君野ユウ【エッセイスト】

通勤時、お昼休み、就寝時などちょっとした隙間時間にどうぞ。 日常/子育て/メンタル/好…

君野ユウ【エッセイスト】

通勤時、お昼休み、就寝時などちょっとした隙間時間にどうぞ。 日常/子育て/メンタル/好きなもの紹介。 2歳児のパパ。育児マガジン「そして父になる」公開中。お仕事依頼はTwitterDMまで。

マガジン

  • 知識と理論

    知識や自身の経験からなる理論によるマガジンです。 マガジン内のnoteが増えることにより値段設定の変更をいたします。

  • 日常の中の日常

    全50回。日常の普遍的なことをテーマにしたエッセイ。無料。 クスりと笑えるような思わぬ発見があるような。この作品があなたの日常にとけこんでくれたらそれはとても喜ばしいことです。 https://note.mu/n3k/n/n56d1aaaf1451 全50回。

  • お知らせ

    君野ユウの活動に関するお知らせです。

  • 積み重なったイエスタデー

    コラムです。時事ネタあり。不定期更新。

  • およそ1600字のショートエッセイ

    2〜3分で読める量の記事です。電車が来るまでの隙間時間、休憩中、寝る前などの箸休めとなるようなショートエッセイです。 無料掲載です。 喜んでいただけましたらとても嬉しいです。

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エッセイストになるための7つの秘訣

2021年8月20日 更新 -------------------- こんにちは、エッセイストの君野ユウです。 現在、僕はnoteでエッセイ「日常の中の日常」(50記事)、「日常の中の日常2」(50記事予定)を掲載しています。フォロワー数も増え、少しずつですが有料のエッセイも購読していただいています。 そこで今回エッセイを書くために気をつけていること、エッセイストになるために行なっていることを紹介したいと思います。 ライター、ブロガー、アフィリ

    • 子どもの成長で気づいた「これ、ホンマにあるんやなぁ〜 ベスト3を紹介!!」

      子どもが産まれて、4年目。 つまり4歳になった。 日々、新しいことを覚えている姿を見て、なんとなく想像できていたものもあれば、「これ、ホンマにあるんやなぁ」ということもいくつかある。 なんとなく想像できていたことというのは、幼稚園からの帰り道に虫を拾ってきたり、言い間違いをしていたりというそんなことだ。 これらは自らの幼少期と照らし合わせての体験や、姪っ子や甥っ子の成長を見ながら気づいていた、いわば想定内の内容だ。 でもそんな想定内のお話をしても、さほど面白味もない

      • 置いてきた想い出は

        先日、何年かぶりにカラオケに行った。 (昔なんてっていう言い方はおっさんくさくて憚られるが)昔なんて20時ぐらいから翌朝の閉店時間まで友人と二人で歌ったこともあった。しかし年々カラオケに行く機会は減り、気づいたら数年ぶりのカラオケになっていた。 車の中ではいつも全力で歌っているし、歌うということに抵抗はなかったのだが、人前で歌うということにはなんとも言えない気恥ずかしさがあった。 歌の技量はもちろん、選曲のセンス、選曲の順番、一緒に行った友人に見定められているような感覚

        • 金髪とロック

          大人ってなんだか鈍臭い。自分がある程度の年齢に達して30代にもなると、いよいよ自分もそちら側になったかと思うようになった。 自分が10代、20代の頃、時々このオッサンみたいにはなりたくねぇなと思う節があった。 22歳で入社した会社で38歳の先輩がいた。職場の雰囲気は20代後半~30代前半が多い中でその人は少し浮いていたように思う。そして仕事の面からしても周りからの評判は良くなかった。 仕事の出来に関してはどうでもいいのだが、僕がその人を敬遠していたことの一つとして、髪の

