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【青年海外協力隊】大学院を中退した女子が青年海外協力隊に合格するまで

「日本で仕事するよりも他の国に住んで仕事してみたいな、なんとなく」
こんな漠然とした思いから全ては始まりました。


こんにちは、青年海外協力隊候補生(2024年2月現在)なべみです。

2024年1次隊 青少年活動隊員として、マラウイというアフリカの国への派遣が決まっています。

この記事では、
・青年海外協力隊に応募する前の記録
・青年海外協力隊に合格するまでの記録

を綴っていきます。


動機は「海外で働いてみたい」


青年海外協力隊になりたいと本格的に思い始めたのは大学院生(修士課程)の頃。
次の進路を模索していた時に見つけたのが「青年海外協力隊」でした。

博士課程進学か、日本で就職か、はたまた海外に飛び出してみるか…。

進路の選択肢って無限にありますよねえ。
選択肢が多すぎて迷いません?というか迷いすぎて一番無難な道を選んでしまうのが、人間の性とも言うべきか。

そんな数ある選択肢の中で「青年海外協力隊」は、私にとってただの進路の選択肢の一つでしかなかったのです。


「海外で働いてみた〜い」

こんな漠然とした思いを持っている人は少なくないのではないでしょうか。

私もその中の一人でした。

それもあってか日本企業のいわゆる「就活」というものに今まで真面目に取り組んでこなかった私。
通常だと就活は毎年3月頃から始まるものですが、私は就活のために何かをしたわけでは全然なく。
大学4年と修士2年(以下M2)で2回も就活のチャンスがあったにも関わらず就活をしなかったのです。

就活や企業における労働に対して、思うこと・感じることがいろいろあった結果、自然と「就活をしない」方向に落ち着いたのでした。

しかしM2の秋。
そろそろ次の仕事を探さないとまずいかなと思い、よっこらしょと重い腰を上げてとりあえず仕事を探してみることにします。
「就活をせずに何らかの仕事がしたい」なんて、ほんとこの世のものと思えないほど虫のいいことを考えていましたよ、なべみは。
社会を知らなすぎるし、無知もいいとこですね。ハハハン

「とにかく海外で仕事がしてみたい!」
「それか海外で仕事ができなくても、日本で英語を使ったり外国人がいっぱいいる職場を選んだりして、日本でも海外を感じられる仕事がしたい!」

という思いが強かったので、海外の在外公館での仕事など、いろいろ探して手当たり次第に応募していました。

しかし希望のポストで不採用だったり、採用されてもよくよく就労条件を見てみたら自分の希望と合わなくて内定辞退したりと、いわゆる「仕事探し」はうまくいかず。

そうこうしている間に、「JICA青年海外協力隊」の応募がスタートしていたことがたまたまわかり、海外で仕事をする選択肢の一つとしてとりあえず応募してみることにしました。

協力隊案件の決め手は「子供の教育」


海外協力隊は、膨大な数の案件があります。その中から自分のこれまでの経験を活かせる案件を探していきます。
(2023年秋募集の一般案件を探してみたら、なんと1969件も案件がありました。すごい!)

「子供の教育に携わって一人の人間の成長に貢献したい」
「大学院での学部生の授業アシスタント経験を活かした仕事ならできそうかも?」

この条件で案件を探したところ何件か良さそうな案件があったので、とりあえず3つに絞って応募。

応募から採用決定までの期間は12月〜4月末とかなりの長丁場。

その間の1月には、本業である大学院の修士論文(以下修論)を完成させて提出しなくてはならず、今思えば結構なハードスケジュールでした。

しかし事件はここで起きます。

大学院で心が折れたなべみ


なべみ、修論が締切までに終わらず留年確定。

大学院生の醍醐味である研究活動。
この肝心の研究が、実はM2の春頃からずっと止まっていたのです。

論文を書いても書いても自分の研究内容が指導教員に伝わらない。
そもそも私は自分のパッションや感覚で話をしたり文章を組み立てたりするところがあるので、逆に言えば読み手が理解できるような言葉回しを考えたり文章を組み立てたりすることは苦手でした。

