白い靴について
ひどく頭が痛い。
昨晩は飲みすぎた。
いや、正確には昨晩ではなく昨日の昼だ。昼に集合して12時から19時までと7時間待ったなしで飲み続けた。最初から最後まで飲み続け食い続けたものだから夜飯は食べていない。
途中漬物の盛り合わせを食したかと思えばその後に豚バラにんにく焼きというヘヴィーなものを頼んだ。はちゃめちゃだ。そんなこともあって夜は食べていない。
そして目が覚めて「頭いてぇなぁ」なんて思っている今である。
しかし昼間から飲む酒はうまいので、これぐらいの代償などヘッチャラなのである。
最近は出かける時、白い靴をよく履いている。
あまり、スニーカーを持っていなかった僕なのだが先日意を決してスニーカーを買った。
何も意を決して買うほどのことでもないのだが、靴を買うという行為はなんだかとても勇気がいるのだ。
友人に靴がとても好きな人が何人かいる。
「オシャレは足元から」
そこにはなんの反論もないのだが、僕には靴を買う習慣がないのだ。
以前、靴を買ったのは5年ぐらい前だろうか。スニーカーを買ったのはもっと前かもしれない。
サンダルやブーツを履くことは好むのだが、スニーカーはあまり自分の性に合っていない気がした。
はて、スニーカーの性ってなんだろうか。
スニーカーはスポーツのイメージが強い。それ故、どこか誠実な印象を持つ。ワンパクさも垣間見える。そんなところだ。
僕はスポーツが特別好きでもなければ、誠実でもワンパクでもない。だからスニーカーを履くことに抵抗があったのだろう。
それでもスニーカーを履こうと思ったのは、自分のキャラクターに合わないことへの挑戦である。
時々、変化を求めて今までしなかったことをしたくなるのだ。
ならば少し、オシャレに赤のスニーカー、もしくは黒のスニーカーを買おうと心に決めていたのだが、気づいたら僕は白のスニーカーを手にレジに向かっていた。
機能性を考えた時、白色は汚れが目立つ。それを分かっているのにも関わらず僕は白色を買っていた。
これは白色を好む心理状態なのかもしれない。
色彩心理学における白の特徴とは
「目標に向かって努力を惜しまない。真面目。完璧主義者」
らしい。なんだかとても良い風に書かれている。
どうやら、今の僕には何かしらの目標があり努力をしている最中のようだ。
白い靴というワードを思う時、僕は一つの曲が頭の中を流れる。
THE BOOGIE JACKの「白い靴」という曲だ。
僕はこの歌を何度となく聴いて今でも時々脳内を駆け巡る瞬間がある。
「白い靴がよごれ はきかえた白い靴
はきかえることのできない僕の 僕のカラダさ」
ありのままの自分を受け入れる。
そんな歌が僕のテーマソングのひとつになっている。
今日はやたら天気が良い。
夕暮れまで洗濯物を干そうかなと思う。
次回は「ラーメンについて ~あの食べ物を食べる時のあの感じに近い~」
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