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過去は使いよう。決意した自分へ、エールを

いろいろなことに言い訳をして今まで生きてきたわけですが、ここでやっと自分自身と相談をしてひとつの決断をしました。
それは、今の仕事を辞めること。

葛藤を抜け、今は穏やか凪状態。
ここまで来るのに自分にとってはなかなかハードな道だったのですが、その中で気付いたことがありました。
長文になりますが、どうか、お付き合いください。

辞めたいのに、この抵抗感の正体は何?

「仕事を辞める」ということ。それは私にとって死活問題で捉えていました。
なぜ死活問題と捉えていたのか?
それは「今みたいに働いてお金を稼ぐ」ことが自分にとっての当たり前だったからです。
当たり前のことですが、お金がないと生きていけません。払えるものがないと、払えないから。買えない。暮らせない。
私がここで言いたいのは、”今の働き方に縛られていた”ということです。
今以外の働き方がわからない。サンプルなんてたくさん世に溢れているのに。なぜ分からないと思うの?
その正体は、”自分にはできないと思う”という自信のなさでした。

これまでの仕事、何で今更辞めたいの?

そもそも私が縛られる今の働き方。どうして私は”今の働き方”に対して不満を感じたのでしょうか。
それは、”選ばざるを得なかった選択肢の延長線上にある”仕事で働いていたからです。
働いた上で自信を持って言えます!
まったく向いている自覚がありません。笑
10年続けてこれなのですから、これは紛れもない真実です。
そもそもが苦手分野だったのです。細かい数字を覚えることができない。
それなのにエンジニアとして設備の設計や整備、開発業務を携わっていました。
今まで続けてこられたのは、良くも悪くも要領がよかったところもあったのだと思います。
ただ、大きな責任を任される仕事に就いたとき、心がいとも簡単にくしゃりと潰れてしまいました。人前に出ることも怖くなり、週末には情緒不安定。始業時間にも間に合わない。そして無気力状態が数ヶ月続きました。
大きなプロジェクトが進む中で迷いもありましたが、何とか異動希望を出し(結構揉めましたが)、そしてやっとの思いで違う業務の部署に異動することができました。
そこでは育成を主とした研修の企画、運営を担当しました。自分にとって”こなせる”仕事だったので、ある程度穏やかな時間が流れていましたが、心も疲れ切っていた私に、自信なんてものは影も形もなくなっていました。

そこでしばらく働きいろいろな職種の人と話をする中でふと気付いたことがあります。
「私は働くことは好きなのに、どうして”今の仕事が好き”とずっと言えなかったのだろう?」
そこから少しずつその原因を紐解いてみた結果、
今までの私の選択のほとんどが”親の希望”であり、その希望の延長線上にあるのが”今の仕事”だったのです。

与えられたカードを拒む勇気

私は母親から「理系」への選択肢のみ与えられていました。
理由は、その方が将来安泰だから。
母は「これからは女性が活躍する時代だ」と口癖のように言い、勉強については兎にも角にも厳しかった。
それは良いとしても、悲しいのは”理系”という1つの選択肢しか持ち合わせていなかったこと。
自信の経験からくる成功と悔しさがこの思いを強くしたのでしょう。母の思いが私の言葉で変わることはありませんでした。

私は母が望む娘像にフィットできるよう、頑張ってきました。
もちろん反発することはありましたが、自分の意志を貫くと母は当たり前のようにものすごい剣幕で怒り、機嫌を損ね、その重苦しい雰囲気が続くあの時間に耐える勇気が私にはありませんでした。私は臆病でした。
今でも記憶に残っている出来事があります。
高校1年生の頃、中級クラスにいた私の成績は良好で、2年生に上がる段階で先生から上位クラスへの変更を勧められました。私は今のクラスが、友達が好きで、その環境に満足していました。それと同時に、クラス替えのストレスの方が自分には悪影響だと考えて、その申し出は断りたいと思っていました。
ただ母は当たり前のように力づくでも上位クラスへ行かせたかった。無論、私は母との争いに敗れ行くことになったわけですが、ある時1年生の頃同じクラスだった友達が言ったのです。
「そんなに嫌なら、行かなきゃよかったじゃん」
あぁそうか。選択肢が自分にある人もいるんだな。
あの時何も言い返せなかったのは、母のことが嫌いなわけではなかったからだと思います。母を悪者にするみたいで、こわかったから。
だから私は「そうだね」としか言えなかったのです。
見事に上位クラスで落ちぶれた私は、何とか大学を探します。
ただし、与えられたカードは「理系(無論)」「国立」「家から通える範囲」。それ以外はないに等しい。
奇跡的に見つかった大学。その大学を選ぶことにした”理由”は、卒業生の就職先に良さそうなところがあったから。
私はそれを”夢”に変えて、その大学に進むことを決めました。

