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9年友人と暮らして行き着いた、人と上手く付き合うための価値観

大学から東京に出てきて、6ヶ月の一人暮らしを経た後、
日吉→西新宿→早稲田→渋谷→池尻大橋と場所を移しながら、
年齢も性別も違う。時にはLGBTや海外の人と、かれこれ9年ほどシェアハウスに住んでいました。

日々楽しくてしょうがなかったのですが、
当然、様々なバックグラウンドの人と同じ場所で長く時間を過ごせば、
価値観の相違が浮き彫りになってくるものです。(結婚も似てる感じなのかな?)

そういった、良い瞬間だけでなく、時にぶつかることも経た経験は、
間違いなく今の自分の価値観や人間性に影響を与えてくれているなぁと感じています。

テラスハウスにはない真の姿

実際に誰かと住むことは、テラスハウスよりもずっと楽しく、ずっと大変だと思っています。(最近のテラスハウスのような、クラッシャーはいませんでしたが...笑)

楽しすぎる日々

平日遅い時間に帰宅しても「ただいま」「おかえり」というコミュニケーションがあったり、23時から”一杯だけ飲みに行くか”と語り合ったり、仕事終わりに銭湯に行くことも、近所の友人も読んで飲み会をすることも、誕生日には毎回ケーキをぶつけるなんてこともありました笑

何より、各々が充実した日々を過ごす中で感じた感情や発見を互いに交換し続ける日々は発見の連続で、ずっと刺激の中にいるようです。

大変なこと

一方、もはや笑い話になるような話もたくさんあります。

・朝5時ウルトラソウルを大音量で流して起床する営業マン
・台所で雑巾を洗っていたので注意すると、逆ギレする人
・無洗米ではないお米を洗わず炊いて、数年間やり過ごしていた人
・深夜3時に帰宅して「ご飯食べよう!」と起こしてくる
・翌日のために買っておいたお弁当をしれっと食べて「バレた?笑」と悪びれなくいうw

振り返ると、大小笑いのタネばかりなのですが笑、
当時、その行動や考え方に衝撃を受けることも多く、上手く捌ききれずに感情的になることもしばしば。

そんなネガティブな出来事が、わずかな軋みになり、重なっては不協和音が生まれ、いつの間にか仲違いになることもありますよね。

寝食共にするからこそ生まれる感情

実体験で言えば、良い面ではなく、悪い面が起きやすかったです。

これまで家庭の中で当たり前に教えられていたことと、真逆のことが平気でおこるので、怒るのも当然。

また、人間なぜか、近い距離にいる人ほど、つい強く当たってしまうということも気づきでした。

極端な例ですが、
海外の方が食べ物を片付けなくても「海外ではこうなのかな?」となるものの、友人が同じことをすると「なんで片付けないんだ!」「あの人は片付けられない」とネガティブな方に傾く。

同じ人間、同じ行動であるのに、なぜこうも自分の反応が変わってしまうのか。何より、近い関係にあるからこそそうしてしまう自分の至らなさを痛感した瞬間でもあります。


「偏見の払拭」と「他人に期待しないこと」

偏見という色眼鏡を外す

(倫理観を飛び越える話は別として)多くの出来事に答えなんてないんですよね。何より、自分の正しさに押し込められるほど、人や社会は浅くないというか。

そもそも誰かと住むことも、その中にLBGTがいたことも、毎日擦り切れるほど働くことも、人によっては白黒あるかもしれませんが、やっぱりが正否つけられるものではないなと。

むしろ、そういうコトや人、生き方もあるのかと、感情ではなく、まず冷静に受け止めてみることが、近くの人と良い関係を築く1歩目でした。


期待をしないこと

これは言葉が適切ではありません。

個人的に、つい人に期待しちゃいます。
自分の人生を生きて欲しいし、思い描く大成功を実現してほしい。そのためにできることがあれば応援したい。
自分自身、世の多くの人よりも、つい前のめりになりがちだという自覚もあります。

ただ、その期待の裏に見返りがちらつくと、色々なものがこじれるんですよね。つい感情的になったり、逆に自分が相手に正しく向き合わなくなってしまったり。
もちろん人である限り、どこかで見返りを求めてしまうんですが、そういう自分でいたいわけではない。

前職の偉い人が、インタビューで「まさにそれだ...!!」と膝を打つような話をしていました。
-> 家族は他人、コントロールしようとするのはメンヘラだ!ー田端信太郎に聞く家庭マネジメントの極意

僕らって無意識のうちに、「子どもなんだから」「妻なんだから」と期待してしまう。それはしょうがないことなんですけど、家族は別人格なんですよ。息子だろうが娘だろうが、どんなに可愛かろうが、やっぱり他人なんですよ。
もちろん本人のやりたいことがあれば、精神的にも金銭的にもサポートはしますよ。でもそこで、「サポートするから口も出させろ」と言うのはおかしいと思うんです。
子どもがいいことをしたときは多少は僕も誇らしく思うかもしれないですが、基本は「私は私、あなたはあなた」というスタンスでいたいですね。
子どもたちには、とにかく彼らの人生を生きてほしくて。親の期待を裏切って、なおかつサバイブするのが最高の親孝行ですよ!

自分は自分、他人は他人。

時に冷たく聞こえてしまいますが、変に期待を持たずして、
互いが自立し、胸を張れるくらい充実した日々の中で、信頼のおける友人やパートナーに向き合い、その充実した日々をより際立たせる。

大変な時でも、背中を預けるようにそっと身を委ねても、見返りを求めず、ただ相手のためにしたいから、というだけで支え合う。すごく居心地の良いものでした。


改めて振り返ってみて

人間関係は、いわばボタンのかけ違いのような、ちょっとした出来事が一番大変だなと。。だからこそ、一層人とのコミュニケーションに敏感にもなり、上記のような考え方に落ち着きました。

その考えに到れた認識があるからこそ、おそらく大学生に戻れたとしても、同じように誰かと住むだろうと思います。

また、当時"何者でもなかった"人たちが大きく飛躍していく姿も、今でも自分を鼓舞してくれます。
・背筋が異常に良いベンチャーCTO
・20代で上場企業の事業部長
・中国でSNSフォロワー100万人の、中国で1番有名な日本語教師
・IPOできる規模の会社をひっそり数十人で経営している代表


大学生の時に思いを馳せた一文

今でもバイブルの1冊である、『仕事の思想』という本の一文に、こんなものがありました。いつか自分にもこんな形が訪れるのだろうか。そうだとしたら幸せだな、と思っていたことです。

「友人とは」

何十年もの長き歳月を別々の道を歩み、そして互いに顔を合わせることがなくとも、互いに言葉を交わすことがなくとも、無言の励ましあいを送りあうことのできる友人。

フラットに見て受け止めることや、期待をしない考え方が、彩りに溢れた人との関係をもたらしてくれたのだと思っています。

もし人生を後押ししてくれた考え方や、向き合い方などあったら教えてください:)

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