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メキシコ生活記録⑳ ー 初めての一時帰国から戻ってきました

夢のような日本への一時帰国が終わってしまった。

メキシコもメリダも決して嫌じゃない(むしろ好きだ)けど、1年ぶりに体験した日本の素晴らしさは格別だったな。
そして何より、友達に会えるだけ会った夏だった。それでもスケジュールの都合で会いたかったのに会えなかった友達もいて、改めて自分がいかに恵まれているのかということを再確認した夏でもあった。
楽しかったな…と思い出に浸りつつ、また離れ離れになってしまった愛犬に会いたい気持ちを抑えつつ、時差ボケもなおったので、この夏の思い出を書こうと思う。


1年ぶりの日本

成田空港に降り立った私が最初に思ったのは「表示が日本語だ」だった。
空港のいたるところに日本語が書いてある。表示が読める感動をかみしめた。日本語に包まれる安心感と幸福感。
その後は「看板多いな」だ。
メキシコシティにはたくさんあるのかもしれないけど、私たちの住むメリダの道路にはそこまでたくさんの看板があるわけじゃない。すっかりその景色の方に馴染んでいたんだなと思った。
国内線に乗り継ぐために、成田から羽田までバスに乗る。
すると、「道路標識多いな」と改めて感じた。日本はなんて親切な国なんだろう。それとも単純に、入り組んだ、分かりずらい道路が多いせいなんだろうか。密林を切り裂いた延々まっすぐ進むユカタンの道路に、道路標識なんてそもそも必要ないからかな。いや、だからこそドライバーは不安になってきて看板を欲しがるっていうパターンもあると思うんだけど、やっぱり予算の関係なのかな。
ともあれ、気候はほぼ同じだし……とぼんやり外を眺めていたら、田んぼが目に飛び込んできて、「うわ、ここ日本だ!帰ってきたんだ!」と唐突に実感した。
やっぱりいくら日本だからといって、縁もゆかりもない関東の街に呼び起される感情はなかったみたいだ。リアルな感情は、懐かしい風景に紐づいているのね。

1年ぶりの岡山


メキシコにいるとき、Googleマップで近所を見守るのが趣味みたいになってたので、そこまで懐かしさはないだろうと思っていた。でも、実際帰ってみると、行きつけのうどん屋さんが閉業していたり、近所の居酒屋さんが無くなっていたり、新しい焼き鳥屋さんが開業していたり、新築の家が増えていたり、葬儀屋さんが建て替えられていたり、と色々な変化があった。
でも、街の変化よりも、私の方が変化してしまったようにも感じた。
例えば、よく見知った近所の道を歩いていると、懐かしいというより、なんだか夢の中にいるようなふわふわした感じがする。
要するに、すべてにおいて現実味がないのだ。生まれて初めて味わった、言いようのない「変な感じ」だった。
私にとっては、メリダのでの生活の方が、もはや現実になっていたのかもしれない。1年って、短いようでやっぱり長いんだなと思った。

でも、この現実味のなさは、私が岡山出身じゃないということから来るのかもしれない。だって、自分が生まれ育った地元を訪れるときは、何年ぶりであったとしても胸が苦しくなってしまうから。
だから、岡山もメリダも、私にとっては生活の場=現実なんだな。
だから、今はここ!みたいに移行していく感じがするのかも。
色々な国を仕事で訪れたことのある母に、心に残る絶景はどこだった?って聞いたときのことを思い出す。母の答えは「故郷の景色以外はみんな一緒」だった。きれいだな、すごいな!とは思う場所はたくさんあったけど、故郷の景色以外はどこも特別じゃないそうだ。これを聞いたときは期待外れの回答にがっかりしたのを覚えているが、今なら分かる気がする。

