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ダンサー セルゲイ・ポルーニン

Twitterでユーリ・オン・アイス用のタイムラインが沸騰してたので、ふと思い立って観て来ました。ドキュメンタリー映画「ダンサー セルゲイ・ポルーニン」。

私はバレエは詳しくありません。日本ではまだそこまで有名じゃなかった頃のシルヴィ・ギエムのドキュメンタリー番組(たぶんイギリスのテレビ番組コピーしたもの)を義理の兄が貸してくれて、それがよかったので興味を持って、当時はまだ思いつきでもチケットがとれたギエム出演のガラ公演を観にいったっきりだと思います。上野だったかなぁ。

その時のギエムはコンテンポラリーをバキバキ踊ってて、人外っぽさが半端なかった。バレエのことはわかんないけど、あれは良くも悪くも浮くと思った。プリマでしかあり得ない人なんだなーみたいな。

そんなわけで、セルゲイ・ポルーニン。なんの先入観もなく観に行ったのですが、これ、圧倒的でオンリーワンのダンサーとしてのセルゲイの成長記録と、ダンスをしない人でもどこかで共感できる家族の物語が、同時に成立してるとこが稀有だなと思いました。

※以下、ネタバレあり注意※

映画の中には、幼いセルゲイを家族が撮影した秘蔵映像があって、よくぞ撮ってたなーという代物。可愛いです。そして圧倒的に上手い。素人の私が見ても、抜きん出てる。

映画をみて驚かされるのは、ソ連崩壊後のウクライナという決して豊かではない国の一般家庭(彼の父も母もバレエとは無縁の人なのです)の人たちが、「なんかこの子には才能がある気がする」という、なんの保証もない「予感」に賭けて、彼がバレエ学校で学ぶための学費を出稼ぎして工面するんですよね。お父さんはポルトガルへ、おばあちゃんはギリシアへ。

そしてお母さんは幼い息子を連れて、まずはキエフのバレエ学校、そして海を渡ってイギリスのロイヤルバレエ団の養成学校に息子を入学させるんです。

素人の率直な感想として、バレエってのはお金がかかるんだな…と思った。裕福な家庭じゃない場合、家族が協力してくれないことには一流の教育は受けさせられない。それだけ投資しても、トップクラスのダンサーになれるのはほんの一握りの人たちだけ。

普通に考えてたら無茶なことを彼の家族はやってのけたわけで、もしかしたら世の中にはこういう協力を得られなかったために埋もれていった才能もあるのかも知れないなぁ…と思いました。そういう意味ではセルゲイは恵まれた子供です。

その傍で、トントン拍子のキャリアとは裏腹に、10代の頃のセルゲイの不幸せそうな表情は、見ていて胸が痛みます。

一番目が死んでたのは、キエフの学校に行ってた時の映像かな。地元のバレエ学校に通ってるころの彼は、まだ幼く無邪気で、ただただ踊ることが楽しくて仕方ない風に見えたけど、よい指導を求めてキエフのバレエ学校に入学する頃から、すっかり表情が変わってしまう。

まだ中学生ぐらいの男の子が、自分の学費のために家族がバラバラになり出稼ぎまでさせていることに心をいため、自分が成功することでしか家族をまた一緒に暮らせるようには出来ないのだ、と思い詰め、いかにも大人に教えられた通りの優等生なボキャブラリーで、ダンサーとしての夢を語っている。いかにもアダルトチャイルドって感じで、可哀想すぎて正視できない感じがありました。

イギリスに渡ってからのほうがまだ多少はマシなんですよね。親と離れて、ダンサー仲間と10代らしいやんちゃをしたり、僅かな自由を楽しむ姿は、刹那的にも見えるけど、完全に一人ぼっちではなくて、少しほっとする。ラスト近く、彼が撮影するMVのダンスの振り付けは、この頃一緒にやんちゃして遊んでた同期の親友なのです。

ロイヤルバレエ団に入団してデビューしたセルゲイは、記録的なハイスピード出世でプリマに上り詰めますが、時代の寵児になったこととは裏腹に、両親の離婚により「自分が成功して家族が一緒に暮らせるようにする」というモチベーションを失ったセルゲイの生活は荒れます。

