければいけないのか、その根拠」があればそれでいい。こと、大人同士、社会人同士のコミュニケーションにおいては。 「何故それがいけないのか」きちんと根拠を提示しながら説明して、「であるからこうしてほしい」という要望を、これまた根拠を提示しながら説明すれば、大抵の人は理解してくれるんじゃないかと。 このプロセスに、怒りの感情必要ない感じ、しませんか? もちろん中には、エビデンスを提示してもそれを頑なに認めない人もいます。例えばプライドが高い人は、自分が負けたみたいでそれを許せず、断固として拒否をしてきたりする。 ですがそんな場合や相手でも、このエビデンスベースで諭す事は有効です。 実はこのエビデンスベースで諭すというのは、相手だけじゃなくて、それを見ている周りの人達にも影響を及ぼします。怒らず真摯にエビデンスを提示しながら丁寧に説明する態度と、ムキになってそれを認めない人、客観的にみたらどう感じるか、という事です。 そもそもきちんとエビデンスをそろえてる段階で、その内容の正当性というのは、ある側面において高いわけで。その上で感情的にならず、あくまで冷静に諭していれば、周りの人達は、その内容にも、その人の人柄にも、味方をしてくれるでしょう。 そうすることで一種の「包囲網」ができます。包囲網ができれば、その改善してほしい相手も、いずれ変わらざるを得ません。何故ならば、包囲されたままでは居心地がとっても悪いから( ただね。 いわゆる「ポジショントーク」をする人はそれでも動かないとは思うんですけどね。ポジショントークをする人は、その立ち位置を明確にし、守る事で、お金などの利益やフォロワーを獲得しようとする、あるいはしている人ですから、そういう「利益」と強い結びつきのある人は、やはりテコでも動きません。 ただ先ほども申しましたように、その人は動かせなくても、周りの人は説得して動かせるわけです。そんな風に周囲の状況を活用するという意味でも、エビデンスというのは大変有用なのですよと。 だが。このエビデンスにも、ひとつ問題があります。 それは、世の中には一定数「エビエンスというものが何なのかを理解していない」という人がいる事です。「オレが好きだから」あるいは「わたしが嫌いだから」。こういうものがエビデンスになると誤解している人が一定数いる感じがするんですね。 でもエビデンスというのはそういう事ではないんです。 じゃあエビデンスってなんなのかというと…。 ●世の中に出た研究結果とか歴史的事実などの「証拠、根拠、証言、形跡」。 こういうものの事をエビデンスと言います。 そうしたエビデンスではなくて、「自分の感覚を根拠」に、叱る事を通じて他人を自分の意のままに操ろうとする人がどうやら世の中にはいらっしゃると。自分の感覚というのはつまるところ「わたしはそうおもいました」「わたしはそう感じました」という個人的感想的なヤツなのですが、これ等はね、実はなんらエビデンスにはならないんです。 だがそのような「個人の感想」が「根拠として有効である」とか「怒ったり叱ったりする免罪符になる」と思っている人がいる。こういう人が、今回の番組でも取り上げて議論の対象になっていた「叱る人」に該当するんだと思うんです。 「個人的な感想」でいちゃもんをつける人の事を、世の中ではクレーマーといいます。あるいは、使った言葉によっては「誹謗中傷」といいます。 理不尽なクレームや誹謗中傷、昨今問題となっておりますよね。「個人的な感想」を振り回すという事は、このような理不尽なクレームや誹謗中傷につながる恐れがある、というお話です。 これと似たような話として、世の中には一定数「批判と悪口の違いがわからない人」がいるようです。「口喧嘩と議論の違いがわからない人」も同様です。 これらを隔てるものは何かというと…それはエビデンスの有無です。エビデンスのある否定は批判であり、エビデンス不在の否定は悪口である、こういう事です。 また、「エビデンスを基にした上で合意形成を目標とした話し合いする事」を議論といい、エビデンス不在の言葉のぶつけ合いを口喧嘩といいます。 佐原さんはですね、何人か「議論仲間」がいるんですね。コロナ前は頻繁に合って、色々な事についてその人たちと議論を重ねました。 ある時その議論仲間1人と、議論仲間ではない別の友達1人と僕の、合わせて3人で飲み会をしました。その時にですね、僕とその議論仲間はいつもの調子で、ふとした流れから議論をはじめたんですね。 そしたら。 それをしばらくみていた友達が「まぁまぁまぁまぁまぁ」と横から割り込んできたんです。そして僕たちにこう言いました。「落ち着いて。ケンカしないで」と。 僕とその議論仲間は一瞬何のことかわからなくて「へ?」って感じになったのですが…すぐさまそれが「我々が口喧嘩をしてると誤解された」と気づきました。そして二人で「違うよ違うよ、議論してただけだよ。いつもこんな事よくやってるんだ」と友達に説明したんです。 実際ですね、僕らの議論は、声を荒げるでもなく、なんなら楽しそうにしていたはずなんですね。ですから客観的には「単なる仲良し」にしか見えないはずなんですけど、それでもその友達にはケンカしているように見えたわけです。 こいつはとっても不思議だぞい。知的好奇心が刺激されるぞい。そう思った当時の佐原さん。「なぜケンカしてるように見えたのか」を、その友達に聞いてみる事にしました。 その結果どうやら「相手の意見に対してYESと言わない事」が「相手の事を否定する悪口だ」と考えていることがわかりました。そこで僕ははじめて、「批判=悪口と認識する人がいる」事を知りました。もう5年くらい前の話です。 批判と言うのはとても大切な事です。