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小学校の先生を辞めたからこそ見える世界

6年続けた小学校の教員を退職して2ヶ月!改めて、今学校に対して思うこと、見えてきたことを今日は書いていく。

学校をの先生時代の後悔!

学校って、学校の先生をしているときには、次の日の授業のことや研究授業のこと、校務分掌のことばっかり考えていて、これからの日本の教育はどうなる?などのマクロ的な視点で教育について考えることが難しかった。
それに、実際に自分の周りの先生や管理職の先生とそんなことを話す機会なんて全くなかった。
ちょうど私が、3年目のときに、指導要領の改定があり、外国語活動(3.4年生)や小学校英語(5.6年生)、道徳の教科化、プログラミング教育といったものが新しく入って来た。
しかし、現場は、どうしてそういった新たな教育について入って来たのかを議論するよりも、「え?プログラミングって何するの?」と不安ばかりになり、とりあえずやらなきゃいけないから、方法論に走っていた。
学校現場にいるときには、「よし、道徳の教科化か!本でも買ってどんなことをすればいいのか準備しよう。」くらいの気持ちでいたが、教員を辞めた今やるべきだったと思うことは、どうして、その教育が求められているのかをもっと、納得いくまで理解するべきだったと後悔している。

先生の主体性

日々の仕事に忙殺されても、教育の目的を見失ってはいけない!
先ほど、新しい教育に変わっていく際に、方法論に走ってしまったと言ったが、どうして新たな教育が求められているのか?
これをもっと理解した上で教育実践をしていくことが大切だよね!

文部科学省のいうことに従うことだけで、どうしてそうなったのか、思考停止するのではなくて、自分は、これからこういう風な世の中を生きていくだろうこの子たちにこれを伝えたい!こういう力を身につけてもらいたい!
という主体的に教育に向き合う姿勢が必要だったと思う。

教育って、いますぐに使えることを教えていくことももちろんあるけど、将来その子が幸せに生きていくために何が必要なのかを先生が考えていく必要があると思う。
でも、その視点は、正直なかった!

次の日の授業でやる内容をどう教えたらいいのかな?
どうしたら技能を身につけることができるかな?
教科書の内容をしっかり教えなきゃ!

ということばかり考えていた。
もちろん、教員の仕事は、教科書の内容をしっかりと教えることだし、求められているのもそれ!

「どうしてこんなことを教えるのか」を考えることは教員の仕事内容にはない!
でも、ただ言われた通りに教える教員よりも、しっかり将来のことまで考えて指導する教員の方がいい授業できそう!!

主体的に子どもたちの将来のことを考えて教育ができる先生になりたかった!!

学校に柔軟性を!

とはいえ、主体的に考え出したことを学校で勝手に教えることができない!
下手なことをしたら、「それは、指導要領のどの部分に書いていることをしたんだね。」をお叱りを受けることある。

主体性が潰れてしまう瞬間だ。

日本の教育は、日本全国同じ、学習指導要領の下、学ぶ内容が管理されている。
みんな同じような人を育てようとしているとしか言いようがない!

もっと、真剣にこれからのことを考えて教育をしていくなら、学校や担当の先生が柔軟に教育を行えるようにしていった方がいい!

ただ、そのシステムに慣れていない先生のシステムでは、難しい!

だからこそ、私は、これからの将来を幸せに生きる子どもたちが増えるように場を全国に作っていく。
同時に、学校の外から、学校の在り方を考え、発信していくことを続けていきたい。

それは、学校が大好きだから!!

47都道府県に、子どもたちの好きに正直に学べる場を作ります!
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