見出し画像

「優等生」というラベル (1)

ほんの一、二年ほど前まで。
わたしは、この世のあらゆる事象に何かしらの「正解」があるものだと思い込んでいた。
「思い込んでいた」という表現は少し柔らかくて、よりリアルに表すのであれば「わたしの奥深く、根底にしっかりと根付いていた」かもしれない。

別に、日々意識的に「この事象の正解は何だろう?」と考えていたわけではない。
ただ、無意識領域である思考のスタート地点・土台みたいな部分で、どこかに必ずあると信じ切っていた「正解」に近づこうとしていたのである。

およそ23年間、何の疑いも持たずに、その考え方で生きてきた。

小学生の頃、わたしはそれなりに優等生だったように思う。

テストの点数もよく、授業態度も良かったので、通信簿には「大変よくできました」がずらりと並んだ。
学校から帰ったら遊びに行く前に必ず宿題をやっていたし、忘れ物や遅刻をした記憶もほとんどない。

朝は学校指定の帽子をきちんとかぶって登校し、学校に着いたらすぐに胸の位置に名札を付け、上履きのかかとも踏まなかった。

運動はものすごく得意というわけではなかったが、学校の運動会ではぎりぎりリレーの選手に選ばれるくらいだったし、学区の水泳記録会では学校代表のリレーの選手も務めた。

風邪もほとんどひかず皆勤賞も何度かとってたし、クラス委員をやったこともあった。

そんなわけで先生からの信頼も厚く(たぶん。笑)、学年で男女1名ずつしか選ばれない「健康優良児」なるものに選ばれたこともある。(何を基準に選考されていたのかは未だによくわからない。。)

ズバ抜けてこれがすごい!みたいなものはなかったが、極端にこれがダメというものもなく、総じて良くできるタイプだった。

学年で一人しか選ばれないような賞をもらうような生徒だと、ちょっとやんちゃな友達からからかわれたり、いじめられたり。そういうことがあってもおかしくなさそうなものだが、そこは子どもながらにうまくやっていたのだと思う。

先生に怒られないように、でも、先生の目の届かないところでは、やんちゃな友達とほどほどに悪さをする。
度を越したことや、正面切っての反抗はしなかった。

ただ、常に心のどこかに「友達から嫌われるのが怖い」という感情はあったので、先生に媚びている、と思われるような態度は決してとらないよう、細心の注意も払っていた。

要は、かなり臆病なやつだったのである。

ただ、怒られたり、嫌われたり、バカにされたり、、

そういった「痛み」を何とかして避けたい、、

今思えば、無意識にとっていた必死の防衛手段だったようにも思える。


to be continued...



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?