もし批判的な事をすべて十把一絡げにして「ダメ」とすると……「言ったもん勝ちの世の中」ができます。だってそれに対して「ダメ」と批判できないのだから。 「来週から消費税30%にあげるね」と言われたとしても、それに抗う事が出来ない、という事になります。これは極端な例だとしても、批判をする事を一律でダメとしてしまっては、何かしらとんでもない事態に陥ってしまうんです。 そんなわけで、「批判」というのは大事な事なんです。ただしエビデンスに基づいて。エビデンスがベースにある以上、批判というものは、事実に基づいて思考した一種の「分析結果」ですから、建設的な意見の場合が多いんですね。 ですが、悪口はできればやめておいたほうがいいでしょう。何故ならそれは「自分が不快に思ったから」という、単なる個人の感想なわけですから。 で、批判の場合は、もし前提とする知識や事実が間違っていたとしても、そこを改正して、また論を組み立てればいいわけです。 それに対して、悪口のような感情論だと「そもそも自分の間違いを認めない」何てことになる。何故ならばもともと「自分の感情」がベースにあるものですから、後に引けない感じになって意固地になりがちであると。 このような心理状態を「自我防衛機制」といいます。自尊心をまもるために、一切の事実や間違いを認めない状態の事です。 この事からも、論理というものは、感情ではなくてエビデンスに基づいた方が良い事がわかります。「自分のプライドを守るのではなくて、良い答えを導き出す事が目的」なのであれば。 そんなわけで、もし他人や会社に対して否定的な意見を述べている人がいたら、何を根拠に持論を展開しているのか、そこに注目してみるとよいかもしれません。それによって、その人が批判をしているのか悪口を言っているのかがわかります。そして悪口ばかり言っている人がいたとしたら………みなまでは言うまい( なぜこんな話をしたかというと、他人が口にする「悪口」と「批判」の違いがわからないということは、自分が口にする「否定的な言葉」もまた、「悪口」なのか「批判」なのかわからず使っているという事だからです。 つまり自分的には「批判」のつもりが、実態は「単なる悪口の可能性がある」ってこと。それでは上手に相手を諭す事は難しいわけですね。(悪口言われて諭される人は少ないでしょうから。) 佐原さんが主張している「諭すのはいかがでしょう」という提案は、そもそも論として、この「批判」と「悪口」の「構造上の違いの理解」と「使い分けが」できている事が前提なのです。ですからまずは、とにもかくにも、エビデンスというものがどういうものかという事を、しっかり理解する事が大事なのです。 このエビデンスを使いこなせるようになると、誰かに改善要求をする時も、冷静に怒る事なくできるようになります。……きっとね!!(きっとかい) まぁしかしながら、ね。 世の中を見渡してみるとなかなかそうもいかない様子。 何故人は「他人に改善要求する時」に「怒りの感情などの負の感情をセットにお付けしがち」なんだろうか? 何故なんだろうか、といいつつ、これにも自分なりの仮説はございまして。 人が「エビデンス不在の個人的感想」を押し通そうとする時、なぜ「怒りがセットになりがち」かというと、エビデンスが不在なわけですから、怒るとか叱るとか怒鳴るとか、そうした「勢いに乗せて押し切らないと勝てない」からです。 怒るという「一種の恫喝」をする事で、相手を委縮させて反論させる余地を作らないようにして一方的に自分のペースで終わらせないと、論破されて負けてしまうからです。そのように「負ける事」を、無意識か意識的かは別にして恐れているがゆえに、勢いに乗って勝負をつけようとしているのですと。 そんな感情一辺倒な人は、日頃から「不機嫌」を表に出しがちです。負の感情をまき散らして周りの人に「不機嫌アピール」をすることで「自分に注意を向けさせる」わけですね。 だって気になるじゃないですか、近くに不機嫌な人がいたら。 日本人は空気(雰囲気)に敏感な人が多い、という説があるそうですが、であるならば、日本人の多数派は不機嫌な人が近くに居たら気になる人だと言える。 どうですか、あなたも気になりますか?( んでですね、そうして不機嫌をまき散らして周囲の人に「気を遣わせる」事で自分の要望を聞いてもらおう、あるいは自分の都合のいいように動いてもらおう、と、不機嫌をあからさまに出す人はそのように考えているのですね。 実はこのような行動には名称がついているんです。 「試し行動」と呼ばれているものなのですが、その試し行動とは何かというと… ●「自分をどの程度まで受け止めてくれるのかを探るために、わざと困らせるようなことをする子供の行動のこと」 を言います。 これは説明文通り、基本的には子供がやるものなので、一般的には大人になるとこのような試し行動は卒業してやらなくなります。が、「大人になってもこの試し行動をする人」というのは一定数存在するそうです。どういう人がそれをするかというと………… この話をするとまた話が長くなるので、またまた次回にまわそうと思います!!! いやね、難しい話なのでどうしても説明が長くなっちゃうんですよ!! かといって話を省いて誤解されて伝わっちゃっても困りますからね!! そんなわけで、今回も最後まで聴いて下さってありがとうございました!! それでは、またね! 【了】 佐原誠のTwitter https://twitter.com/this_is_makotoS 佐原誠のYouTube https://www.youtube.com/channel/UCHa8f1Jojqwt_oPHP0V0Gvg

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