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          もしかしたら、君にも会えるね。

          JUMPある日のことだ。土曜日出勤のため気怠そうに会社へと車を走らせている時のことだった。 最近では聴きたい音楽など無くなり運転中はもっぱらyoutubeをラジオ代わりに流し、やれ会社経営の話だの、税金の話だのと日々の情報を集めていた。 しかし、なんだかそれも鬱陶しくなっていた。なんとなくラジオをかけてみようと思い、僕はFMへとチャンネルを合わせた。 すると、何かの曲が始まったばかりで軽快なリフとともにイントロが流れ出した。 キャッチーなギターリフにホーンが加わり、A

          もしかしたら、君にも会えるね。

          神を宿す部屋-ツキを呼び込む部屋づくり-

          最近はどうにもこうにもならなかった。それらの全ては自分に原因があるのだけれど、ツキが回ってきていないと感じていた。そしてなんとなく焦っていた。ツキなんてものは自分に操れないもののような気がするが、ところがどっこいツキは操れると思っている。 あの大谷翔平も目標達成シートでドラフト1位8球団という目標を掲げた時に運の項目を挙げていたほどだ。運は呼び込める。 僕はスピリチュアルは信じていない口だが風水や占いは割と信じている。なぜならそれらは統計学であり、こういう行動をしていたら

          神を宿す部屋-ツキを呼び込む部屋づくり-

          エッセイストになってもうすぐ4年になる

          先日noteで記事を投稿したら「400記事目の投稿おめでとう」とアナウンスされた。 僕はそんなに物事が続くタイプじゃないし、どちらかというと飽き性だ。にもかかわらず400以上を超える記事を書けたということはちょっとぐらい誇りに思ってもいいのでは?と思っている。 そこで気になって初めてnoteに投稿したのは何年前で何を書いたのだろうと気になって調べてみた。 どうやら2018年3月16日で、確か用事があって大阪に向かう途中の電車の中で書いたと記憶している。十三を超えて淀川を渡

          エッセイストになってもうすぐ4年になる

          ポテサラと大久保佳代子

          男の人ってみんなポテトサラダが好きよね。 テレビの向こうで大久保さんは答えた。その番組ではMCの男性芸人が女性芸能人の自宅に行き、料理を振る舞ってもらうという企画が行われていた。 他のタレントも自慢の料理を振る舞い番組は大いに盛り上がったのだが、僕はこのセリフがやたらと胸に響いた。 男の人ってポテトサラダが好きなのか、そういや僕もポテトサラダが好きかもしれない、と思い始めたのだ。 不思議なもので今まで特に興味のなかったポテサラなのに、大久保さんのこの魔法のような一言によ

          ポテサラと大久保佳代子

          行き場を無くした念はただの怨念だ。

          700字ぐらい書いたところで躊躇なく消した。消した理由はただ一つ、後で読み返したくないと思ったからだ。 自分で読み返したくない文章なんて多分誰に取っても必要のないものだ。 僕は文章を書くのが好きなのだけれど、好きだなと思える瞬間は書いている時ではなく、後で読み返したときに「おもしろっ」というナルシズムさを感じれるところにある。 自分で書いていて、センスあるなぁとか悦に浸っているのだから気持ちが悪いなと思う。でも自分で面白いと思えないものはどんなに他人に評価されようが続け

          行き場を無くした念はただの怨念だ。

          妻と嫁と奥さん

          妻と嫁と奥さん。 何も三人の相手がいるというわけではない。 この人が妻で、この人が嫁で、この人が奥さんという話ではない。 男性が自分のパートナーのことを他人に話すとき、どのように呼んでいるかということだ。 これが彼女なら話が早い。他人に彼女のことを伝えるときの呼び名は「彼女」だ。そりゃ中には「俺の女」という人もいるだろうし、あえて「ヨメ」という人もいるだろう。でもそういうアブノーマルは除外して一般的には交際相手のことを指す言葉は彼女だ。 彼女の呼び名はさておき、これが