それだけでなく「自分の研究テーマの本質がわかっているつもりで実はわからない。もうわからないから研究テーマ変えたい!」とM2の夏頃になって研究テーマを変えようとする暴挙に出そうになったことも。
(結局指導教員や周りの先輩方に止めてもらい、研究テーマは変えずに進めることに)

研究のゴールがわからないし修論完成のために今やるべきこともわからない。
先生に相談しようにも、何を相談したらいいのかわからない。
それに比べて周りの院生たちはどんどんと研究を進めていく。

そうこうしている間にどうしようもなくなって精神的に病んでしまいました。
でも病んでいることを先生や研究室の人たちに悟られれば、自分の唯一の居場所である研究室にはもういられなくなると思い、誰にも言えませんでした。
研究は進んでいなかったけど、見た目では何でもないかのように普通に過ごしていました。

そのまま研究が進まない日々が続いてしまい、とうとう修士論文の提出が間に合わなくなって留年が確定してしまいました。

M2の1月からもう半年ほど研究を続けて、M3の9月で修士修了を目指す、という選択肢もありましたが、心が折れた私に研究を続ける選択肢はなく、結局中途退学することに決めました。

大学院中退を決意 → 海外協力隊選考


なべみが大学院中退を決めたのはM2の1月末ですが、この時には青年海外協力隊の選考がまだ残っています。
研究を投げ出したからといって、次の仕事が見つかるまでは、まだまだここでしょげるわけにはいきません。

なんせ4月からの就職先がない無職まっしぐらの状態です。
大学院でうまくいかなかった以上、ここで挽回するほかありません。
メンタルがどうこうとか言ってる場合ではないのです。

修論がひと段落ついた1月末に、青年海外協力隊事務局から書類選考通過の連絡が入り(まじ奇跡)、2月と3月の2回の面接に向けて本格的に準備を始めます。

大学院の就職支援室に通ったりオンラインの面接練習を受けたりして、着々と準備を重ねます。

なんせ私は修士課程にかけたお金と修士号をドブに捨てた女。
自分の無能さに呆れて毎日泣きながらも、ほんのわずかの可能性を信じてひたすら面接練習の日々。

面接練習に毎日付き合ってくれる就職支援室のスタッフに叱責を受けながらひたすら練習練習。

そんなこんなで面接本番。
持ち前の「パッション」と、練習で鍛えた「他の人が理解できる言葉回し」で、自分の思いを一心に伝えました。
(私の一方的な話を一生懸命聞いてくれた面接官の方々に心から感謝🙏)

面接が終わってから結果が出るまで1ヶ月半。
その間は不安すぎて「もう落ちててもいいや〜さっさと別の仕事探そ」と半ば諦めモード。

ですがありがたいことに、結果として第一希望の案件でご縁をいただくことになり、アフリカのマラウイで念願の青少年活動に携われることに!
なべみ、ちょっと強運すぎました。

大学院生の期間中ずっと長いこと辛い時期が続いていたので、協力隊に合格したことで、今までの頑張りがやっと報われたような気がしました。
あの時は生きててよかったとさえ思いました。

私は「海外協力隊に絶対になりたい!」という、巷でよく見かけるとても強い熱量の持ち主ではありませんでした。
青年海外協力隊は、数多くある進路の選択肢の一つにすぎませんでした。

今はまだ派遣前の段階ですが(2024年2月現在)、協力隊候補生としての今があるのは、あの時にたまたま「青年海外協力隊」という選択肢を選んで、ダメ元でも応募してみた結果だと思います。

無職まっしぐらだった私に与えていただいたこのご縁を大切にし、与えられた職務を全うしたいと今は思うばかりです。

そして、たくさんの可能性に満ち溢れた現地の子どもたちの成長を見守り、マラウイの将来を担う人材が少しでも増え、マラウイがますます素敵な国になるよう貢献していきたいな〜と思います。


…といったところで、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました🙇‍♀️

はじめて書いたnoteの記事でした。
わかりにくい箇所などあれば、ぜひコメントで教えてください〜。
修正して、次回以降の記事の参考にします。

また次回もお付き合いいただければ。
では!

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