酔っていてもこれぐらいの文章は書ける

ここ数年間持続している習慣だからだ。どんなに気分が悪くても、毎日日記を書き続けてきた。眠くてしょうがなくても、具合が悪くても、今日のように酔いで頭が回らなくても、書ける。ただタイピングは難しいな。練習しよう。あと画像を探すのもめんどうなのでこのままでいいや。

同期が一足お先に配属先へと旅立っていった。その送別会をしてきたわけである。社会人になり、車に乗らなくなってからというもの、飲酒する機会が増えた。4月から毎週どこかでお酒を飲んでいるのではないか?それぐらいのペースである。学生時代は、周りの人の性質や、車での移動が多かったこと、それとコロナ禍だったこともあってこんなに飲酒はしていなかった。環境が変われば、人は変わるのだな。
環境により変われるという僕の(人の)特性というのはこれからの生活での不安材料でもあり、救いでもある。つまり、これから自分が仕事をする場へ配属され環境が変わった時に、ストレスを受けてダメになる可能性があるということだし、また、そうなった場合も環境を変えれば今のようにのびのびと生きていくことができるということだ。

話を戻そう。研修期間での同期なんて、短い付き合いなんだから適当に接しておこうと思っていた。多分そういう姿勢がむしろ功を奏して、円滑にコミュニケーションが取れている側面もあるのだろう。
また、やはり大学以降に属する集団は、(テストで測れる、狭い意味での)学力が近いためか話が合う。相手に合わせて話す内容を考える必要があまりなく、ストレスがかかりにくい。みんな賢いし、面白い。(もちろん高校以前の友人もどれも面白いがそれはまた別の話)
それに、これは初めての経験だが、みんなが義務として同一の目的意識を持っている。つまりは、お金を稼ぐため、そのために自分のスキルを向上させるため、仕事(研修)に取り組んでいる。思い返すと、学生時代の部活は義務感はあったが、目的意識はほとんど無いと言ってよかった。顧問に怒られないように、とか試合で恥をかかないようにというのが主な動機だった。一方、大学の研究室での活動は目的意識はあったが、義務感が無かった。どこまでいっても”自分はお金を払っている側だ”という感覚がつきまとって、やる気が起きなかった。やりたいことはあるのに、やる義務が無いからやれないというなかなかに苦しい状況だった。不思議なもので、僕はお金をもらう側に立つほうが頑張れるらしい。案外現金な人間なのかもしれない。話を戻すと、そういう義務感と目的意識を共有した集団にいると、自分からエネルギーをあまり使わずにモチベーションを上げられる。これも環境に影響されていると言える。

要点も述べずに長々と書いてきて、つまり何が言いたいかというと同期と仲良くなった、ということ。なかなかいい環境で研修に取り組めている。またもや人に恵まれたらしい。そのうちの一人が今日巣立っていったので、それをきっかけにこの文章を、酔いが醒めてきた頭で書いている。

別れは悲しいから、出会いは慎重に選ぶようにしている。むやみやたらに出会いを増やしても、悲しい別れが増えるだけだ。同期との関係はできるだけ淡泊にしようと思っていたのに結局仲良くなって、そして別れるときに結局エモーショナルな気持ちになる(これも変な表現だな(照れ隠しの独白))。

学校とは違い、会社という組織はそこに何年所属するかがわからない。今、共に学んでいる彼らと別れた後、また再開できるかもしれないし、あるいはもう会わない可能性だってある。自分か彼らかのどちらかが会社から去ることだってあるからだ。だから再開をあまり期待しないほうがいいだろう。ただし、それぞれが偉くなったら名前が耳に入ってくることもあるだろう。だから、高みでまた会おう、とか言ってみる。


こんなこっぱずかしい文章をリアルでのSNSとかに投稿しなくてよかった。お酒に酔っていてもそれぐらいの判断はできるということか。

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