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世に出ていない歌

書いては消して書いては消して、今やっと書き始めた文章。この消し跡がわからないのがデジタルの良いところで悪いところでもある。これが紙であれば消しカスが山ほど出ていて、破れていたかもしれない。こんなちょっとした過剰表現を載せることができるのもデジタル媒体の良いところで、悪いところだ。

久しぶりに文章を綴る。いや、エッセイではなくてブログでは文章を書いているのだが、ブログでは自分の感情というよりも情報を載せているだけに過ぎないから、自分ではなくても良い文章を書いている。これも良い悪いではなくて、「そういった性質」というやつだ。「そういった性質」とか「個性」なんて言葉は都合のいい言葉で使われがちでそれを言ってしもうと反論できないという性質を持っている。良くも悪くも。


今日ふと書こうと思ったのは特段、お知らせしたいことでも書きたいことがあったわけでもない。書きたいことがあったというよりは、ただ書きたくなったという方が正しい。頭の中を整理したい気もするし、何か書くことで道が拓ける気もするし、誰かに楽しんでもらいたい気もする。まあ、僕の文章には「そういった性質」を持っているから異論は認めない。


僕は26歳までバンド活動をしていてバンド解散した後も活動に至らないバンドを2年引っ張り続けて28で音楽を辞めた。そっから、少しずつ慣れないパソコンを触るようになってできることを伸ばして現在に至る。


28歳から現在の35歳に至るまで僕が始めたことを包み隠さず羅列すると次のとおりだ。

・HTML&CSS
・photoshop
・カメラ
・WEB制作(ホームページ)
・LINEスタンプ
・ゆるキャラを作る
・4コマ漫画
・エッセイ
・ブログ
・小説
・絵を描く
・読書
・料理
・筋トレ
・友人の仕事の手伝い
・音声配信
・youtube配信
・株
・bitcoin
・バイナリーオプション
・転売
・ポイ活
・競馬


ざっと、こんな感じだ。一瞬で辞めたやつもあれば、少しかじって辞めたやつ、一般的に眉をひそめられそうな転売やポイ活もしてきた。

とりあえず僕は焦っていた。バンドを辞めて何か始めたいと思って何かを始めて、その世界でもうまくやれずに自分に合っていないかもと思い、新たなことを始める。そしてその世界でも極めることの厳しさを実感し、自分にはセンスがないやら時間がないやらと諦めて、また新しいこと。

そんなこんなで数え上げれば23にも及んでいた。確かに何もしないよりは見えていた世界もあるし、WEBの知識が備わったことで自営する友人の仕事の手伝いもできるようになった。noteでエッセイを書くことで文章を書く楽しみも知った。

でもその一方で、突き抜けきれないもどかしさも感じている。

どこに時間をかけて、どこに注力したらいいのかわからない迷子になっている。
やりたいこと、やりたくないこと。世間の波に乗れること。今始めたら遅いこと。

通勤時に音楽をかけても楽しくなくて、昔作った自分の歌を歌ってたりする。そしてそれが一番気持ちよく歌えたりする。世に出ていない歌というのは、これは想いの塊であり、一種の呪いであるとさえ感じている。ギターを手にしたい気持ちと歌詞を書きたい気持ちと、限られた時間で活動する自分に更なる追い討ちをかけて半端さが増すことがわかっている。

何か新しいことを始めるときはドキドキとワクワクで気持ちがいい。でもその堂々巡りには飽きているのも事実。

これと決めたらやり抜く意志が必要だと感じる。思考すること以上にある種の思考を停止し邁進する強さが必要だなと。

上記にあげたここ数年間で始めたことは、現在やっているものもあれば今はもうやっていないこともある。むしろほとんどが辞めたものだ。自然とふるいにかけられた残っているものは大切にしたいし、その中でどれに注力しようか、はたまた新たに何か始めようかと言ったところだ。

久しぶりの文章はとても楽しく書けた。この場を大切にしたいと思えた。

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