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誤ることは、こわいこと? reading "XD MAGAZINE VOL.05"

「張りぼて」人生

私は自分で言うのもなんだが、今まで期待された通りに生きてきたと思う。
大学にも行かせてもらい、名の知れた組織に就職し、10年目まで働いてきた。
30代目前で結婚し、夫と猫と共に都心部に住む。
そこまで贅沢な暮らしはしていないが、少しずつ貯金をしながら、長期休暇には旅行にいく。
両実家との関係も悪くない。早く子供をとせっつかれることもなく、それぞれのペース、距離感を大切にするご縁に恵まれた。

こういった”名札”を一つ一つ自分の年表にぶら下げていく。
うん。私は”期待”通り。順風満帆である。そんなふうに見える。
でも、そんな自分に一番似つかわしい言葉は「張りぼて」である。

はり‐ぼて【張りぼて】 の解説
1 張り子で、ある形に作ったもの。張り子作りの芝居の小道具など。ぼて。
2 (比喩的に)見かけは立派だが、実質の伴わないことやもの。張り子の虎。「二世議員ばかりで実務経験のない―内閣」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BC%B5%E3%82%8A%E3%81%BC%E3%81%A6/

「張りぼて」の中身

実際の自分はどうだろう。
・親の期待に応えるべく選び歩んだ進路。
・安定した会社で”やりたいこと”よりも”できること”、”(側から見て)格好がつくこと”、”楽そうな方”に舵を切ってきた社会人生活。
・過去の恋愛を引きずり必死にパートナーを探し、30代目前、そろそろ私も”幸せ”になりたいと飢え足掻き掴み取った結婚。
・次は子供、と私は今必死にまた動き始め、私の焦りと裏腹に少しずつ距離を感じ始めた夫婦関係。子供をと焦る自分には悪循環に違いない関係性。

そしてふと我に問う。
「これのどこが幸せなのだろうか。」

恐れていたこと

なぜ私は焦るのだろうか?
それは、人生は一度きりなのだから後悔をしたくない。
あの時ああしていたら、なんて思いたくない。
私は誤りたくなんてなかった。
「誤ること」とそれによる「後悔」を私は極端に恐れていた。
だからたくさんたくさん考えて、自分にとって「最善」「近道」と思われる道をひたすらブルドーザーのごとく力技で突っ走ってきた。
そう気がついた時にふと我に帰ると、
私はたくさんの「誤り」を積み重ねていたことに気が付く。
私は、自分が最も恐れていた世界にひとり立ち尽くしていた。

「誤り」と共にある世界

とある雑誌との出会い

最近手に取った雑誌。
「XD MAGAZINE VOL.05 ISSUE OF MISTAKE」

表紙に躍る「誤る」という今まで恐れていた言葉に引き寄せられ、
なんとなしにパラパラとページをめくってみた。
まだこの時は「買おっかな〜、ん〜、まぁいっかな〜」くらいのぼんやりとした興味程度であったが、
ページをめくり続けてみると武田砂鉄さんが鼎談で登場していることに気が付いた。「ここ、こ、これは買わねば」と少し動揺しながら慌ただしくレジに向かった。
雑誌を買う決定打は武田砂鉄さんというある種不純(武田砂鉄さんは決して不純ではない、決して)な動機であったわけだが、私は今この雑誌との出会いに感謝している。

結論から言うと、私はこの雑誌を通して「誤ることが楽しみ」になった。
誤りだらけだったとわかった自分の人生はお先真っ暗なんかではなくて、
これから始まる自分の新たな人生にワクワクすらも感じた。

この本には、いろいろな著名人が考える「誤り」を、インタビューやコラム、物語、鼎談によりまとめられている。どれも興味深いものばかりで、ずんずんと文章の沼に落ちていく。
いろいろな視点がある一方で、共通点も炙り出される。
「誤りを認める」「人はそもそも誤るもの」
「誤りのない世界は、許しのない世界」
当たり前である「誤り」を認めた時、私の目の前はとてつもなく明るく、濃霧のように立ち込めたモヤモヤが、さっと晴れたように感じた。
誤ってみないと、見えない世界が確実にある。人を許す心も、どんな失敗も笑い飛ばす余裕も、自分が誤ってみないとわからなかったことばかりだ。
誤ることは恥ずかしいことだと思っていた。
かわいそうだ、惨めだと思われると思っていた。
でも、そんなのちゃんちゃらおかしい話だったのだ。
だって、人はそもそも誤るものであり、そもそも正誤を決めるのは誰?って話だからだ。

改めて見つめる人生は「張りぼて」・・・?

そう思ってから自分の「張りぼて」人生を振り返ってみると、まったく別の世界が自分の後ろに広がっていたことに気が付く。
今までなんて貴重な、面白い経験をすることができたのだろう、と。
「誤りだらけ」と悲観したが、もしこの道に進めなかったら、私は必死に働くことの充実感を見出すことはできていなかった。苦しみの中から、仲間との泥臭い強い絆が生まれることもなかった。
必死にもがき苦しむ中で見つける幸福の愛おしさを、抱きしめることができなかった。
この人を幸せにしたい、だから私は変わりたいんだと思うことはできなかった。変わるための選択と、それを実行にうつす勇気を持つことがきっとこの経験、出会いがなくしてはできなかった。

遠回りはしたようだけれど、私の人生、悪い方向には進んでいないのではないかな?
なんか、すっごい面白かった!辛いこともたっくさんあったけど!笑
そう思えた。

今。そして、これから

私は先日、これまで必死にしがみついてきた仕事を辞職した。
なぜだか、ふと突然この決断に腹落ちする日が来て、今に至る。そんな感覚。
そして今目の前に広がる景色の中に、確かな”道の先”は見えてこない。
朧げな理想と、少しずつ自分で作り始めている目の前の細い道だけ。

これは誤ってしまったがために白紙に戻されてしまった、一種の絶壁なのか?
それとも、自分をリセットするチャンスを掴んだからこそ巡り合えた、真っ白なキャンバスなのか?

恐怖を感じる時がないと言えば嘘になる。でも、どっちにするかは自分自身だ。正誤のジャッジを下すのは自分自身なのだから。
笑われたって構わないさと、今思えている自分が可笑しい。楽しいのだ。
誤ってみたから出会えた宝物に気づくことができたのだから、
きっとこの先誤ったって大丈夫だ。
もちろんお天道様に背くような人を傷つけることは良しとはしないけれど、
人に、そして自分に誠実に生きていこう。
私は自分の人生が楽しみで仕方がない。
絶対に誤ることはある。そこから何を生み出すか。何を感じるか。

私は今、わくわくしている。
この雑誌に出会えて、本当によかった。
誤ることはある。でも大丈夫。後悔はしないよ。

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