見出し画像

映画「君が君で君だ」

ずっと観たかった。ポスターを見かけて、予告映像を観て、これは絶対に観るべき映画だとすぐに思った。

だけど上映は終了していて、近所のツタヤにもなかったが諦められなかった。そして例の疫病による自粛をきっかけに加入したAmazonプライムビデオで、やっと見つけたのだ。

(ここからネタバレしか言いません)

この映画では3人の男が1人の女性のために尾崎豊に、ブラッドピットに、坂本龍馬になった。名前を捨てて10年もの間小さなアパートで彼女を「守り」続けたのだ。彼女の写真で埋め尽くされた部屋の中で、盗聴した生活音と共に彼女と同じ時間に同じ物を食べた。その生活を楽しみ、変化していく彼女のどんな境遇も受け入れ続けた。

異常である。普通に犯罪。

勿論ずっとそのままではいられるはずはなく、彼らはそれぞれのタイミングでその異常な執着を保つことが出来なくなっていく。


すごい映画だった。怖いし気持ち悪いし誰も幸せにならない展開。しかし一方で、私はそんな彼らの行動を理解できるような気もした。

彼らをストーカーと呼ぶのは簡単である。実際やってることはほとんど犯罪だし。盗撮も盗聴もしてるし。だけど普通ストーカーというのは、どこまでいっても自分のことしか考えておらず、その身勝手さ故に相手に付き纏ったり危害を加えたりしてしまうのではないだろうか。

ならば、この3人はストーカーとは程遠い。彼らは全員自分のことなど、1ミリも考えていない。自分たちの姫であるソンのことだけをただ一身に考え続けてきた。だから彼らは自分の名前を捨て、彼女の理想の人として生きる道を選べたのだ。



しかし実際には、自分の人生を丸ごと捨ててしまったのは尾崎ただ1人だった。

ブラピも龍馬も、名前を捨てることは出来てもこれまで歩んできた人生までは捨てられなかった。でも尾崎だけは違った。彼は異常だった。

尾崎は最初からソンのことが好きなわけではなかった。彼がソンを愛するようになったのは、あの部屋での生活を始めてからだった。ハンカチを貰ってソンに一目惚れしたブラピとソンの元彼で彼女に未練を残す龍馬。2人と尾崎の間ではスタートラインとか愛の種類とか、ともかく何かそういうものが決定的に異なっていたのは確かだった。

尾崎は、10年間ソンを見続けることで「結果として」ソンを愛するようになったのだ。

だから彼にとって、ソンを愛するためには尾崎豊でなければならない。あの部屋こそが彼の剥き出しの愛そのものだった。元の名前でソンに恋をした2人と違って、尾崎だけがずっと「ソンを守るためだけの国」の住人だったのかもしれない。

「私は抱きしめられない。姫を抱きしめられないけど、あいつは抱きしめる程度でしょ。」

これは、ソンを抱きしめようとする龍馬を窓から突き落とした時の尾崎の台詞である。

この時私は「尾崎の全てがここに詰まってる〜〜!!」と思った。

尾崎の願いは「ソンを守るためだけの国」であるあの部屋で、彼女の生活や死を見続け全てを受け入れるということであり、彼女を抱きしめることなどでは毛頭ないのだ。それが、国の中で彼女を愛するようになった尾崎の愛の形なのである。悲しいことに、彼はきっとそれしか知らない。



龍馬は、中盤まで鎖で首を繋がれている。部屋の中は自由に動けるが外には出られない長さの鎖。彼が坂本龍馬になりきれず、ソンに対して元彼として干渉しようとしたことから付けられたものだった。

彼は、田辺という人は、最初から最後まで坂本龍馬にはなれなかった。だから本当の名前もすぐ言ってしまうし、ソンに危険が及びそうになる度すぐに部屋を飛び出そうとした。

だけど、最も自分でない誰かになりたかったのは彼なのではないだろうか。

「俺、坂本龍馬だから、ソンの好きな」

龍馬がソンを前にして最初に言う台詞。この台詞で彼はやっぱり坂本龍馬にはなれなかったし、本当の自分をソンに愛してほしかったことが痛いくらい伝わってくる。切なさの暴力。

