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意識高い系からの脱却


はじめに

何かをされるときにある程度、目標を設定されると思います。しかし、その目標設定を間違えば、得られる結果もおのずと変わってしまいます。目標設定を間違えていることに気付かずに取り掛かることが多く、取り掛かっている時に修正ができるにもそれを放置し、思っていたのと違うということはざらです。そういうことに気付かず放置するのは意識高い系の常とう手段です。今回は意識高い系が陥る目標設定や行動パターンについて書いていきたいと思います。


意識高い系には他者が必要

まず、意識高い系と意識高い人について説明したいと思います。意識高い系は意識高い人と全く別ものです。意識高い人は自らの目標を達成するために努力をし、途中で修正をし、目標に到達します。彼らには目標達成に向けて、他者への干渉や目をあまり気にすることはありません。むしろ、自分との戦いです。それに対して、意識高い系は目標だけを設定し、それをアピールし、取り組んでいるふりをします。高い目標を設定したことに対して称賛が欲しいだけです。目標を設定することが彼らのゴールであり、達成は彼らの目的ではありません。彼らは自分の頑張っている姿を人に見せたいだけで、概して教養もなく、サボっている自分を棚に上げます。超絶ダブスタの厄介者です。
意識高い人は自らの目標を達成するために努力し、その過程で他者と関わることはありますが、基本自分一人で行うことになります。目標に向かっている過程で、人が付いてきます。それに対して、意識高い系は他者からの目線を最初から気にして、人よりもすごいことをアピールしたがります。意識高い系が自分で行動を起こそうとするのは勝手ですが、巻き込まれたときにはたまったものではありません。意識高い系が単なる害悪になり、人を避けさせてしまうこともあります。意識高い系は他者が必要ですが、その他者がいなくなり、他者の気を引こうとし、人を寄せ付けなくなってしまうという結果を招いてしまいます。
意識高い系は人に認められようと行動を起こしますが、それが非常に不快なものであることがあります。以前に取り上げた士業やくざの方がその典型で、とにかく面倒くさかったです。その理論が正しいかどうかは別として、まずコミュニケーションが成立しませんし、とにかく自らの意見を押し付けてきます。彼らの目的はただ一つ、自分の意見を受け入れてほしいだけです。彼らが強引なのは、楽して他者に認められようとし、さらに上に立ちたいと思うからです。そんな人に絡まれた側は良い気持ちにはならないと普通の神経をしていればわかりますが、冷静さを失うとそういったことの分別が付きません。意識高い系は冷静さを欠いています。その冷静さを取り戻せば、多少なりとも、その人の人生も人間関係も好転し始めると思います。
他者が必要な意識高い系はその怠惰さと傲慢さから人が離れていき、さらに人を求めようとします。その悪循環を繰り返してしまい、そのうちに大切なものを失うことになります。途中でそのことに気付き、流れを断ち切ることができれば、意識高い系からの脱却になります。

逆境であると思い込む

意識高い系はまず、自分たちが虐げられていて、その逆境を自らはねのけようとします。彼らの逆境は彼ら自身であり、周りの環境ではありません。何度か取り上げている人はその典型です。意味不明な差別を勝手に生み出したり、ありもしない障壁を勝手に作り出したりします。結果、彼らのせいで同業者や本当に苦しんでいる人を貶めていることになっていますが、彼らにはお構いなしです。彼らは自分さえよければ、それでいいのです。彼らが求めているのは逆境で頑張っている自分がかっこいいと酔いしれて、その姿を見てほしいだけです。彼らがしていることは頑張りでもなければ、悪あがきです。世間で彼らの行動を努力とは言いませんが、彼らはそれを努力と思い込んでいます。
彼らは逆境であることと思い込むのは、その中で頑張っている自分がかっこいいからであり、そんな自分を周りが評価しないはずがないとなるわけです。しかし、残念ながら、彼らは評価されません。まず、頑張っておらず、鬱陶しい存在に成り下がっています。そして、目標設定で大事な状況把握や前提を見誤っているからです。彼らは事実ベースで事を捉えるのが嫌いで、事実ではなく彼らの解釈を事実と思い込んでいるからです。意識高い人は頭を使うところと使わないところの見極めが完璧ですが、意識高い系はそれが的外れに終わります。頭を使うべきところで頭を使わず、使わなくていいところで使います。高速道路を加減速度以下で走り、渋滞していることを猛スピードで走っているのと同じです。単なる迷惑行為となります。
前提や状況把握がうまくできていなければ、目標の設定も少しズレたものになります。達成のアプローチも間違ったものになります。街中で困った人がいたとします。自分がお腹が空いているので、困っている人もお腹が空いているのだろうと思い込み、食べ物を渡したとしましょう。偶然お腹が空いていれば、相手の目的は達成されましたが、そんなことはそう多くありません。お腹が空いていないのに食べ物を渡されても困るはずです。しかし、意識高い系には相手がなぜ困っているかわかりません。
普通はまず、なぜ困っているのかを聞くはずです。そこで何をするかを決めます。困っている人が、足が痛くて歩くのがしんどければ、タクシーを呼んで目的地まで行ったり、おんぶまではいかなくても何かしらの手助けをしたりするはずです。つまり、状況把握や前提を把握することは目標設定や目的達成において非常に重要なことです。それを自分の解釈で進めると目指していたものと違うものになります。
意識高い系は自分の考える世界と現実世界の差を差別や無関心のせいにしたがります。その差がなぜ生じているのかということを深く考えずに、何かのせいにすると楽だからです。しかし、それで何かを達成するときにうまくいくことは難しく、自分の認識と実際の事象を分析することが求められます。差別や無関心という抽象的な原因に持って行くのではなく、その結論に至るまでの分析を大切にすれば、そういった結論には辿り着くことはあまりありません。現状分析が明後日の方向に向かなければ、意識高い系からの卒業することは可能です。

最後に

意識高い系は煩わしい存在ですが、そこから脱却すれば、彼らは大きく成長するはずです。目標を設定することや他者からの目を気にしながら何かをすることについては長けています。意識高い系が向けるべきベクトルを自分に向ければ、そこから意識高い人になれ、大きな成長が見込めるはずです。逆にベクトルを他者に向け、大きくしていくと意識高い系から迷惑な人になってしまいます。意識高い系から意識高い人になることはそこまで難しくないはずです。実は意識高い系と意識高い人は紙一重であることもあります。他者への迷惑行為を止め、現状や前提の把握をきっちりすれば、大きく変わるはずです。それに気づくかどうかは、今の自分が置かれている状況をどう捉えるかです。

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