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摂食障がいの克服129【頭鳴り・不調・再度フロイトのお話とその他の心理学】

 お疲れ様です。

 まだお仕事の指示が出ておらず、家で待機しています。

 私がノートを始めた時(3ヶ月前)すでに無職でしたが、わりと長い時間仕事をしていないんです。
 ずっと長い間、仕事をしないなんて、そんなこと許されるわけないと思っていました。たった1日でいいから休みたい。当時私の仕事はお客様あっての営業です。つまり、キャンセルされたり、スケジュール変更があったり、たくさん資料持って行ってただ怒られる日もあれば、・・努力は無駄ではないけれど努力したからといって結果があるわけではない。

 それまでの貿易関連のお仕事ではある程度規則性がありますが(と言っても、分刻みにある程度同時進行して各種業務を進めていかねばならず、そういう時間が好きだった・・・とこれは一番最初の商社のお話、その後様々な企業を経験)、営業のお仕事では早朝も深夜も土日も自分次第。

 とても疲れた・・と2、3度予定変更のあった後に自転車こいでいて自転車ごと車にはねられたのもこのころです。自転車は廃車、バッグも靴も飛んで行って、新たに買いなおしました。

 自動車事故になるので、相手が9割、私が1割の責任をおい、自転車やバッグなどの調達価額中、1割が自己負担、9割は相手の自動車会社が負担してくれました。私自身も個人賠償保険に加入しているので、そちらから補償がおりました。

 そのころ、私はもう長い間耳が聞こえづらくなっていました。
 耳自体の問題ではなく、頭の奥から音がするんです。例えば、文章を読んでいてもその音が邪魔で頭に入らないので、音読するしかない。
 そうやって、FPの試験も受けたなあ。(試験問題を音読するわけにいかないため。ただ2級取得できたときは嬉しかった。)
 
 例えば1対1で話をすると大丈夫ですが、講義のようなものを受けていると、講師の声がよく聞こえないという現象。
 外で自転車をこいでいても、消防車や救急車の音が聞こえても、よく聞こえないんです。とにかく頭の後ろから音がする。息子にもよく、家では大きい音で音楽聴いとき、と言われたぐらい。しーんってなっているほどに辛いんです。

 脳神経外科にいったのですが、異常なし。
 結果お仕事を休むのですが、するとその音が全くなくならないとは言えないけれど、非常に楽になりました。
 精神科で相談したときには、もしかして不調からくる、血液の音かなあ・・と。結果的にわかりません。

 人が疲れた時に様々なアラームが出て、でも普通は、それこそフロイトで考えると、

 エス : 疲れた。じゃあお仕事さぼろう。
 スーパーエゴ : 何言ってるの、人や会社に迷惑かけてどうするの。家族にも責任があるでしょ。何があっても働く!
 エゴ : とにかくがんばれるところまでがんばろうか。

 という感じになるのでしょうか。(【126】で書かせて頂いたフロイト)
 なるほど、スーパーエゴが強ければ強いほどエゴは押しつぶされて、結果不調を来すということ・・ですね。(コメントくださった方と私は同じ症状なのかもしれません。ありがとうございます。)

 そのころ、とある日くたくただけれど、業務報告のために会社に戻る途中、女友達にお電話したんです。すると、
 『もうね、NA(私)はずっとがんばってきたんだから、1日休み。3日でもいい。いや、3年休み!!』って言われて心底驚いた。

 以前も書いたように思います。重複して申し訳ないのですが、私には目からうろこでした。そんな生き方許される”わけがない”。

 結果自分が思ったより長い期間仕事をしないという結果となりました。

 エス : 疲れた、休みたい。
 スーパーエゴ : 休むなんてだめでしょ!
 エゴ : いや、でも身体はこの世で生きる間借りている、『借り物』だからね。常識的に考えて、ガソリンなくなったら終わりだから、ちょっと休むことも、これからがんばるために必要なんじゃない?(自分の身体を『借り物』として考えれば自分にも優しくできるかもね、とこれは私の主治医のお話)