愛犬との再会


私たちには、大切な大切なもう1人の家族がいる。ポメラニアンの虎次郎(とらじろう)4歳だ。
夫の会社はペットの帯同を禁止しているし、何より長時間のフライトでとらちゃんにもしものことがあったらいけないということで、彼は日本に残ることになった。幸い、とらちゃんも慣れている祖父母が隣に住んでいるので、彼は日本でそこで元気に暮らしている。でも、私たちの方が、とらちゃんのいない生活に限界を感じていたので、今回の再会を心待ちにしていたのだ。
どんな感動の再会になるのかと携帯で録画しながら近づいた。
すると、とらちゃんは大いに喜んでくれた!
ちょっと太っちゃって、お土産でもらいがちな太短いちくわみたいになってるとらちゃん。夢にまでみた本物のもふもふ。おでこのあたりからは、相変わらず来来亭(全国チェーンのラーメン屋さん)のにおいがする。
なつかしい。かわいい…うれしい…と私の全細胞が震えた。
でも、私たちはとらちゃんとの感動の再会を果たしているつもりなのだが、触れ合っているうちにある疑念が浮かぶ。
ん?この喜び方はお客さんの対応と同じなのでは…?
犬より人間の方が好きなとらちゃんは、お客さんが特に大好き。
案の定、お客さん歓迎の舞を一通り終えたとらちゃんは「まだいるの?」っていう顔になってきた。とらちゃん、私たちのこと忘れてしまったの?
これは…さみしい…
そこで、思い出してもらうべく、私たちの家の方へ彼を連れて帰ってみることにした。
お義母さんの話では、私たちが発った後、しばらくは私たちの家の方へ帰ろうとし、それを止めると怒っていたそうで、それからお義母さんはとらちゃんをできるだけこちらの家へ近寄らせなかったのだそうだ。
とらちゃん、1年ぶりのオレん家!とはすぐにならず、初めての場所のように一通りにおいを確認するため、落ち着きなくウロウロしはじめた。
まぁ、そりゃそうだよねって、私は食卓のいつもの席に腰掛けた。
すると、お家探検中のとらちゃんと目が合った。
そのときのとらちゃんの顔を見た私には分かった。
「あ、こいつ、今、私のこと思い出したな」
きっと匂いもメキシカンになってしまったあ母さんを、彼はすぐには認識できなかったんだろう。でも、よく見上げていたこの景色と私が合わさった瞬間、とらちゃんの記憶がバチィィィっと蘇ったらしい。
その後の「抱っこ!」は、お客さん対応ではなかった。
1年、犬にとっては特に長いよね…

会えるだけ会った


私にとって一時帰国とは、「ラーメン・うどん・焼肉を食べる」「家族・友達に会う」ということに他ならない。
だから、食べられるだけ食べ、会えるだけ会った。
それでも、会えなかった人たちがいて、今度こそ!と思うと同時に、私は本当に人に恵まれて生きているな、ということを実感した。
やっぱり実際に会って話すのはいい。メキシコへ行ってからもオンラインで話す機会を作っている友達もいるが、それでも会えるととてもうれしい。
私という人間は友達が作ってくれたものだな、と改めて思う。

子どもたちも、友達との時間を楽しんでいた。
1号は自分で連絡を取り合ってスケジュールを組むので私は楽なのだが、2号はまだまだ自分では難しい…と思っていたら、1年前よりキッズケータイ(解約するのを忘れて日本に置いて行ってた)を使いこなし、同じ小学校だった友達と遊ぶ約束をしたりしていた。成長だな。
私を通さなくても約束できることがすごくうれしかったみたい。
年齢的にも子どもたちだけで回れるようになった地元のお祭りは、本当に楽しそうだった。
いつも通り、幼稚園からのお馴染みさんたちともたくさん遊んだし、大好きないとこのお兄ちゃんたちともがっつり遊べて、2号氏はとても楽しそうだった。
メキシコのお友達とも楽しそうに遊んでいるが、そのときともまた違う、心の底から楽しんでいるような2号の笑顔を久しぶりに見た気がして、ちょっと泣きそうになってしまった。
2号もだんだんと人生のピントが合ってきたのか、メキシコへ行って日本の友達の有難さを感じたのか、日本にいたときよりも友達と過ごしたい気持ちが大きくなっていたようだ。母はうれしいよ。
表紙にしたのは、帰国してすぐ、お世話になった先生方へ会いに通っていた小学校へ行ったさい、2号の同級生の担任の先生が、クラスにメッセージを残して驚かそう!と提案してくださって実現したもの。
実は「2号を見かけた!」という目撃情報が同級生の間で広まっており、「そんなわけない」「ドッペルゲンガーなのでは」とプチ噂になっていたらしい!笑
みんな彼を覚えていてくれたんだと思うと、うれしくて泣ける。

