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2021年5月ブックカバーチャレンジ6日目『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』

『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』ヒューGギャラファー著・長瀬修訳

アドルフ・ヒトラーが1923年11月8・9日に起した「ミュンヘン一揆」で逮捕され、ランツベルク刑務所に拘留されていた時と、その後に書いた書『我が闘争』の中に、ユダヤ人や生産性のない障害者を虐殺せよといった明示的な物がない。ヒットラーが収容所に押し込んだユダヤ人-正確には民族ではなくユダヤ教徒という異教徒-を絶滅させる命令書らしき文書に署名したのが1941年9月の後半に9月1日付けの文書に署名した。
 ユダヤ人について1941年12月に破棄された「マダガスカル計画(Madagaskarplan)」というのが1938年にユリウス・シュトライヒャー(Julius Streiche)やヘルマン・ゲーリング(Herman Wilhelm Göning)らによって企てられた計画があった。第三帝国領土内の全てのユダヤ人をまとめてアフリカのマダガスカル島に移送しちまえという荒唐無稽な計画が1940年から始動していた。大澤武男著『ヒトラーとユダヤ人』によると水晶の夜事件(Reichskristallnacht 最近はナチ用語としてこの語は使われず、Pogromeとかpogromnachtと表現する)の1938年11月9日にヒトラーがゲーリングに対してマダガスカル島に移送の構想を口にしたとある。
マダガスカル計画について誰が言い出したのかはさておきナチに虐殺という発想は、元々はなかった。では誰が言い出したものか。キーワードは「ヒットラーカット(Hitlerschnitt)」と呼ばれた断種政策で1929年のニュルンベルクでの党大会で毎年百万人の子供たちが生まれ70万から80万人の最弱者を取り除けば(国)力は増大するだろうと述べ、政権についた1933年7月に断種法が公布され、「遺伝衛生判定所」という公的機関で断種と判定された対象者に対して9月14日から断種を始め、1941年9月1日までに約37万5千人(Deuel,People Under Hitlerから)に断種を実施している。
 優生学という思想に染まっていたのはナチスだけではなく、ダーウィンの『種の起源』刊行後、世界中に伝染した。日本も国民優生法を1940年に公布し、戦後も優生保護法として1948年から1996年まで存在し、断種が国法で行われていた。また第三帝国では性犯罪者を念頭に置いた「完全な不適格者」への去勢が断種と平行して行われていた。この「完全な不適格者」というのが実に曖昧で反体制派やナチにとっての政敵などに対して行われ、ナチ党の人種政策局の推計で1934年1月1日から1939年8月31日までに約2千人に対して行ったと。
 そんな優生思想が蔓延しているドイツで1939年初頭、陳情があった。障害者を持つナチ党員である父からの陳情で、娘は盲人として生まれ、片腕と片足がなく、白痴であり、子供の将来を悲観して安楽死を求めるものだった。陳情に対してヒトラーは自らの主治医であるプラントに調査させた。プラントは確かに盲目で片腕・片足がない事は判ったが「白痴のように見えた」と報告し、ヒトラーは家庭医に安楽死を施す事をプラントに伝えた。この時点では法的には違法を黙認する出来事だが、ヒトラーはこの関係者に殺人容疑の嫌疑がかかった時は握りつぶすと法務大臣に伝えた。この事件から安楽死に対するパターンが出来上がった。
 この事件が医療関係者に知れ渡り、次第に安楽死を求める陳情が増え始めた。違法である安楽死を政権与党に陳情する。つまり違法が違法でなくなる。まるでどこかの国のようだ。
 最終的に安楽死は1939年9月、ヒトラーが署名した文書を根拠に安楽死は第三帝国の政策として実行するT4計画として実行されるのだが、この文書は政府の行政手続がとられなかった為に公文書ではなかった。しかし1939年9月のドイツで、ヒトラーの署名の入った文書に効力が無いと言える訳がない。
 T4の名の由来は、この計画を秘密裏に実行する為にベルリン市内ティアガルデン4番地のユダヤ人の個人宅を接収して行った事に由来する。また後にポツダム広場のコロンブス・ハウスにもT4の事務所があったらしい。
T4計画はナチによって選ばれた人だけが係わった。最終的に60人の医師と300人のスタッフが係わった。殆どが公務員でT4に出向扱いだった。そもそも安楽死させる対象を絞り込むナチの民族優生学そのものが科学的根拠に乏しい上、ヒトラー個人は古くから民族主義者でもある音楽家リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)に心酔し、第三帝国の中学校クラスの授業で教材として使われ、『我が闘争』のネタ本でもある『音楽におけるユダヤ性(Das Judenthum in der Musik)』の中ではドイツ民族の優位性を誇る余り、紀元一世紀からキリスト教会の敵であるユダヤ教徒への想悪を膨らます中で障害者に対する根拠なき差別もまた膨らんでいた。そもそもワーグナーのオペラに出てくるユダヤ人は醜いという表現をする為に障害者のイメージを載せたキャラクター設定になっている。ワーグナーに心酔するヒトラーの中では障害者に対する根拠なき差別もまた膨らんでいた。
 そもそもワーグナーのオペラに出てくるユダヤ人は醜いイメージ設定になっている。例えば歌劇『指輪』4部作の『ラインの黄金』に出てくるユダヤ人アルベリヒとミーメは「小人」で「けむくじゃら」の「せむし男」という醜いキャラクター設定になっているそれは障害者のイメージを載せたキャラクターでもあるが、ワーグナーの脳内ユダヤ人の印象設定にほかならない。そんな脳内妄想が伝染し膨らんだヒトラーの考えが、先に紹介した1929年の党大会演説につながっている。
 脳内妄想と安楽死を嘆願される障害者のイメージ。直結した瞬間、ヒトラーには異論はなかった。かくて障害者に対する安楽死政策は実施されるが、安楽死については開戦後、別の問題が浮上してくる。傷病兵の問題だった。
 第三帝国内の障害者の殆どは安楽死政策で一掃されてしまった。しかし施設は残った。残った施設、マダガスカル計画の破綻。第三帝国は養えないユダヤ人を処理する政策に転換した。ユダヤ人は生存者が多数いたから後世に伝えられたが、T4計画の生存者は実施した側だけだった。そんな負の歴史です。

*「水晶の夜」はナチスの言葉であり使うべきではないというナチ用語をまとめたサイトがあります。ただしドイツ語です。Google翻訳しか手がないかも。
https://www.bpb.de/politik/grundfragen/sprache-und-politik/42744/stigmavokabeln?p=all

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