「重くてごめん、好き過ぎてごめん、守りたくてごめん、ごめん」

これは私のベストオブ・泣いた台詞。

この作品では愛と名が付いてるだけの歪んだ感情ばかりが出てくるけど、龍馬の愛だけは純粋であったと信じている。純粋で重くて臆病だったのだ。ただこの2時間で私の中で愛の基準がかなりブレてしまったので、どちらが正常かはもう分からないけれど。



ブラピは作中終始はしゃいでいて、それでいてまるで夢から覚めるみたいにソンを愛することを放棄した。ラストシーンでも1人だけ妙にさっぱりとしているのが印象的だった。

おそらく、彼はただ無邪気にソンを愛していたのだと思う。彼女の部屋の目の前のアパートを借りてきたのは彼だったし、あの部屋での生活そのものを最も楽しんでいたのはブラピだった。

ブラピは愛する人を好きなだけ愛せる環境を喜んでいた。彼のソンに対する愛は10年の間で途方もなく大きくなった。大きくなり過ぎた。彼にとっては、その大きさの象徴があの部屋だったのだ。

だから彼はソンに部屋を見られて誰よりも動揺した。彼女をただ無邪気に愛した結果を、彼女には受け止めてもらえないことに今更気付いたから。それは彼にとって、この生活を続ける意味を失くしたも同然だったのだろう。

「後ろ姿、焼けるほど見てたっていうか」

これは私のベストオブ・熱い台詞。

まるで思春期の男子高校生である。ブラピは正に男子高校生のように、ただどうしようもない程にソンを愛してしまった。それだけなのだと思うと、彼の想いと行動のギャップに苦しくなった。

ブラピはこれからどのように生きていくのだろう。次に愛する人ができた時、彼はまた目の前のアパートを借りるのだろうか。



こうやって龍馬やブラピと比較していくと、尾崎はやっぱり”あの部屋で作り出した自分”でソンを愛していたのだと思う。あの部屋で生まれた尾崎豊という人にはブラピや龍馬と違って、現実に戻るという選択肢がなかったのだ。

ソンを愛しているから彼女を抱きしめた龍馬と、ソンを愛せなくなったから部屋から出て行ったブラピ。尾崎は、彼らとは全く違う次元であの10年間を過ごしていたのだと思う。


この映画では尾崎とソンが恋人同士のように振る舞うシーンが何度かあった。もちろん尾崎の想像の中での話である。私はそこでも彼の飛び抜けた異常性を感じた。

彼の想像は全て非現実的だった。

想像上の尾崎は王子のような格好をしていたし、場所はいつもひまわり畑の中だった。絶対に実現しないシチュエーション。その中でだけ、彼は幸せそうだった。

それが「ソンを守るためだけの国」の中で彼女に恋に落ちた尾崎の、そこからずっと出られない彼のメタファーであるような気がして、私は胸が苦しくなった。

お前はやばいよ尾崎、でもお前にとっての正解と理想はそれだったんだよね。悲しいね。


ラストシーンは空港だった。空港に向かう途中のタクシーで、尾崎は全ての人に祝福されながらソンに告白する自分を想像する。しかしそれは尾崎豊ではなく”シムラミツオ”としての自分だった。

尾崎豊である所の彼は、輪から外れたところで1人ガッツポーズをしていた。まるで今まで通り、ソンに恋人ができたことを受け入れて喜ぶかのように。

あれは10年続いた生活が終わって3人が解散して、それでも1人尾崎豊としてソンを愛し続ける彼が一瞬だけ想像した”元の自分としての恋”だった。

多分尾崎はこれからも尾崎として生きていく。そしてソンを愛し続けるのだろう。



本当にすごい映画だった。人によっては拒絶反応を示したくなるようなものかもしれない。愛の基準は間違いなくぶっ壊れるし、最終的に向井理が1番まともに見えてくる。ヤクザだと思うけど。

でもきっと彼らのしたことは、私たちが好きな人のSNSをこっそり覗く時のあの気持ちと本質的には変わらないような気がする。それが育ち過ぎた結果が、あれなのではないだろうか。

是非はともかく(ともかくというか明らかに非だけど)これは精神異常者たちの話なんかではなくて、自分の中にもこんな暴力的な愛が眠っているかもしれないと思わせる、そんな映画だった。


ちなみにこの映画では満島真之介と池松壮亮のキスシーンが観られます。今?って感じの所で。










この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?