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「あぁ、何もなくなった」と思ったら、幸せがあった


2021年コロナ中
私は看護師として長年の夢であった僻地医療を行うために
沖縄県の離島へ行きました
いろんな決意と夢を持って。

が、離島に行って数ヶ月で
腰のヘルニアになりました

強い痛み止めに次々と変えても効かず
働いた期間が数ヶ月だったため休職もできず
病院側も少しでも楽に業務できる部署を提案してくれたけど、体はもう限界で

泣く泣く「辞めます」と伝えた

国内外での僻地医療をする事を目標に看護師になった私

その夢が崩れ去って

何のために今まで看護師をしてきたのか
何のために頑張ってきたのか

今までの全てが無意味だったように思えた

プライベートでもお付き合いしていた人と別れた

そこからすったもんだ1人で葛藤して、実家に戻る決断をした

仕事もない

収入もない

恋人もいない

夢も希望もない

あぁ、何もなくなった、、、

なんせ動けないもんですから、
ぼーっとしながら療養生活が始まった

360度田んぼで
高い建物は一つもない、ただ田んぼが一面に広がる中にポツンと立つ実家

少しはリハビリのために動かなくちゃと
夕方、犬の散歩について行った

痛みで「うぅぅー」と腰を手で支えながら下を見ながら歩く

「あぁ痛ってー」と体を伸ばして顔を上げたら


そこには真っ赤に広がる夕日があった


燃えるような赤


涙が出るほど美しかった


幼い頃から育った場所で
当たり前のようにあった景色


でも、当たり前ではない事に気がついた

そこから毎日

空を見て

夕日を見て

朝日を見て

そのたびに感動して心が満たせれていく

あぁ幸せだなぁと

バリバリ働いていた時は
疲れの方が大きくて
空を見上げる余裕もなく
小さなアパートの一室で
死んだように寝て1日が終わっていた

その時も空を見てきれいだな、とは思っていたけれど
今の空を見てきれいだと思う感動の深さには、到底及ばない

仕事もあった
収入もあった
気にせず使えるお金もあった
恋人もいた

でも、心はすたれてた
心が枯渇して
もっともっとと、物や服や食べ物やいろいろな物で満たそうとしてた
色々なもの、事で、着飾る自分がいた
当たり前のことに感謝できていなかった

あると思っていたところに、幸せはなかった

ないからこそ、そこにある幸せに気づけた

あったかい家があって
何も言わずに迎え入れてくれる家族がいて
おいしい食事があって
眠れる布団があって
療養している私のそばに寄り添う動物達がいて

これ以上の幸せはないと思った

なくなったからこそ、
時間が生まれて
余裕が生まれて
普段見れていなかった部分に気づけて
自分のために使える時間があって
向き合うべきものと向き合う時間があって
心からの感動を感じて
心が満たされて

ないからこそ、大切な"ある"に気づけた

今の時代
いろいろなものに溢れる中で
幸せは簡単に埋もれてしまう

幸せの形はそれぞれで
幸せの形はみんな違う

本当の幸せを見て見ぬふりだけはしたくない


いらないものを無くしていくと
特別な物に囲まれて
心が満たされて
余裕ができて
人にも優しくできて


気づけば幸せに包まれている
本当に大切な物に気づける

あって当たり前のものも、一度見直してみると
いいかもしれない

仕事や働き方や
服や化粧品や
住んでる場所や
食べているものや
関わっている人や
最新の電化製品やら
思考も含め

本当に必要なんだろうか?
本当に必要なものは何なのだろうか?

シンプルに
軽やかに
自然体で
当たり前に感謝して
みんなと一緒に幸せを感じて生きていきたい


最後まで見てくださった方、ありがとうございます💐


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