身体中に入れたタトゥー、夜遊びの仕方を叩かれたり、人気の絶頂期で退団してロシアに渡ったり、評論家筋からすれば奇行でしかないそれらの行為は、遅れてきた反抗期みたいで幼く、痛々しい。

それでも、映画を通してセルゲイの半生を追うにつけ、人生のいろんなタイミングで、傷ついた子供を心の内に抱えたままの、どこかいびつなセルゲイを身近で見守り、導いてくれる指導者や友達との出会いがあって、家族が埋めてくれなかったものを埋めてくれたことは、幸運だったよなぁ…と思うのです。

そしてその大切な人たちとの出会いは、彼が複雑な愛憎を抱き続けている母親が、いち早く息子の才能に気づき、小さな田舎町から彼をキエフの学校、さらにはロイヤルバレエ団の養成学校まで入学させた、あのがむしゃらな行動力なしには、あり得なかったものなんですよね。

ダンスの才能がなければ彼の少年期の不幸はなかったろうと思う。でもダンスの才能がなければ、彼と彼のバレエを愛し、支えてくれる友人や一流のスタッフと出会えてもいなかったわけで。そう思うと、人生ってなんだかんだでトントンなのかも知れないな…と思いました。天才と呼ばれるような人たちであっても、同じなんだなって。

セルゲイ本人がバレエを辞めると決意して、最後のダンスと決めた「Take Me To Church」のMVの撮影に入る前に、久しぶりに実家を訪ねて母親や子供時代のバレエの先生に会うんです。

この時、カメラの前だし控えめではあるけど、彼は子供時代の母親の厳しさなどをぽつぽつと語って、母親をなじるわけですよ。もう成人した若者なのに、12歳ぐらいの子供の気持ちを、母親にぶつける。

これに対して母親は、子供だったセルゲイの生活の管理は必要だった、と語る。でもセルゲイは納得していない。このすれ違う感じが、なんともわかりすぎて。

この映画に出てくる人たちは、だーれも悪い人なんかいないんです。セルゲイが、本当は家族みんなで暮らしたかった、お母さんが厳しくて辛かった、と言うことは、すべてもっともだし、彼にはそれを言う権利がある。

でもお母さんが彼の才能を開花させるためにもっとよい教育を、と動き続けたことだって間違ってない。子供の学費のために出稼ぎに出たお父さんだって何も悪くない。結果として夫婦が離婚に至ったことも、誰のせいでもない。強いていうならそういう巡り合わせだった、としか言いようがない。

誰も誰かを傷つけたいなんて思って行動していない。それでも家族はバラバラになってしまうし、誰もが多かれ少なかれ傷ついてしまう。この人生ままならないなっていう感じ、わかるわーって。そう思いながら見てました。

若い人ならセルゲイにより強く共感して、お母さんを毒親認定したりするのかもなって思います。でも、誰もが真心から相手のためを思って行動してても、そのことをお互いが頭で理解してても、心が傷ついてしまったり、関係に溝ができてしまうことってあるんだよ。誰かが犯人ってわけじゃない。そういうの、あるあるんだよ、って思いながら見てました。

少年時代のセルゲイの真の望みだどうだったかということは、今になってしまってはあまり意味がないことなんですよね。過去にはどうしたって戻れないし、人生はやり直せない。そして、ままならなかった過去の上に、現在がある

ラスト近く、初めて自分の出演するステージに家族を招待したセルゲイの、嬉しそうでもあり、どこかぎこちなさも残る少年のような表情が、なんとも言えず愛おしかったです。

取り戻せない時間はあまりにも大きく、家族の再生への道のりは遠いし、一生埋められないものもあるでしょう。でもその「ままならなさ」をどこかで受け入れたセルゲイが、少し大人になりつつある姿が見て取れたました。

そして、なんといっても自分にとって踊ることが必要なんだ、踊りたい、というシンプルな欲望をセルゲイが手に入れたこと、踊ることか好きだ、という自由な気持ちで舞台とむきあっていることが、表情にも表れていて。

自分がダンサーとして踊るだけでなく、セルフプロデュースでいろんな方面の活動を始めた20代後半のセルゲイ。月並みな言い方だけど彼の人生はこれからなんだなぁ、と思いました。

来日時のインタビュー記事とか、色々とネットに上がってるので、ご興味のある方は是非。いつか彼が踊るとこを生で観てみたいものです。チケット争奪戦すごそうだけど。

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