 とそんな感じになるのでしょうか。
 学問は学問として、摂食障がいや強迫性障がい、生きづらさ、すべてをそうやって変換すると、エゴとはこの社会の常識にうまく合わせて調整する役割なのであれば、そう考えてもいいのかも。

 きっと心に不調を抱える体質であると、必要以上に自分に厳しくしてしまいがちだから、自分に優しくってところを逆にエゴが教えてくれるのかもしれないですね。改めて読んでくださった方、好きしてくださった方、コメントも頂いてありがとうございました。

 これまでも、心理学アプローチは何度か書いてみているのですが、また少しずつ書かせて頂ければと思います。一応カウンセラーの資格持っていますけど、これも摂食障がい真っ只中のころ、日中働いて、帰宅して家事終わってから猛勉強。なんとかこの辛い経験を活かしたかった。辛かったからこそ分かる心があると思ったんです。

 また、私がよく書いている友達ですが(耳の悪い友達)、最初、過食なんて贅沢病だって言っていましたけど、今だいぶ心を大事に考えてくれるようになってきたように思います。一つの出来事があって、『心』でとらえる人、『外』(事実)でとらえる人がいるそうです。
 
 過食?→ 贅沢。お金かかってるでしょ。(外の人の例)
 過食?→ なんてつらい・・・。苦しかったんだね。話きくよ(心の人の例)

 また、ストロークの回でかいたこと。人間には3つの自我があり、親、大人、子どもだそう。(そして、各自我もさらにふたつに分類されます)

 彼女:『なんか食べたいかも。』
 彼氏:『食べたいの?』
 彼女:『なにか悪いっ?!』

 → 彼氏が食べたいの?と聞いたのを、普通に『大人』の自我で受け止めると、『うん。食べたい』って答えれば問題ない。けれど相手が『親』の自我から自分を『子』の自我として、責められてる・怒られてる、と勝手に変換した。(この時間に食べちゃいけないの?私が太ってるから?と負のループの考え方)

 すると『なんだよ、そのいいかた!』とけんかになる・・・という感じです。(分かりづらかったら申し訳ありません)

 *フロイトの教えにより、エゴというものを活用し、少しずつ現実世界とスーパーエゴをすり合わせて自分に優しくする。

 *『外』の人が案外多い世の中。考え方の違いだから、と割り切って自分を守る。HSP気質だと、間違いなく『心』の人

 *相手の自我と自分の自我を『親』『子』関係ではなく、大人にもっていってみる。

 というところでしょうか・・・。ストロークのお話ですが、自分の自我が現在『子』であれば、相手が『親』で問題ないんですよね。これも自分の経験ですごいわかるんです。相手を尊敬しているというか、この関係が成り立つこともある・・・

 全部深い話をしたいわけではなくて、現在思うことを書いているのでさらっと読んで頂けたらとても嬉しいです。

 最後に(といいつつまた夜に現れる癖もありますが)、仕事を休んでいる私として、ひとつありまして、
 『ツレが鬱になりまして』という小説があります。
 細川テンテンさんという方の実話です。
 私はテンテンさんのイラストも好きだし、またダイエットの本も好きだったりで、テンテンさんに一緒に写真を撮っていただいたこともあるんです。

 ツレ(つまりご主人)が鬱になりました。激しいリストラの後、生き残ったツレ。最初はそれは嬉しいと感じるとおもう、皆がリストラされても残ったから。ただ、激務になります。ある日、妻のテンテンさんに、真顔で、『○にたい・・』という。テンテンさんはすぐに会社を辞めるといってきな!って送り出してツレは無職に。

 そこからふたりが生活を軌道修正していく様子、ツレが徐々に回復していく様子が描かれています。生きていくためには、無論健康や心や、けれどもお金が必要だから。

 テンテンさんものちに仰っていた(ように記憶する)のですが、突然会社を辞めるというのは、非常にもったいないです。これまでがんばってきたので、ある程度、保障を確保しても私はいいと思います。

 この仕事を休んでいる間、私はそういった制度に非常に助けられて生きていた。

 早く仕事終わった友達が来るので今から地味にあるものをお料理しようと思います(外食する?と誘ってくれたけど、なんというか外食する体力がない。・・・・矛盾すぎる)

 

 

 

 

 

 
 
 

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