見出し画像

受け継がれる味 -- 我が家のお好み焼き編

 大阪出身の僕が外でお好み焼きを食べるときは、決まって広島風の店を選ぶ。広島焼は自分では作れないし、それだけにお金を出してでも食べる価値があると感じるからだ。それにここ東京ではそもそも大阪のお好み焼きを食べさせてくれる店が少ないし、あったとしても割高であることが多い。何というか、東京のお好み焼き屋は洗練されすぎていて、入るのに二の足を踏んでしまう。
 大阪なら子供のお小遣いでも買えるような店がたくさんあり(食べる場所のない、持ち帰りのみの小さな店だ)、それでいてけっこうおいしい。僕はそんな庶民的なお好み焼きの方が好きだ。
 でももっと好きなのは、家で作って食べるお好み焼きだ。子供の頃の我が家では、お好み焼きはわざわざ買ってくるものでもなく、まして外食するものでもなく、家で作って食べるものだった。我が家ではなぜか日曜のことが多かったけれど、母が手作りのお好み焼きをホットプレートで焼いてくれた。安易な一般化はできないが、大阪の家庭にはきっと家それぞれのお好み焼きの味があったに違いない。

 ある日のこと、東京育ちの娘がお好み焼きを作ってみたいと言い出した。
 インターネットの料理サイトやレシピ本では「お好み焼き粉」を使えと言っているらしい。お好み焼き粉なんてものの存在を知らなかった僕は、直感的にまずいと思った。もちろんそれを使えばきっとそれなりのお好み焼きは作れるのだろう。でも誰が作っても同じということは、本物の味ではないということだ。それに、お好み焼きそれ自体は特殊な粉など使わずとも作れる。しかも、意外と簡単に。
 僕は娘に提案した。
 「それじゃあ一緒に作ろう。お好み焼き粉なしの、我が家オリジナルのやつを」

 お好み焼きを作るのは小学生の頃以来だった。材料を切ったり混ぜたりする母の様子が楽しそうで、たまに手伝わせてもらっていたのだ。子供の頃の記憶は鮮明で、すっかり忘れていたはずがいざ作り始めるとちゃんと手順を思い出すことができた。
 まずは小麦粉とだし汁を同じ割合にして、ボウルで混ぜる。ちなみに、我が家では粉300gに対してだし汁300mlだ。そこへ溶いた卵を入れ、なじんだところに擦り下ろした山芋を加えて生地のベースを作る。この山芋こそが味や風味、触感を決める最重要食材であることを娘には伝えておいた。
 生地にはさらに天かす(東京でいうあげだまのこと)、刻みネギ、あとはお好みでサクラエビやチーズ、かまぼこなどを入れ、しっかり混ぜる。そのとき、隠し味に醤油を適量入れることも効果的だ。
 できあがった生地へ、次は大胆に刻んだキャベツを投入していく。この時点でボウルはかなりいっぱいになっているが、へらを使ってキャベツを切るようにしながら生地に混ぜていく。キャベツは焼けば縮むので、出回っているレシピにあるよりもたくさん入れてもかまわない。
 次は肉の準備だ。肉は脂身のある豚バラ肉を贅沢に使う。肉を焼き、その上に生地を流して焼いていく方法が一般的だが。、我が家では事前に塩コショウをし、ごま油で炒めた肉を生地の中に入れる。この方が初心者にはやりやすいし、味も生地になじんでおいしく焼けるのである。
 生地の準備が整ったら、あとはフライパンかホットプレートで焼いていく。お皿の大きさに合わせ生地をおたまで掬い、熱くした鉄板に広げていく。何度かひっくり返し、香ばしい湯気とともに表面が焼きあがればできあがりである。鉄板上でソースとマヨネーズを塗り、青海苔と鰹節を乗せれば、鰹節が湯気でゆらゆらと踊るのが何ともほほえましい。

 親になった自分が小学生の娘とお好み焼きを作る。歴史はこうして繰り返すんだなと妙な感慨に浸りながら、懐かしい味を皆で喜んで食べた。と同時に、子供の頃に食べたお好み焼きの味とは少し違うような気もした。いくら同じようにしても、母の壁は超えられないということかも知れない。

 その後、我が家のお好み焼き(お好み焼き粉なしのお好み焼きだ)は料理が好きな娘の主要レパートリーに加わった。大阪風のお好み焼きを上手に焼ける東京の女の子なんてなかなかいないんじゃないか。学園祭やホームパーティーの企画で重宝される存在になるに違いないと夫婦で笑っている。
 娘がいつか将来大きくなったとき、この味を通して家族を思い出してくれたなら嬉しい。そして、お好み焼きをおいしいといって食べてくれる人と家族を築いてくれたらと願ってもいる。