見出し画像

目でも聴く「さわり」佐宮圭 著(2011)

薩摩琵琶奏者・鶴田錦史(1911-1995)

名前を見、男性と思い、琵琶の音を聴いていた。
男性でも女性でも、琴線に触れる音色が聴ければそれで良いのだが。

しかし、音楽というものは、それまで類似したような音楽を聴いてこなかったのであれば、近づくことは難しく、音を表面的に自分の耳を通すに過ぎない。

表現者の表現した作品と、表現者の人生を知ることで、
表現の理解が深められるなら、それは両方とも知った方が良い、と思う。

鶴田錦史は、先行して琵琶を奏でていた兄に才能を見いだされ、天才琵琶奏者として一家を養っていく。二枚目と結婚するも、浮気をされ、男を断つ。また、美も兼ね備えた琵琶奏者・水藤錦穣の存在を越えられず、琵琶も断つ。二十代半ばより、事業家として立つ。新興喫茶、キャバレー、ダンスホール、ナイトクラブ。しかし、四十代半ば、再度、琵琶を奏でる。そして、会うべくして、現代音楽の作曲家・武満徹に出会う。

武満徹が探していた琵琶奏者は、「これまでの琵琶の奏法や邦楽のしきたりにこだわらず、新しい音楽に挑戦してくれる琵琶奏者」。
鶴田錦史は、「邪道であろうが、琵琶がいままで引きずってきたものをどこかで変えない若い子はついてこない」ということで、琵琶に「電気振動マイクロホン」をつけ音を増幅。その上でクラシック楽団を従えていた。

武満徹は戦中・戦後の体験で「日本的なもの」全てを憎んできた。結果、西洋音楽から現代音楽へと傾倒。しかし、偶然観た文楽の義太夫を聴き、日本の伝統音楽に回帰した。

琵琶と尺八とオーケストラの音楽をつくるにあたり、日本と西洋の楽器を「混ぜる」のはやめ、自然環境のように西洋の楽器を使い、そこに日本の楽器を持ってきて、琵琶や尺八が音を出すと、オーケストラに水の輪のようい拡がり、どんどん音が増えていくようなイメージを持つ。

昭和四十二年(1967)十一月九日、ニューヨーク・フィルハーモニック創立125周年記念講演で「ノヴェンバー・ステップス」の初演。
小澤征爾(32)の指揮。尺八奏者・横山勝也(32)、鶴田錦史(56)。
オーケストラ(48人)。現代音楽の作曲家・武満徹(37)。

(※動画は「1967」と記載があるが。オーケストラ奏者がほぼ日本人なので、まず、ニューヨークでの演奏ではない。小澤さん、横山さんの年齢が32歳とは見えず、演奏年不明です。鶴田錦史さんも、車椅子ですし。)