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心の第一人者から学ぶカウンセリング

日本の心理学者であり、ユング心理学の第一人者に、河合隼雄という方がいます。

母性や父性、家族の繋がり、「昔話」「童話」「神話」「仏教」といった幅広い分野から、「心はなぜ病むのか」「心の根源とは何か」に向き合い続けた人物で、

彼が出している本の多くを読み、かなりの影響を受けているのですが、先日カウンセリングの話を聞いて、改めて河合隼雄のことを思い返していました。

人々の悩みに寄りそい、個人の物語に耳を澄まし続けた「こころの医師」河合隼雄は、私たちが見過ごしがちな「心の問題」「人間の本質」を、単なる学術的な方法を超えて、瑞々しい言葉で縦横に論じてきた。

河合隼雄との出会い

高校生の頃、ふとしたことがきっかけで、死ぬ思いで受験勉強を行っていました。

家庭事情から塾にも通っていなかったのですが、運よく勉強方法があたり、そして楽しみながら勉強することができ、気づくと冬の時点で、本屋にあるすべての参考書を勉強し尽くしてしまいました。

そこで尊敬する当時の国語教師に「勉強することがなくなってしまったので、何かやるべきこと教えてください」と聞いてみました。(振り返ると、よくそこまで至ったなと思います笑)

国語教師
「河合隼雄って知ってる..?? 大学時代、この人をテーマに卒論を書いたのだけど、天才だから河合隼雄の本を読んでみるとおもしろいと思うよ」

そこで、さっそく手に取ってみると、あまりに面白くて。
(たしかに読んでみたのは『子どもの宇宙』

ひとりひとりの子どもの内面に広大な宇宙が存在することを、大人はつい忘れがちである。
臨床心理学者として長年心の問題に携わってきた著者が、登校拒否・家出など具体的な症例や児童文学を手がかりに、豊かな可能性にみちた子どもの心の世界を探究し、家出願望や秘密、老人や動物とのかかわりが心の成長に果す役割を明らかにする。

以来、本の面白さ、心の深層、人との関わりに一層興味を持つことになります。

河合隼雄を知る

端的に河合隼雄を知るには、『NHK 100分 de 名著 河合隼雄』が良いかなと思います。

主に、以下のようなことが、学術や仏教、日本人の文化から語られています。
・「心の問題とどう寄りそえばいいのか?」
・「誰もがぶつかるコンプレックスとの向きあい方」
・自分たちの内なる「イメージ」への向き合い方
・「心を再生していくために必要なこと」
・「私とは何か?」
・「人間は他者とどう関わっていけばよいのか」


河合隼雄が語るカウンセリング

「こころの医師」である彼は、その人の心の問題に向き合う時、以下のような姿勢が重要だと説きます。

解決に至る道をクライエントと共に探し、歩んでいくには、相手を客観的に「観察」するのではなく、主体的に関わり、その人の心に起きている現象を共に「経験」する必要があります。
そのためには、セラピストが「十分に心を開いた聞き方」をすることが肝要であり、それはクライエントの心の現象の「なかにいる」ということでもあると著者はいいます。

他人である限り、最後のところはわからない。そして、臨床心理士として感情を同期しすぎない(「死にたい」という患者さんも多い中、感情を受け取ると疲弊してしまうから)。

そんな前提がある中でも、心の第一人者である彼が『主体的に関わり、共に経験すること』と語ることの意味は大きいなぁと。

感情を同期させない。一方で主体的に関わる。どこか矛盾する姿勢こそ、人の心への向き合い方というんですよね。

すごく難しく、未だ悩みは尽きないですが、親友やパートナーに対しても、常にその姿勢であろうと努力しています。


悩みの聞き方と受け取り方

他者の話を聞く時、その言葉をそのまま受け取るのではなく、「イメージとして受けと」り、向き合っていくべきだと話します。

ユング派の心理療法では、面接で語られるクライエントの話を、基本的にすべてイメージとして受け取ります。「こんなことがあった」「あの人はこういう人だ」といった話も、あくまでクライエントの〝心の中〟で起こっていることとして捉えます。 
クライエントによって語られたイメージを、一義的な何かを示す記号としてではなく、様々な可能性を秘めた象徴として捉え、掘り下げていく姿勢です
普段の人間関係、夫婦や親子の会話においても、相手が心に抱いているイメージに関心を寄せ、イメージを共有しようと心がけることは大切だと思います。
意見に相違があった時、理詰めで論破しようとしたり、相手の言葉じりをとらえて反論したりしてもうまくいかないものです。
言葉の向こうにある相手の心の中のイメージに、自分の心の目を向ける──それが〝心〟を通わせる第一歩でしょう。

巷でよく聞く、女性は話を聞いてほしい、男性は解を知りたい。
そういった表面的なTipsではなく、さらにその先にある心の中のイメージを捉える。捉えようとする姿勢を持つべきだと。


臨床心理士に求められる「非個人的」関係

また、『ユング心理学と仏教』という著書出てくる、二人の修行僧の話があるのですが、長年悩んでいたことをすっと解決してくれました。

歩いて渡るほかない川のほとりで、美しい女性が、川に入るのを嫌がっていました。一人の僧は、すぐさま彼女を抱いて川を渡り、向こう岸で別れます。
二人の僧は、しばらく黙って旅を続けていましたが、片方の僧がこう切り出します。
「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ」。
女性を助けた僧は答えます。
「確かに俺はあの女を抱いて川を渡った。しかし川を渡った後で、彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を抱いているのか
女性に触れてはならないという戒律を守った僧は、実は女性に対するエロティックな感情につかまっていたのに対して、もう一人の僧は、女性に触れはしても、エロティックな感情に囚われてはいません。
この僧の、若い女性との関係は「個人的」なものではなく、これこそが心理療法のセラピストにあるべき「非個人的」関係であり、私たちの普段の行動や態度においても心を留めるべきことの一つでしょう。

現代において、日常生活における姿勢として、あるべき姿のように見える一方で、それが本当に幸福かはわからないなぁ...と常々感じてしまっている自分がいます。

目の前の人に真摯で向き合うこと(=非個人的関係)、好きと伝えること(=個人的関係)。

時に双方併せ持つこともあるんじゃないか。人である限り、後者から始まることもあるんじゃないか。
そういった清濁併せ呑んで向き合うという姿勢も、また一つなのではないか。

そう感じることがあります。これは永遠のテーマですね。


河合隼雄が語る幸福論

最後に。

アランラッセルなど、古くから多様な人物が『幸福論』を唱えていますが、より人の悩みや苦しみも合わせ持つ、人の心にい続けた河合隼雄の語る『幸福論』です。

「幸福ということが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしてもそれが深い悲しみによって支えられていない限り、浮ついたものでしかない、ということを強調したい。恐らく大切なのはそんな悲しみのほうなのであろう

人の心に興味あれば、ぜひお読みくださいー


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