Tomokazu.Nishida(西田友和)

誰かを癒すために文章を書きたい。でもその前に自分を癒すための文章を。

Tomokazu.Nishida(西田友和)

誰かを癒すために文章を書きたい。でもその前に自分を癒すための文章を。

マガジン

  • スケッチブック -- 心の風景

    自作の短編、詩、心象風景をつづった記事をまとめています。

  • ノートブック -- 日々徒然

    エッセイ、日々の徒然、身辺雑記をまとめています。

  • バイオグラフィー -- 僕が失明するまでの記憶

    生まれてから失明するまでの記憶を、忘れないよう記録として書き留めました。 記憶に基づいた記述のため不正確な箇所や不鮮明な箇所があるかも知れませんが、一人の人間の生きた痕跡として、読んでいただければ幸いです。

最近の記事

  • 固定された記事

手紙

Y.I. 様  お久しぶりです。元気にしていますか。  唐突にそう言われても、君は僕のことなど何も覚えていないかも知れない。仮にそうだったとしても、仕方ないとは思う。だって、君と僕が最後に会ったのは、もう30年以上も前、小学校の卒業式のときにまで遡らなければならないから。  本当なら僕も君も、卒業後はそのまま隣にある公立の中学校に進学するはずだった。そうなるものだと思い込んでいたし、それ以外の可能性をどうして思い描けただろう。  結局、僕がその中学で学ぶことはなかった。半

    • 作品を解体せよ

      失明する前に通っていた小学校の体育館(そこは卒業式の行われた場所でもある)に、級友とともにいた。 僕たちはもうすでに卒業し、僕も失明していたが、そこでは当時の年齢に戻っていた。 体育館には僕が卒業前にやり残した美術(図工)の作品があって、それをみんなで取り壊すのが目的のようだった。 作品は跳び箱をもとに細工をほどこしたものだった。 ほんとうにいいの? と気にしてくれた女の子もいたが、僕はかまわないと首を縦に振る。 それを合図に作品の解体がはじまり、友達の手によって作品は元の

      • 夏のおもいで

        垂直に落ちる光はぼんやりと瞼を濡らし浮かぶ残像 父親がパチンコへ行く日曜の昼ごはんはぬるい冷や麦で 陽炎が空気を曲げる夏の午後自転車で踏む乾いた地面 あまりにも漆黒過ぎる夏の影プール帰りの友が眩しい 自販機で買ったサイダー握りしめ潰れたのはクシャクシャの自我 畦道を低空飛行する蜻蛉夕闇が日の終わりを告げる 食卓を囲む家族に父親はいない 今もパチンコに夢中 遠吠えが花火の音に掻き消され夜の静寂に吸い込まれゆく 夏は夜 さらりと言ってのけるのは清少納言と不眠患者

        • 新しい事業を立ち上げました

          この度、個人で新しい事業を立ち上げました。 視覚障害者を主な対象に、ファイナンシャルプランナーの資格とICTサポートの経験を活かした、独自のFP事務所を開設します。 人生の様々な局面で重要な役割を果たすお金。 その問題について最も頼れる存在なのがFP(ファイナンシャルプランナー)です。 しかし、障害のある人が一般のFPに相談するのは、まだまだハードルが高いと言わざるを得ません。 その実情に対して、本事務所が少しでも安心してお金のことについて相談し、社会参加や自立の一助となる

        マガジン

        • スケッチブック -- 心の風景
          21本
        • ノートブック -- 日々徒然
          7本
        • バイオグラフィー -- 僕が失明するまでの記憶
          31本

        記事

          雨の随(まにま)に

          教科書をわざと忘れたその訳は隣に君がいてくれたから 傘のない濡れる背中を追いかけて影が重なる雨の随に 向き合ってはじめて気付く利き腕が同じ左で動きが止まる サリンジャー、フィッツジェラルド、カポーティもわからないのと打ち明ける君 ゴンドラが一回りするその間君は黙って空を見ていた 暮れなずむ空に隠れる星々の淡い光を探るみたいに 何故だろう夢での君は悲しげで手を伸ばしても擦り抜けてゆく 手に触れるこの雨粒は幾年の時を経ここへ舞い降りたろう この世界この宇宙と比べれ

          雨の随(まにま)に

          たんすのお花畑

           たんすの一番下と下から二段目には女の子のお洋服が入っています。  下から三段目と四段目にはお母さんのお洋服が入っています。  下から五段目と六段目にはお父さんのお洋服が入っています。  でも、下から七段目、つまり一番上の段に何が入っているのか、女の子は知りません。  いくらがんばって背伸びしても、まだ一番上の段には届きません。  「そうだ、いいこと思いついた」  女の子は一番下の段から順番に引出を引っ張って、階段を作りました。  「これで一番上まで行ける」  女の子

          短歌の勧め

          絵を描くのが好きだった。絵を描いていると、絵の中の世界にとっぷりと浸ることが出来た。 また描き終えた絵は、心をいやしてもくれた。絵は、ときとして本物以上に本物らしく、観ている人の心に語りかけてくれるからだ。 失明する前に描いた絵のことは、今でもはっきりと思い出すことができる。もしあの頃桜の絵を描くことがなかったら、今ほど鮮やかにその姿を思い出すことはなかっただろう。 僕は特に風景や事物を描くのが得意だった。もちろんそれなりの写実性は備えていたが、それだけでなく、対象の本質を

