今日のジャズ: 2月2-3日、1972年@ニューヨーク
Feb. 2-3, 1972 “Return To Forever”
by Chick Corea, Flora Purim, Joe Farrell, Stanley Clarke & Airto Moreira at A&R Studio for ECM
寒さが深まり身体に凍みるこの時期に、冷たい空気感とクールな雰囲気のあるジャケットと演奏が絶妙にマッチした、このフュージョンジャズの古典的名作、チックコリアによる通称『かもめのチック』アルバムを聴きたくなる。
解像度の高い、氷穴の中にでも居るかのような、ひんやりとしたガラスのように澄み切った空気感をまとった、特に鋭いつららの如く耳に刺さってくる高域の特徴的な音響が伝わってくるのが、如何にもECMレーベルらしい。
本作は、アコースティックと電気楽器の高度な融合作品という観点からも、オーディオ鑑賞のレファレンスとして活用出来る。ボーカルを含む生々しいアナログと増幅された電子楽器の各パートのバランスとその細部が何処まで繊細に再生できるのか、が一つの試聴軸になる。
録音は1972年の2月初旬で、ロックが大衆化してジャズ界が混沌としている時期。帝王マイルスデイビスがロックに対抗すべく電化サウンドでオリジナル路線を歩んでいた頃。ロック界も1970年にビートルズが解散した後に多様化して、グラムロックやプログレッシブロックが隆盛を極めていた、そんな状況下でコリアが秀でた才能を解き放って完成した怪作が本作。
1972年には、例えばこんな名作アルバムがリリースされている。
これらの名作と当時の主流媒体であるレコードの販売店で棚の奪い合いをする状況に置かれたジャズは、商業的にはかなり厳しい境遇に置かれている状況。これ迄に紹介した同年録音のジャズの作品はこちら。偶然ですがデュオ作品が多い事に気付きました。
ジムホールとロンカーターの熱気溢れるギターとベースのデュオ演奏の定番作品
エリントン晩年のレイブラウンとの美しいデュオ作品
コリアと鉄琴ゲイリーバートンの淡麗辛口なデュオ作品
通称『さかな』の、レジェンドドラマー、エルビンジョーンズによるライブアルバム
本作の約二週間前に収録のロニーフォスターによるオルガンを駆使した電化ジャズの名作
そして、本作の一ヶ月後に収録された、コリア、クラーク、モレイラ参加のハードボイルドなスタンゲッツの怪作(本作の裏盤的な位置付け)
上記の二枚を含めてコリアが、この時期に如何に充実していたか、という事が作品を通じて伝わってくる。特にゲッツの作品は、本作と同じフェンダーローズを操り、本アルバム収録曲を演奏しているので比較すると興味深い。
そんな音楽業界の状況下で、別路線を突き進んだのが1969年創設のECMレーベル。一目見たら記憶に残るシンプルに洗練された印象的なアルバムジャケットを象徴する、透き通る解像度の高いサウンドを軸に、個性的なアーティストを起用するポリシーを貫いて、大衆路線とは同じ土俵に立たない方向性に活路を見出す。その代表作の一つが本作。ECMの下、マイルスのバンドで盟友だったキースジャレットはアコースティックに回帰する一方で、コリアは電化サウンドをマイルスとはまた別の形で開拓していく。その第一歩が本作。
演奏は、冒頭の静粛感からの何処となく宗教音楽的な独特な雰囲気から始まり、透き通るようなフローラプリムのボーカルが中央に乗り、バンド全体が徐々に内面から盛り上がって行く展開で、コリアがマイルスのバンドでも使いこなしていたアナログ的な音色が特徴のフェンダーローズでスピーカーの左側に陣取って縦横無尽なフレーズを繰り出し、中央のスタンリークラークによる力強く牽引するベースが同調し、その間を駆け抜けるように盛り立てるラテン調のリズムを交えたアイアートモレイラのドラムが右側から刺激を加え、ジョーファレルの心憂うフルートが独特さに更に拍車をかける。これらがアドリブの自由度を保ちながら有機的に、時に狂気的なほどに疾走していく気持ち良さが、このバンドの醍醐味。
A面の緻密に練られた起承転結の構成、一曲目の8:54からのコリアのテンポを外す混沌としたフレーズが耳を惹き、10:20過ぎからの狂ったかのようにバンドが一体化して迫ってくるところが聴きどころ。二曲目の名曲”Crystal Silence”はファレルとの対話型で進行する刹那的な演奏が心に沁みる。打って変わって三曲目はプリムのボーカルを交えた明るい解放感で締め括られる。B面は、一曲目に改めて着地点が見えないがために引き込まれる作風と展開に痺れる。締め括りはジャズスタンダード曲となった”La Fiesta”のハードボイルドな展開。その世界観に惹き込まれるとあっという間に五十分弱が過ぎ去っていく。
プリムのボーカルやジョーファレルに寄り添って、ユニゾンやハモリを入れて絡みつくコリアのローズのメロディーラインが、耳障りになるどころか、独特のノリを生み出して刺激的に演奏が進展していくところが、コリアの演奏の真骨頂で独自の世界観を生み出している。
因みに本作は、チックコリア名義の”Return To Forever”となっており、本作で人気を博した後に、同メンバーでアルバム名のバンドを結成して活動を続ける。その名前について、コリアが語っている情報を見つけたので記しておく。
そこには、こう記載されている。
哲学的な内容なので、ちょっと無理して意訳してみると、恐らくこんな感じ。
尚、タイトル名が思想家ニーチェの「永劫回帰」を彷彿とさせるが、そちらは英語では、”Eternal return (もしくは”Eternal recurrence”)”と表記されている事と、上記のコリアの発言内容からすると直接の関係は無いように思われる。
本アルバムが名作になった理由は、コリアの作曲や編曲能力は勿論のこと、バンドの人選の巧みさにあると見る。演奏を聴くと、それぞれに独特の個性を持つメンバーが、ぶつかるようなストレスも無く化学反応を起こし、個の力が最大限に発揮された充実した演奏が伝わってくる。
収録スタジオは、コリアがピアノトリオ屈指の以下傑作を生み出したニューヨークのA&Rスタジオ。レーベルが変わったからか、テクノロジーの進化なのか、音質、特に空気感をも表現する解像度が同作から格段に向上して様変わりしていることが分かる。
因みに、アルバムジャケットの、かもめ(実はカツオドリらしい)の写真について調べてみると、Michael Manoogianというデザイナー兼写真家の方の作品。このアルバムも知名度が高いが、それ以外にもロッドスチュアートやビリージョエル、幾つか別のコリアのアルバムジャケットを手掛けていた。
特徴的なロゴが得意分野のようで、あの”We Are The World”(1985年)のロゴもこの方の手によるものだそう。スーパーボウルの象徴的なロゴも14回(1980年)、18回(1985年)と19回(1986年)を手掛けていた。
さて、コリアについては、晩年(当時77歳)のブルーノート公演(2019年4月)でクリスチャンマクブライドとブライアンブレイドとのトリオを観ることが出来た。コリアは全く年齢や衰えを感じさせず、手を抜くことなく全力で一寸の隙も無い見事な演奏を繰り広げ、かと言って独りよがりにならずに、世代の異なる敏腕リズムセクションと対話・調和して最善を引き出す力が秀でていて、当方がこれ迄に生で観たピアノトリオの中では疑う余地の無いベストの演奏だった。
最後に、コリアの演奏をもう少し味わいたい方は、こちらの欧州におけるピアノトリオのライブ作品をどうぞ。
素敵な週末をお過ごしください。
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