一方、1号はといえば、すっかり私の友達との会話に入って来るようになった。多くの中学生にとって、家族や先生などの関係者以外の大人とがっつり話す機会ってほとんどないんじゃないかなと思う。そう思えば、1号はラッキーなのかも。私の友達は、ものすごくバラエティに富んでいるので、彼女へのいい刺激にはなってくれてるといいな。
あと、友達とわいわいしてるときの、お母さん顔をしていない私を見るのが1号は好きらしい。誰目線だよって話だよねw
でも、1号がいるとできない話もあるんでねwそのせいで、朝方まで延長戦が続くことになるんだけどw

海外帯同家族ってどこもそうだと思うけど、家族との時間が日本にいるときよりも圧倒的に濃く長くなる。日本で過ごしていたなら、特に1号の日常にはもう家族の入る余地なんてなかったんじゃないかな。私自身も中学生の頃はそうだったし、日本で中学生をした3か月間、実際に1号は部活と友達ばかりだった。親としては寂しい部分もあるけど、こうした家族離れは、1号のこれからの人生にとってすごく大事なことなので見守っていた。
「早く幼稚園に入って!」と心底思っていたのに、いざ入園となると1号と離れるのがさみしくて「やっぱり2年保育にすればよかったかも…」とか思ってたあの頃と同じような気持ちだ。
だから、私としては、この帯同で「お母さん」をやらせてもらえる時間が延長された感じがあってうれしい。
とはいえ、人生のウェイトが家族から友達や他の事に移っていく大切な時期を、メキシコで過ごさざるを得ない彼らに対しては、実のところ申し訳ない気持ちもある
この夏、少しの期間だったとはいえ、彼らが大好きな友達と過ごすことができて本当によかった。
あなたたちが友達といるときの顔、私も好きだよ。

行けるだけ行った


私は、帰国の前に日本での行きたい所リストを作っていた。
キャンプには行けなかったけど、とらちゃんとたくさんお出かけもできたし、1号は友達と美観地区に行けたし、夏祭りにも行けた。概ね達成!
でも、本当は京都、大阪それから東京にも行きたかった。ただ今回は、友達に会ってたくさん話すことを第1にして予定を組んだので、私の実家以外の遠出を企画できなかったのだ。
それでも友達のおかげで、大阪にある1号2号念願のNGK(なんばグランド花月)へは行くことができた!うちはお笑い大好き家族なので、私もうれしかった。今回で2回目。ありがとう!
大阪の街を歩いていると、1年前より外国人観光客の方々が数が増えてきたなぁという印象。このままコロナパンデミックが終わってくれますように。
あと、久しぶりに心斎橋のアメリカ村に行ったら、やっぱりメリダのセントロ(中心街)と同じにおいがした!笑
「ここ心斎橋と同じ感じする…」って言いながらセントロで買い物をしてた私の直観は正しかったのだ!

みんなの話していることが分かる


メキシコで他人の目が気にならないのは、そういうメキシカンカルチャーのおかげもあるけど、みんなの言ってることが全然分からないという私のスペイン語力のせいもある。よく聞いたって分からない。だから、隣で大声で悪口を言われていたとしても(私の知ってるメキシカンはそんな下品なことしないけど)、気が付かない。気が付かないので、それは何も言われていないのと同じ。
だからこそ、外食中に近くのテーブルの人たちが話していることが聞き取れる、という当たり前の経験をこの度日本で改めてしてみて、外で話す内容にはもっと注意を払おうと思った次第です。
ただ、日本と違ってメキシコでは私の日本語も誰も分からないから、私はすっかり堂々と独り言を言うクセがついてしまった。「え、高い!」とか「これ、おいしそう!」とか、スーパーで買い物をしながら普通の声量で言ってしまう。帰国中、これには困った。一度身に着いた悪癖を直すのは大変。

