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笑いについて

今回の「笑い」というテーマ。
何も芸人の誰々が好きだの、あのコントは秀逸だのと語りたいわけではない。

「笑い」というよりは「笑う」ということについてのお話。

「笑う」とはつまり受け取り側であるということ。

例によって自身の思い出話などを交えながら綴ろうと思う。

お笑いは好きだ。

個人的に好きな芸人もいるし、漫才やお笑い番組を観るのも好きだ。
吉本だって何度か観に行ったこともある。
一人でテレビを観てゲラゲラと笑うこともある。

しかしだ。

しかし、一人ではなく友人や、誰かといった第三者と観る場合ではそうではない。

なんだかうまく笑えないのだ。

これは珍しいパターンなのだろうか。

友人たちと話をしている時、笑うことにはなんの抵抗もないのだが、誰かとテレビを観ているときはうまく笑えない。

なぜかというと、この場面で笑ってもいいのだろうか。と友人と笑うポイントがずれていないかどうかを伺ってしまう。

友人が笑っていない時に笑ったらおかしいと思われないか。

そんな思いから友人が笑った時に僕も笑おうとしてしまう。

そんなことを考えるあまりうまく笑えないのだ。

こんな風に考えるようになったのは、なぜかなと考えてみる。

たどり着いた記憶は小学生の頃。

僕は5歳離れた兄とテレビを観ていた。確か番組はダウンタウンがMCを務めるHEY!HEY!HEY!だったと思う。

毎週、アーティストがゲストで呼ばれ、ダウンタウンとのフリートークの中で笑いが生まれる。
松ちゃんがボケて、浜ちゃんがゲストの頭をシバいて会場は笑いが起きる。茶の間の僕たちも笑う。

時々、小学生の僕には分からないボケもあった。
それでも僕は面白かった。
会場の客はケタケタと笑うし、横で兄も笑っていた。その雰囲気が楽しくて僕も笑った。

すると兄は
「お前、これ意味分かって笑ってる?」

そう聞いてきたのだ。

なんだか僕は悲しくなった。

意味など大して分からなかったけれど、面白く思えた。そして笑うということを否定されたことが悲しかった。

また、別の日のこと。正月になり親戚たちとテレビで新春初笑いと題した漫才を観ていた。

テレビには僕の好きな漫才師が出ていた。
集まった従兄弟たちの中でも僕は一番年下だった。
だから僕のツボが浅かったのかもしれない。

僕はテレビを観てクスクス笑いだした。でも周りの親戚は誰一人として笑っていなかった。僕は一人だけ笑っているのが空気を読めていないような気がして、バレないようにこたつに入って笑いを押し殺していた。

すると、一人の叔父さんがこう言い放った。

「こいつら全然おもんないやんけ」

僕はこれまた悲しくなった。
僕の好きな漫才師を否定された。僕がおもしろいと思う笑いを否定された。それは同時に僕も否定された気がした。

この二つのエピソードは未だに僕の中で色濃く残っている。だから誰かと観るお笑いに抵抗があるのはこのせいかもしれない。

そして時々、女子が言う付き合う条件の一つ、「笑いの価値観が合う人」と言う言葉も理由の一つかもしれない。

余談だが世の女性が言う、「好きなタイプはおもしろい人」という言葉が鼻につく。
あれはおもしろい人が好きなのではなく、楽しい人が好きなのだ。
一緒に遊園地ではしゃげるとか、どこかに連れて行ってくれるとかそういうこと。
こっちがおもしろい人という言葉を真に受けて、毎回小ボケを挟んでいたら、奴らは疲れるとまで言いかねない。

そして奴らはおもしろい人ということによって「私、お笑い分かってますよ」アピールも含ませるから気に食わないのだ。

話を戻す。

とどのつまり、笑うということはその人の価値観である。

自分が培ってきた経験や、考えをおもしろ可笑しく表現してくれたことによって共感を持ち、笑うのだ。

そしてその場の空気感によっても笑いが生まれる。

赤ちゃんが笑ったことによって周りの大人も釣られて笑う。これはミラーリングのせいかもしれないが、笑っても良しとされる空気感が生ずる。

また同じボケをした人が二人いても笑える人と、笑えない人がいる。
それはその人が持つ「間」や微妙な技術的なことが影響するのだと思う。
しかしその差だけではないと思う。
松本人志のボケとそれ以外の人が同じボケをするとやはり、松本人志の方がおもしろいのだ。
それは松本人志が言った言葉ならおもしろいと思う安心感がそこにはある。

受け取り側の中で、今まで松本人志で笑ったという実績が積み重なっている。だからこの人の言う言葉なら笑ってもいいのだと信頼できるのではないか。

これは以前の直観の話に通じることだが、初めて会った人でもおもしろいと思えるのは今まで出会ってきた人の中でこのような表情、話し方をするタイプはおもしろいと思うデータが受け取り側の中で蓄積されているのだ。

そのデータを元に安心して笑うことができる。

こんなことを言えば身も蓋もないのだが、あーだこーだ言わずに自分がおもしろいと思えば、構わず笑えばいいのではないか。
いちいち考えればおもしろいものもおもしろく無くなるのだ。

今から自宅にて松本人志のドキュメンタルを観ようと思う。

もちろん一人で。


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