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茶色く枯れてぶくぶくと灰色に太った社会経済システムと私と

気がつくと、目の前に茶色く枯れたようなギスギスと痩せて、だけど、ぶくぶくと太った瀕死の老人のようななんだか背の高い生気のない存在がいた。
私と彼の2人きりだった。茶色く枯れたギスギスと痩せて、ぶくぶくと太った瀕死の老人である彼は”社会経済システム”なのだった。

彼は憔悴しきっていた。私は何か言わなくてはと思ったが、何も言うべきことを思いつくことができなかった。
何も言わなくても、私は私が彼を信頼できていないと言うことが彼に伝わっていることを感じた。私は自分が息を詰めていることに気がついて、深くため息をついた。

私が深くため息をつくと、彼はすすり泣いた。
すすり泣く彼をじっと見つめていると、彼の憔悴と困惑とが私の体の中に流れ込んできた。彼の憔悴と困惑が私の体の中に流れ込んでくるにつれて、視界がだんだん青くなってきて、その青さがどんどん濃さを増して、私はとうとう濃紺の闇の中にいた。

濃紺の闇。
私は、茶色く枯れたそしてぶくぶくと太った瀕死の老人が絶望的な深さの悲しみの中にいることを感じた。暖かさに対する深い憧れと、その憧れがより絶望を深めていくそんなどうしようもない究極的な黒よりもはるかに深い濃紺の闇。
その闇の中にいて、私はお互いがその深い闇の中にいるという、差し向かいの孤独の寂しさ、冷たさ、どうしようもなさに圧倒された。

私は、人間の代表として、あなたは悪くないよと人間としての思いやりの言葉を言いたかったが、それを言うことが自分の安全を脅かすと思って口を開くことができなかった。
あなたは何も悪くない。私は本当にそう思っているのに、それを言うための力が出なかった。私は自分が大切に思っている自分の正直さを、あるいは自分の命の知恵を、胸の中にある小さな箱にしっかりとしまいこんで、私が私であることを拒絶した。

濃厚の闇の絶望の中で、差し向かいの冷たい孤独の中で、茶色く枯れた老人のすすり泣く声を聞きながら、ああこれがある種の二元論なんだと頭の角で納得した。この種の二元論は「あなたが生きる、私が死ぬ」あるいは「あなたが死ぬ、私が生きる」要するにそういう世界なのだ。
「私が生きるためにあなたは死ぬ」これは究極的には「私が生きるためのことをすると、私は死ぬ」そういうところに行き着く。

その時ふと、初夏の緑が私にささやいたことを思い出した。「自分がパラドックスにとらわれていると気がついたときには、それはね、あなたが自分の視点の次元を1つ上に移動させるって言うそういう合図なんだよ。」
それを言われたときには、なんだかわかるようなわからないような、それでもみずみずしい初夏の緑が言うことは、私の全身に染み込んだ。命が語る事は真実で、人間としての私の仕事は、命の語る真実を自分の体を通して表現することである。
私はこの仕事のためにこの場に呼ばれたのだった。
しかしながら、私には何もいい知恵が浮かばなかった。あまりにもどうしようもない。

あなたは茶色く枯れていて、そしてぶくぶくと太っていて、そして憔悴しきっている。瀕死でもあるあなたを目の前に、私は不誠実に自分の正直さを小さな箱に詰めて胸の中に隠している。
私たちはお互いに信頼していない。私たちはお互いに向き合っていて、お互い明確に見つめ合っていて、そして闇の中にいる。黒よりも深い濃厚の闇。差し向かいの孤独。暖かさに憧れを持ちながら冷たさにとどまる、私はそれを狡猾な戦略だと思っている。だけど、絶望から目をそらすために自分に力があると信じたいがために、ただそれだけのためにこの戦略を手放すことができない。実際のところそんなものは力ではないと知っているのだ。冷たさにこごえて死んでしまわないためには、嘘が役に立つ。そう信じていたい。

ああそうだ。私は私を信頼することをせずに、嘘を信頼することを選んでいる。
そして、選択はいつでも変えるできるのだ。私が望みさえすれば。

もし、私たちの関係が、あなたと私の間で起きていることではなくて、あなたと私の存在がより大きな流れの中の1つの波動だとしたら?
そうだとしたら、私たちのこの関係性、どんどんとスピードを上げていく不協和音の連続であるようなこの響き、この響きによって表現されているものは何なのだろう?

濃紺の闇に沈みながら、私はああなるほど、この深く広がる質のある闇に、私たちはどちらも平等に包み込まれ受け入れられ深く沈んでいくのだと知った。私の欺瞞も、あなたの憔悴も、やがては闇の中に名前を失っていく。

全てが平等に包み込まれ受け入れられ、何にも名前がついていないところ。お互いにそこまで沈んで、そこで名前のない者同士でもう一度会いましょう。

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