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敬語について

皆さんはどういう時に敬語を使うだろうか。

自分より目上の人と話す時、年上の人と話す時、初対面の人と話す時、サービスを提供する時など今思いつく限りでザッとこれぐらいのことが挙げられる。

では敬語を話すことは得意か。はたまた好きかという問いをかけられるとするならば、僕はすぐさま「ノー」と言うだろう。

ビジネスの上では敬語は重要である。日本の文化の中で敬語は古くから使われてきた。会社内の組織構造は一部では水平方式ではあるものの大半はトップダウンの方式による。
上司の指示は絶対で、それに従わなければ自分の地位が危うくなる。もっと言うならば上司の機嫌を損なわないように敬語は最低限の配慮だ。
それはサービス業においてはもっと重要さを増し、顧客の機嫌を損なわないように敬語は必須である。

ビジネスにおいてはそれで良い。
では我々のそれ以外の生活においてはどうか。
敬語は時として良いときばかりではない。それでは敬語のメリット、デメリットを考えてみよう。

メリット
・相手を尊重する。敬う。
・自分を丁寧な人間と演出させる。

デメリット
・相手との距離が生じる。
・自分にも壁を作り、相手に踏み入る隙を与えない。

つまり、敬語とは相手の心に土足で踏み入ることを避けるためには必要なツールであるが、敬語を使うが故に相手との距離を作ってしまう。
ビジネスの上ではそれで良いが、生活する上では邪魔だと感じることが多い。だから僕は嫌いだ。

この人と仲良くなりたいなと思っても敬語が邪魔をする。ましてやそれが年齢が違う人なら尚更だ。
中学生や高校生なら一学年違うだけで体の大きさが全然違うから、威厳や見栄に拘っても仕様がないかなと思う。
しかし、二十歳を過ぎて学生では無くなれば2〜3歳の差など大した話じゃない。例えば僕が3歳下の子と比べて三年多く生きているからといって何が偉いわけでもない。ある分野では僕の方が知っていることもあるかもしれないが、ある分野では僕が知らないこともあるだろう。年齢の上だけで優位に立とうとすることはあまり意味がない。
しかし、自分より何十年生きた人には一定の敬意は持っている。この世で何十年生きることはとても尊いことだと思っているからだ。


話を戻す。この人と仲良くなりたいと思ったとき、敬語はとても邪魔だ。
ならば敬語のメリットである「自分を丁寧な人間と演出」をした上でタメ口に移行するというパターンが一番ベストではないか。
それは何度もそう思ったのが、難しいところがこの敬語からタメ口に移行するタイミングだ。そろそろ敬語をやめようと思い、タメ口になった時に相手が「こいつタメ口になりよったな」という空気感がなんともドギマギだ。敬語の時間が長ければ長いだけ、それに比例して「こいつタメ口になりよったな」感が大きくなる。
そんなことを考えるのが面倒臭くて初対面の人にタメ口で話したことがあった。今ではとても仲良くさせてもらってる友人の一人だが第一印象を聞くと、このタメ口がとても印象が良くなかったらしい。その人は僕より一歳年上で、初対面の年下にタメ口で話されることが気に食わなかったみたいだ。

では逆のパターンではどうか。
僕はこういう考えだから年下の人にタメ口で話されても構わない。それがビジネス上で相手が先輩だったら逆に僕は敬語を使う。

こういうことがあった。
その人はビジネス上の関係で一個下の先輩だった。彼は僕にタメ口を使い、僕は彼に敬語を使う。
何回か顔をあわせるようになったのだが直接的な仕事をする関係ではないため、話す内容も仕事以外の話が多い。
そこで僕はタメ口に移行しようと思い、徐々にタメ口に移行した。
すると、どうだろうか。彼はあろうことか今度は僕に敬語を使い出したのだ。
これはまさに「こいつタメ口になりよったな」感の良い例である。
彼は僕がタメ口に移行したことにより、僕がビジネス上の関係を度外視したと思い、彼はならば自分も年上と話す時の「丁寧な自分を演出」したのだ。
しかし、これでは本末転倒である。仲良くなりたいがために僕はタメ口を使ったのに、相手が敬語になったのではなんの意味もない。僕は気まずくなって再度敬語に戻し、彼も自然とタメ口に戻した。

このように敬語とはなんとも扱いづらいものである。
だが、年下の女性と話す時、敬語で話される中にも時折タメ口を挟まれると、これがたまらなく良い。
緊張と緩和をうまく使い分けられるとキュートさが増すのだ。

もちろん、可愛い子に限るが。


次回は「鉛筆について」

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