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Dream Frame

君が思い描く夢の形を
ボクは素直に喜んでいる
君は腕を広げ、宙に言葉を書く
ボクは影を読み、空を見上げる

君が思い描く夢の形は
人が言うほど馬鹿げてはいない
ボクが思い描く夢の形は
過去も現実も未来も細い形だ

今生きているだけのことを広げて
塗り固めて支えている

I Hope so. I am so happy.
I Hope so. I am so happy.

君が思い描く夢の形は
人が言うほど馬鹿げてはいない
ボクが思い描く夢の形は
過去も現実も未来も淡い形だ

今生きているだけのことを広げて
塗り固めて支えている

I Hope so. I am so happy.
I Hope so. I am so happy.

 まず、Shiori Nasuhiko(栞奈州彦)は、「詩、織り為す人」の当て字で作成した。「彦」は、澁澤龍彦が好きだったので、そこから拝借。後は適当に決めた名前である。本名が長い名前なので、簡単な名前が欲しかったのだ。
 Dream Frameというタイトルは、文法としておかしなものだろう。ただ、これがフッと浮かんだのは大学生の頃なので、35年ほど前の話である。当時好きだった英国のバンドFeltを聴きながら、思いついたものだ。

 この曲は、DTMを始めた、ほぼほぼ最初の頃に作成した曲だ。それに対し、Dream Frameをタイトルにした。と、いうか、この名から歌詞を考えたのだ。この曲を作成したのは、2006年。自分にとっては、一番辛い時期であった。
 ボクは、歌詞は「書いてあるそのまま」であって、聞き手が意味を感じるのが理想、と考えている。発してしまったものは、もうボクだけのものではないのだ。ただ、言葉が上から降ってくるような、ふと浮かぶ節は時間が経った今はよくわからない。だからといって、このままでは、書いた当人でさえわからぬまま終わることになるので、当時の生活を思い出しながら、歌詞の意味、というより、書いた動機を分析することで、意味の方向性を示してみる。
 歌詞には、「君」と「ボク」が登場する。「ボク」については、歌詞の主体と考えてよい、と思う。「君」については、特定の誰かでもなく、不特定多数の誰かでもなく、「ボク」を含む歌詞の主体の送り先、と思っている。つまり、「ボク」から「ボク」という経路を含んでいる。先のタイトルと同じように、文法としておかしいのだが、詩的表現として意味の広がりを意図している、と思う。そのような詩的な広がりの中で、君の夢は馬鹿げてはいない、と言いながら、ままならぬ自分のこの先の未来も同じようであれ、という希望というか激励というか、そういうものではないだろうか。「I Hope so. I am so happy. 」は、まさに強がりな言葉だ。
 全体的には平易な言葉で書かれているので、「書いてあるそのまま」でもいいのだが、「君は腕を広げ、宙に言葉を書く ボクは影を読み、空を見上げる」は、降ってきたような節だろう。これは、今思えば、ナウシカのような、天使のような、そういう存在に何か導いてほしい、という気持ちがあったのではないか、と感じる。そんな時期からだいぶ時間が経ってしまうと、若かったんだなあ、と思う。
 演奏は、ほぼ録り直し、となった。たぶん、ポジティブになった気分が反映している、のだろう。キーボードのフレーズだけは作曲当時のもので、今はこういう感じは出てこない気がするので、自分の中で何かが変わっているのだろう。
 初回なので、8割ほど書き上がったものを、また見直し、だいぶ時間をかけてしまったので、次回からは気楽に書いていこう、と思う。

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