再び病院へ(僕が失明するまでの記憶 19)

 入学式の後、2、3度は通学を試みたが、それきり学校には行かなくなった。行きたくても行けなかった。教室の移動はどうにかなったとしても、従来のスピードで教科書を読んだりノートに字を書いたりすることができなかったからだ。

 「やっぱり退院が少し早かったのかな」

 チャイムや校内放送が風に乗って聞こえてくるほどに家と中学校は近かったが、身動きが取れないまま、家の布団の上で終日過ごす日々が続いた。自分がこうしてじっとしている間に、みんなは荒波に揉まれながらどんどん中学生になっていく。乗り遅れて遠ざかる電車を一人呆然と見送るような焦燥感にかられながら、ため息の数だけが増えた。

 安静にしていても視力は改善するどころか、再び像を捉える焦点が定まらなくなり、輪郭がぼやけ出した。暗い影こそないが、視界のところどころに視覚を感じない領域が白い雲のように浮かんでいることにも気付いた。

 下ろしたばかりの制服が着られることを待ちわびてハンガーに吊るされているのに、僕はそれを着ることができない。部屋の片隅に打ち捨てられている新しい教科書や辞書、通信講座のテキスト、その中の一冊を試しに手に取って開いたが、細かい字を追っていると目の奥に鈍い痛みを感じ、早々に読むのを諦めた。周囲の期待に応え、立派な中学生になりたかった。誰よりも立派になれるはずだった。でも、ここで無理をしたらこれまでの努力が全て水の泡だ。病気が落ち着くまでは学校や勉強のことは考えないことにしよう。焦らず治療を続ければきっとまた戻れるはずだと心に言い聞かせた。

 ゴールデンウィークが明けると、2度めの手術が決まった。父の車に乗せられて再び病院に戻ったのは1990年5月9日の朝だった。

 小学校の卒業式の日と同様よく晴れていて青空が眩しかった。希望に胸踊らせた卒業式からまだ2ヶ月も経っていなかったが、もうずいぶん昔のことのように感じられた。それは恐らく同じ場所にいた級友もきっと同様なのだろう。虚空を進むボイジャー2号が母なる地球から猛スピードで遠ざかっていくように、僕達はそれぞれ異なる道を歩みだそうとしていた。僕はいつまでも同じ場所に留まり、旧友たちはもうこちらが認識できないぐらい遠い場所にいた。