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自分はからだが固い、と固く信じて疑わない人たちがいます

Oct 20, 2005(楽天blogより)

自分はからだが固い、と固く信じて疑わない人たちがいます
その人たちの固い、柔らかい、の基準になっているのは殆どの場合、

開脚の可動範囲と、
立って上半身を曲げて手が床に着く迄あと何センチか、です。

本人の訴えどおり、確かにからだが固いと思われる人は稀で、
その他の背中、肩、膝・・・が実に柔らかくても、
決して認めようとしません。
だから、開脚の稼動範囲と、立って上半身を曲げて手が床に着くことが連動していることも気付きません。
しかも、自分はからだが固いと決めている人ほど何もしない人が多く、やるときはハラハラするほど乱暴です

ところで以下は、木曜日のクラスに参加しているIさんからブログに寄せて頂いたコメントです。

「私の身体は以前完全にと言っていいほど固まっていて、
 動くことが楽しいとはいえなかった。
 野口体操を始めて、少しづつ少しづつ身体が緩み始め、
 自分のイメージを身体に任せて動くこともできるようになった。
 最近ボイストレーニングを始めたのだが、まだまだうまく
 声を出すことができず、素材としての声は未だ活かせずにいる。 
 そこでもやはり自分の身体と向き合っている。
 自由になる身体が欲しい。でもそれは無い物ねだり。
 路の途中。でもつらくはない。」

Iさんは子供の時に怪我をした経験があり、
臆病な子供として育ちました。
今でも何かとからだには気を配らなければなりません。
「自由になる身体が欲しい。でもそれは無い物ねだり。」
と言うことばが痛々しいほどに伝わってきます。

でも、彼はそのまま放置していたわけではありません。
この十年、彼が野口体操を休んだ記憶はありません。
野口体操の「やすらぎの動き」も決して楽ではない中で丁寧に
やり続けてきました。

そして今日「ぶらさげの動き」の時、小さいけれど
確かな叫びに似た声を聞きました。

「ああ、床に手がとどいた。」

初めて「ぶら下げの動き」で、胴体が重さでぶら下がったのでした。
そうです、力を抜くことができたのです。

「今日から生まれ変わった気がします。新しい出発です」

Iさんの喜び、感動が伝わってきました。


「あなたには、自分のからだを固いと
決め付ける権利は与えられてはいない。
それは傲慢である」

野口 三千三



*(2023年現在、クラスは火曜日のみ)

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