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母に気づかされた、相談しなければいけないという本当の意味

困ったことがあったり、悩みがあったら相談しろ。

その言葉が嫌いだった。そのあとに続く「話したらスッキリするから」と言う言葉にはただ頼ってほしいという気持ちが垣間見えているからだ。
確かに相談することによって相談者の気持ちは幾分かは晴れるかもしれない。しかしその多くは話したところで「それは難しい問題ですね」と相槌を打たれるだけの気がしていた。結局は相手の弱みを受け入れることによってマウントを取りたいだけなのだろう。
最近ではそんなうがった考え方をしなくとも無駄に心配をかけたくない、心配をかけたら面倒くさいという思いがあった。
どちらにせよ相談という言葉にはそんなマイナスイメージがつきまとう。

しかし、母に言われた言葉によって相談という言葉の意味が大きく変わった。






先日、久しぶりに実家に帰った。
実家に帰れば、私とは似て非なる性格の母がマシンガンのように喋り始める。
あんたの同級生の〇〇くんとこに最近子どもが産まれた-とか、兄貴の娘が実家に住むようになる-とかの日常報告だ。


まぁどこの家庭でも久しぶりに実家に帰れば同じような話題が繰り広げられる。
しかし、最近この内容に変化が見られる。
その話題の変化というのは病気に関することだ。母の年齢は65歳。友人、知人で病気になったり亡くなったりするケースが増えてきた。母方の祖母も昨年亡くなっている。母もそのような年齢に達したのだ。
私としても以前は芸能人の訃報を聞いても失礼ながら「誰やねん、それ」と思うことが多かったのだが、最近は自分が知っている年代の俳優さんが亡くなったりと病気や死というものが身近になっている。私も年をとったのだ。


母は、私が昔通っていた床屋のおじさんが亡くなった-とか、〇〇さんが病気の治療をしている-とひと通りの情報を垂れ流したところで私にこう問いかけた。



そういやあんた、首の痛みは大丈夫なんか?

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