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注意深く走ること(受傷したのに忘れてる)

全力で走り抜けたかった。

大きく「ブチっ」と音がして
世界が反転した。


初めて受傷した日のことなどを書きます。

全力で走り抜けたい
いつもドキドキとする鼓動を感じていたい。
と、間抜けながら本気で想っていた様に思う。
そして、出来ると信じていた。
奔る自分が楽しかった。

今、思い返せば
大分体に無理をかけていたなと分かる。

息切れしていた。
体は休めと言っているのに、状況が許さなかった。
もちろんその状況も私がつくった。
これはホントに限界だと感じ
「休んでいいでしょうか?」とお伺いを立てたときには、頷いてもらえず

馬鹿だな、真面目すぎる
素直すぎる。
けれど私が作った状況だ。
誰も恨み様がない。

あと数歩、ほんの何分 そう思った

その瞬間に限界がきて
「ブチっ」と切れたのが自分でも分かった。

世界が反転した瞬間・風景を、忘れたいが20年以上経った今でも
覚えている。

あの瞬間ではなかっとしても
あの走り方では
遅かれ、壊していただろうなとも思う。
過去には戻れない。

そのまま救急車で運ばれた。
私の視界に知り合い、知らぬ顔、大勢の人が映った。

数週間
孤独と絶望と恐怖の中にいたように思う。助けて欲しかった。
実際、叫んだこともあったが

受け入れたくなかったのだろう
努めて明るく振る舞った

数か月入院したあと
主治医と外来であった。
「治してください!」
「もとに戻して下さい!!」
涙を堪えて訴えた。
誰かにこんなに切に訴えたのは
初めての経験だった。

「治すことはできない」
「元には戻らないよ」と医師が言った。
その後も医師とカン高い声の看護師が交互に何か私に話続けていたが
覚えていない。

帰り道
号泣しただろうか
頭が真っ白だっただろうか

医師のこの言葉を飲み込むのには
凄く時間がかかった

今はとても早い時期に
そのことを伝えてくれた医師に感謝している。

それからも全力で走るのを諦めることはとても難しかった。トライandエラーを繰り返しながら
歩きだしてもいないのに転んだり。
また少し走っては、休んだり。
歩いてはゆっくり走ってみたり。
忘れようとしてみたり。

古傷は時々疼くけれど
それも日常になっていたから油断していたのか調子に乗っていたのか
久しぶりに
大きくフォームを崩して転んだ。
10年以上ぶりだろうか
痛くて、残念で、悔しくて
つくづく馬鹿だなぁ
と泣きたくなるけれど
走ってみたかったんだなぁ
ずっと我慢してきたんじゃないの?
とも思える。

もう長らくのお付き合いになる今の医師は
無理してる最中も、転んでしまった後も診察や治療を粛々と続けてくれる。
やめろと言われたことも正そうとされたこともあまりない様に振り返る。
物足りなく思える時もあるがそれで納得している。
毎回必ず挨拶をし、「どう?」とだけ聞く。

医師が
直すことができないのも
元に戻すことができないことも今はとても理解できるようになった。
よく付き合って頂きとても助けて頂いている。

注意深く走ること、慎重に走ること

怪我をしてから大分臆病になったはずなのに
まだ、忘れてしまうこともあるようだ。

#傷 #断裂 #患者
#医師の仕事

今の主治医の先生のお顔を初見で拝見したときに
「南ちゃんそっくり!!」って思って
心の中で笑った。
今も診察室で、ほぼ毎回思う。
いつかそれを先生に直接伝えてみたい気もするのだが
20年間言えずにいます。

それで良いのだろう。

歳を重ねると
柔軟性はとても大切になってくる。
体の柔軟性が明らかに落ちている。
心は

どうだろうか

#ウッチャンナンチャン #ストレッチ  #南原清隆

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