短歌という孤独

私にも語りたいことがあり短歌界隈の方々がよく使っているnoteに登録してみた。
さて自己紹介は省いて早速本題に入るが、今回は短歌を制作するにあたって感じる孤独について感じたことをありのままに語りたい。
Xでは触れたことがなかったが、私は今新聞歌壇の投稿へ励んでいる。励んでいると言っても短歌を始めて4ヶ月半、新聞歌壇への投稿も始めたばかり。実際に投稿した数もまだ数首に留まっている。
そして初投稿から一ヶ月経った今日、新聞を購入しにコンビニへ向かった。わざわざコンビニへ向かったのは私が投稿している新聞社の新聞を定期購入していないためだ。また家の者は私が短歌に励んでいることを未だ知らないので、昼食に使う海苔を買ってくるなどと口実をつけて出掛けることにした。出掛けると言っても徒歩数分の場所なのだが。そして徒歩数分の距離を今日の私は自転車を漕いで行くことを選択した。それは少しでも早く新聞の中身を確認したいがためだった。
だが初投稿の短歌が掲載されることなど余程の才能があれば別だが、ほぼないことだろう。それなのに内心期待している自分に嫌気が差した。嫌気が差しながらもやはり期待していた。家へ戻り早速新聞を広げると残念ながら私の短歌は載っていなかった。当たり前のことだ。当たり前なことなのに悔しくてしばらく他の掲載者の短歌を読むことさえ出来なかった。
暫くして落ち着いてから読むと、なるほどこういった素晴らしい短歌は掲載されるべきだろうと勿論納得した。
これまで初掲載された人はどのくらいの数々を投稿してきただろう。どのくらい短歌を勉強してどのくらい挫折しただろう。今活躍されている方々の苦労を私は知らない。知らないからこそ出口の見えない孤独の中、一人自分を律して励んでいくべきことなのだ。今や私にとって短歌は単なる趣味などではなくなったのだと実感した日なのであった。

と言うことで短歌は掲載されていなかったが、目当ての海苔はコンビニでも良心的な値段で手に入れることが出来た。その海苔で鮭と梅干しのおにぎりを作って野外で食べた。桜は散り始めていたが、やはり外で食べるご飯は格別に美味しい。そして自然に触れると元気になる。
まだまだ頑張りたい。

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