          チビっていうな。

          僕は身長が176cmある。決して低い方ではない。 小学校の時も朝礼では後ろの方だったし、(と言っても同級生は6人だったが)一般的にみても背の低い方ではなかった。しかし家族のいる場では僕が一番小さかった。 三人兄弟の末っ子で生まれた。物心ついた頃には両親と兄弟と祖父母の7人家族だった。末っ子である僕は当然ながら一番小さかった。 だから僕は家族の中ではチビと言われることがあった。これがひどく嫌だった。どう足掻いても大人の仲間入りはできないし、5歳以上離れた兄たちと遊ぶのには

          ワクワクする本に出会いたいなら本屋選びを侮るな

          久しぶりに本屋に行った。 僕は小さい頃から本が好きだった。誰にも負けないぐらいの多読家でもなければ速読ができるわけでもない。生涯の読書数もむちゃくちゃ多いわけでもなく、真の読書好きと名乗れるほどの読書家でもない。でも本が好きだった。 多分、本屋そのものが好きなのかもしれない。理由はよくわからない。自分の知らない知識や世界が広がる本屋という空間にワクワクしているのかもしれないが、この理由は一般的な読書家が語るお手本の答えであり、自分の本心かと問われるとちょっと怪しい。 僕

          ワクワクする本に出会いたいなら本屋選びを侮るな

          食べ物の好き嫌いが多い人は〇〇の好き嫌いも多い

          エッセイやブログを書くにあたって技術というものが存在する。文章の構成がその一つだし、言葉の言い回しもその一つだ。やっぱり公開する以上は誰かに読んでもらいたいし、褒めてもらいたい。ひねくれようが角度を変えて穿った形で世間に対抗しようが本質は変わらない。だって人間だもの。 文章を書くうえでの技術の一つにタイトルの付け方というのがある。タイトルは内容を表す名前でなくてはいけない。つまり作品の名前だ。でも技術という観点から考えると、内容を表す言葉であると同時に目を引くタイトルでなけ

          食べ物の好き嫌いが多い人は〇〇の好き嫌いも多い

          世に出ていない歌

          書いては消して書いては消して、今やっと書き始めた文章。この消し跡がわからないのがデジタルの良いところで悪いところでもある。これが紙であれば消しカスが山ほど出ていて、破れていたかもしれない。こんなちょっとした過剰表現を載せることができるのもデジタル媒体の良いところで、悪いところだ。 久しぶりに文章を綴る。いや、エッセイではなくてブログでは文章を書いているのだが、ブログでは自分の感情というよりも情報を載せているだけに過ぎないから、自分ではなくても良い文章を書いている。これも良い

          あとで消すかもしれない文章という逃げと恥

          時々、人様の文章を覗くことがあるのだが疑問に思うことがあった。 それは、この文章はあとで消すかもしれません、というやつだ。 あとで消すかもしれない文章というのはどんな文章だろうと覗いてみると、それはちょっと他では言えない秘密の文章もあるけれど、多くの場合は愚痴めいたものだ。 愚痴を書いている自分が嫌で、それが他人に読んでもらうことで不快な気持ちにさせているかもしれないということをわかっている。 でも書かざるを得ないというところまで来ているので、その折衷案として「あとで

          あとで消すかもしれない文章という逃げと恥

          懐かしい気持ちに胸がやわらぐのはなぜだろう

          懐かしい気持ちに胸がやわらぐのはなぜだろう 思い返せば、僕は昔に比べて随分とドライな人間になった気がする。 三人兄弟の末っ子に生まれて、山と海に囲まれたところで育った。 こうした字面で見ると、人情の厚い場所で育ったかと思われがちだがそうでもない。小学校も中学校も人数が少なかったので、嫌いな人だろうと相性の合わない人だろうと毎日顔を合わさなければならない環境だった。なので、協調性が身についたとは思うが、だからといって誰もがみんな仲がいいとは限らない。 実際のところ、僕が地

          懐かしい気持ちに胸がやわらぐのはなぜだろう