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どんな組織でも常にどこかで「辞めてもいいや」と思って過ごすこと

 今の会社での立場はすごく特殊だ。呼び方で言うと、交流者と呼ばれ、雇用された会社に属してはいるが、別会社に所属し働いている。そんな立場。いわゆる”出向”と呼ばれる状況である。
"出向"というとドラマ「半沢直樹」の影響からか、片道切符とか島流しなどという悪いイメージが付きまとうことが多い。だが、交流者の場合はあくまでも”交流”という認識でいて期限が決まっている。もちろん元の会社に戻れるという保証はないが、少なくとも数年以内には次の部署や会社に移っていくのである。
 職場では周りの人から図々しく強気で仕事をしていると言われる。確かにそういう風に自覚する部分はあるし、自分のスタイルに根拠と自信をもって日々業務に取り組んでいると自負している。それが周りから見るとふてぶてしく見えるのかもしれない。だが、自分のパーソナリティを考えると決して強気でいれるメンタルを持ち合わせていない。そんなに強い人間じゃない。
では、何故自分がパーソナリティと反するメンタリティでいることができるのか。それは今の立場が大きく関係していると思う。
交流者でいつか結局は元の会社に戻る。もしくは次の会社や部署に移ることになる。
そういう宿命だからこそ「次があるのだからこの会社や部署で嫌われようと何をしようが別にどうでもいい。」と考えるようになった。それがいつか派生し、「どうせこの会社にはいなくなるのだから、今の状況がどうであろうとどうでもよい。」「自分がどんな評価を受けようとも関係ない。」ということを胸に秘めて働いた。(決して業務を放棄してきたということはではない。)
 この考えには良く転がることもできるし、悪く転がることもできると思う。評価なんて気にしなければいくらだって手を抜くことができるのだから。
ただ良い方に転がれば失うものがないからこそ毎日大胆に仕事ができるのだと思う。だからこそ今、相手が上司や管理職であろうと関係なしに自分の意見を言って、どんな場面でも踏み込んで仕事ができているのだと強く思う。
 これに似たようなことを元メジャーリーガーでソフトバンクホークスに所属していた川崎宗則選手が話をしていた。
「常に辞められるというカードを胸にもって生きるということ。自分1人がいなくなったところで、組織や社会は回っていく。」
確かにそうである。あるポジションが抜ければ、新たな人が補填される。どんな組織でも起きていることである。その人にしかできないことなんていうのはよっぽどのオリジナリティがなければ成しえないことだ。だとすれば、自分の代わりなどいくらでもいる。そう思うと、いつ組織を抜けようとも関係はない。自分が思うときに離れ、自分の行くべき道を歩めばいい。そしてその組織に所属しているときは思い切り自分の色を出していけばいいのではないかと思う。

川崎選手ほどの実績はないけれど、この言葉を聞いて少し楽になった自分がいるような気がする。

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