          夢は語る

          夢は語る。 「過去に囚われず、今を生きろ」 夢の詳細は覚えていない。 でも目覚めたとき、心に残像のように浮かんでいるメッセージがこれだった。 「過去に囚われず、今を生きろ」 その通りなのだろう。 この連休は、囚われの過去を整理するための時間だった。 といって簡単にすべてを整理できるわけでもない。 それでも流れる時間に負けるわけにはいかない。 少しでも力をゆるめたら、とたんに意識は過去へと追いやられてしまう。 現在に錨を下ろせ。 そうすれば眼前に広がるのは未来。 僕は首を振

          贅沢な時間

          最近我が家で密かなブームとなっているのが、ラジオである。 金曜夕方に放送されているNHK第1の番組「Nらじ」を、家族そろって聴いている。 金曜日のNらじは、緑内障で視覚障害を持つNHK の杉田淳デスクがメインのパーソナリティーを務めていて、多様性をテーマに様々なトピックをわかりやすく解説している。 とかく障害のある人の語りというのは、意識するとしないとに関わらず、その障害に制約されてしまう傾向にある。 もちろんその当事者性を活かして視覚障害の話題を取り上げてもかまわないわけ

          モノローグ

          自分が劣った人間であるという自覚は、障害を持つ以前から持っていた。 兄の障害、親の低学歴、家族の宗教、 口下手、不器用、醜悪な見た目。 僕はコンプレックスの塊だった。 これに失明が重なった十代の頃は、死ぬことしか考えていなかった。 何度か自殺行為を行い、死にかけたこともあった。 それでも死ねなかったのは、内側に眠るプライドがあったからなのだろう。 このまま終わりたくない、終わるはずがない、と。 でも、コンプレックスを動機とした行為は空虚な結果しか生まない。 やっとの努力で

          ミッドライフ・クライシスと最近の不眠について

          不定期的に不眠の症状が訪れる。 はじめてその症状を呈したのは中学生のときだった。 中学生といえばちょうど失明して間もない頃で、当時はどうしても昼間起きていられなかった。 本当なら通うはずだった中学が自宅の目と鼻の先にあって、聞こえてくるチャイムや校内放送の音に堪えられなかった。 夜眠れなくなるといつも、どこにも行けず、何もできなかったあの時代を思い出す。 最近また不眠気味だ。 床についても真夜中に目覚めてそのまま朝を迎えることが増えた。 原因は特には思いつかない。 でもきっ

          ミッドライフ・クライシスと最近の不眠について

          また明日

           別に学校が嫌になったわけじゃなかった。むしろ学校は楽しいとすら思っていた。それが突然、夜眠れなくなり、その分昼間起きられなくなって、行きたくても学校に行けなくなってしまった。  しばらくすれば治るだろうと最初は暢気にしていた両親も次第に心配になったようで、僕を駅前にある大きな大学病院へ連れて行った。  結果はさして変わらなかった。長い質問をされたり、知能テストのようなことをされたり、ときには意味の分からない検査もしたけれど、特別重大な原因が見つかることはなかった。  以後

          謎の栗おこわソースから得た教訓

          昨日の夕食は弁当だった。妻が東京やら日本橋やらを巡る買い物のついでに、デパートで買ってきてくれたものだ。娘には洋食、僕と妻は和食の弁当だった。 僕が選んだ弁当には、肉、魚、煮物、和え物などが細かく仕切られた枠の中に贅沢に盛り付けられていて、ご飯も赤飯と炊き込みご飯らしきものの2種類が入っているとのことだった。目の見える娘が説明してくれた。 さらに、弁当には赤飯にかけるゴマ塩と、栗おこわにかけるソースがついていた。 「栗おこわにかけるソース?」 僕は驚いて娘に確認した。とん

          謎の栗おこわソースから得た教訓

          文学の門

          どうしてろくに役にも立たない文学など存在するのか。 もしそう聞かれたら、どう答えればいいだろう。 文学を味わう最大の喜びは、自らの認識枠組みが解体され、全く新たな視点で世界を見られるようになることだ。 決して語彙や知識が見に着くためではない。もしそのためだけに文学を読むなら、それは極めて退屈な作業に成り下がってしまう。 特に生きることに絶望していた若い頃、文学に惹かれたのは、自分の一面的で浅薄なものの見方を少しでも広げたかったからだ。 事実は変わらない。でも認識は変えられ

          左利きエトセトラ

          昔から人と違うことが好きだった。 人と同じであることには退屈さを覚えた。 無理して違うように振舞うことまではしなくとも、クラスで一人だけ違う意見だったりしたときは、密かに喜びを噛み締めたものだ。 そのような性格的傾向がどこから来たのかを考えたとき、たどり着くのは「左利きである」という事実だ。 食事をする、文字を書く、服を着る、お茶を注ぐ。 ありとあらゆる日常的動作が多数派とは異なる動作を強いられる左利き。 人によってはそれをコンプレックスと感じるようだが、自分の場合は違った

          光のうた

          目には決して見えぬ 心の奥に潜む 存在の根に揺蕩う 水の調べを聞け 水は遍く宇宙を巡り かなたの時を超え 尽きることなき流れとともに また同じ場所へ帰る この命尽きしとき 光となって 誰もが再び帰る あの場所へ ああ なんと眩しいのだろう 醜く絶望した世界にすら 光は絶えず降り注ぐのだ