夢なんかじゃない、ただの理想

理系に進めたことに不満はないし、大学まで行かせてもらったことに感謝しています。
ただ、どうしても考えてしまうのです。
美術が好きだった。物語を書くことが好きだった。論文を読むことが好きだった。英語が大好きだった。映画が好きで、そこから特殊メイクに興味を持った。
私が示す先に母の正解はなく選ぶことはできなかったけれど、もしそれを選んでいたら、今の私はどうなっていたんだろう。どんな世界を見ているのだろう。
与えられたカードの中に自分の本当の夢を見出せなかった。だからせめて、この道だったらこうありたいという”理想”を掲げ続けてきた。
小さなボタンのかけ違いが、進めば進むほど大きくなっていく。
その道の最後にあったのは”潰れた心”と”虚無感”でした。

過去は使いよう

この現実と向き合った時、私は自分の過去を、母を恨みました。
その他にもいろいろな心の歪みからくる苦しみにぶち当たり、どうしても母のことを考えざるを得ないケースが多く、とても辛く苦しかった。
でも、ある一定の母への怒りを抜けた時(抜けるまでにいろいろなことがあり、また改善するために試しました。これについてはまた別の機会に)、
「別に母親を恨みたいわけじゃないんだよな」という気持ちがぽっと咲きました。
大きな仕事にもついて一つの思い出ができたことに感謝して、じゃあ次の人生行ってみますか、と気持ちを切り替えることにしました。
次って何だろう?
その時、自分の過去をヒントにしてみることにしました。
あの時好きだったこと、夢中になれたこと。次の人生ではそれにトライしてみたい。今までの経験も活かせることがあるはず、と、”夢”と”経験”をリミックスさせよう、と。
ただ、こう進もうと自分で決めたはずなのに、思わぬことが起きます。

自分で決めた”つもり”

仕事を辞めるにあたって、パートナーである夫に相談した時。
まず初めに、夫は私が仕事を辞めることに賛成(むしろ何でそんな向いていない、辛いと自覚していることを続けるのか疑問)と言ってくれました。
不安だった金銭面ですが、「お互い持ちつ持たれつじゃない?今は僕が頑張る時期。コハルちゃんに頑張ってもらう時も、くるかもね〜」とのことで、今回は思い切って甘えることにしました。
とは言ったものの、先に述べた通り、私は「今までの働き方」に縛られていたこともあり、逐一確認、相談をしていました。
「こういうのもいいと思ったんだ」「こういう働き方、どう思う?」
だんだんと口数が減る夫。そこで言われた言葉。
どう言われたいの?いちいち確認されて、何と答えればいいの?
コハルちゃんが決めたことに反対しないって言っているでしょ?」
はっとした瞬間でした。
私は夫に承認を求め、夫に決めてもらおうとしていた。
他人に承認を求め、今までいかに自分で決めていなかったか。
人に選んでもらうことが癖になっていたようでした。

今、ここ

しばらく自分と向き合う時間を設けることを心がけ、本当に恥ずかしいくらいの今の理想を描いてみるなど、やりたいことについて考えました。
今までは検討の”過程”を夫に話していたのですが、”結果”を伝えることにしました。
まずはじめに決めたことに対して夫は「わかった」と賛成してくれました。
「今まではできることを選んだけど、”なんか楽しそうだな”ってことにトライしたい。その点については、もう妥協したくない」という言葉を添えて。
賛成してくれたのも、過去のことも知っているからだと思います。

成功するかはわからないけど、とりあえずやってみます。
夫がエールを送ってくれたことに、感謝しながら。
第2の人生です。この先第3、第4もあるでしょう。
でも、もう”やらされ感”は終わりにします。
これだけは私の決心として、このnoteに残します。
過去でも未来でもなく「今、ここ」にフォーカスをして、心をしっかりと感じながら生きていきます。
これが私の決意表明です。




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