それで、やっぱり私は周囲を目を昔のように気にしてしまったかというと…
以前よりはマシ、っていう感じ
でした。
日本人はみんな身綺麗にしてるし、ぼろぼろの部屋着みたいなのとか、体型に合ってない服とか着てる人の方が圧倒的に少ない!
この圧倒的事実を前に、二の腕を出して歩く勇気は持てませんでした。だって、コソコソ話も日本語なら聞き取れるからねw
もう少し深く海外文化に染まれば「自分の着たい服を着る」っていう当たり前のことをもっと当たり前に体現できるようになるんだろうか。それともこれは文化の問題じゃなくて、私個人の問題なんだろうか。
もちもちした二の腕を堂々と出して歩ける人になりたい。

とはいえ、どこでも日本語が通じるという環境は控え目に言って最高。
もうどこにだって行ける気がする。いや、行ける!と小5の2号ですら言っている。
海外に住むと、本当に言語の通じる環境の有難さを感じるし、日本にいる外国人の皆さんに親切にしたいと強く思う。

帰りのスーツケースはパンパン


盛りだくさんだった一時帰国、帰りのスーツケースは服、食品と調味料、百均の便利グッズで埋め尽くされました。
特に、カレールー、素麺などの乾麺、大好きな出汁醤油など。
荷物検査で止められないように、自宅で何度も重さをはかりながら荷造りした。
その途中、とらちゃんが広げたスーツケースの中に何度も入って出てこなくなり、その度に泣きそうになった。たぶん、とらちゃん、このスーツケースがいっぱい並ぶ景色を覚えていて、スーツケースの森とみんながいなくなることが何となく紐づいているようだった。もう本当に心が痛い。

今思い出してもまだつらい
とらちゃんに会いたい…

でも、とらちゃんの命を守るうえでも連れて行くわけにはいかない。人間でも辛い長時間のフライトに加え、2回も乗り換えがある長旅は、とらちゃんの命に関わってしまう!と、連れて行きたい気持ちをぐっと押し殺した。

メリダに戻って


日本行きは夫も一緒だったんだけど、仕事がある彼は約2週間の滞在で、私たちよりも先にメリダへ帰っていた。なので、メリダへの帰国便は、私と子どもたちの3人ということになる。初体験でドキドキしたが、なんとか無事にメリダに着けた!
成田↔メキシコシティ間は、アエロメヒコとANAが運航している。今回は行きも帰りもアエロメヒコというメキシコの航空会社を使った。メキシコの航空会社なので、サービス面など心配していたが、まったく何の問題もなく、とても快適だった。CAさんにも日本語の分かる方/日本人が1人はいたし、途中、日清のカップヌードルの無料提供(各席に配ってくれるのではなく、バックルームにご自由にどうぞ形式で置いてあるので取りに行くスタイルでの提供)もあり、2号は2杯も食べていた。
また、何より1番よかったのは、成田でスーツケースを預けてしまえば、受け取りが最終目的地のメリダになるところだ(メリダ→成田も同様)。要するに、乗り換えのために降りるメキシコシティで大量のスーツケースをいったん受け取る必要がなく、手荷物だけの状態で乗り換え時間を過ごせるのだ。これが、子連れ旅には大変ありがたかった。
ただ、メリダ行き国内便の搭乗口がどこか掲示されず、放送でしか案内されなかったので、私たちは色んな人に確認しまくってやっと乗り込んだ。この手の顧客ファーストなサービスは、やっぱり日本が世界一なんじゃないかと思う。
とはいえ、今回は子どもたちがかなりの戦力になってくれた。お客様のように私に付いてくるだけではなく、自分たちでも積極的に案内や掲示板を見てくれたり、スタッフに一緒に聞きに行ってくれたりして本当に頼もしかった。英語もスペイン語もかなり聞き取れており、不安そうに付いてくるだけだったピクミン状態の1年前とは比べ物にならない成長を感じた。

そして、久しぶりのメリダの街を車で帰る道中、全然久しぶり感がなかった。圧倒的な現実味。
やっぱり、私の生活の場=現実は、メリダに移行しているようです。
もう少し、この街で踏ん張ってみますか。

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