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映画『空白』(2021)ネタバレ有感想

作品概要

監督・脚本:吉田恵輔
キャスト:古田新太、松坂桃李、田畑智子、伊東茜、藤原季節、片岡礼子、趣里、寺島しのぶ 他

あらすじ

 ある日突然、まだ中学生の少女が死んでしまった。スーパーで万引きしようとしたところを店長に見つかり、追いかけられた末に車に轢かれたというのだ。娘のことなど無関心だった少女の父親は、せめて彼女の無実を証明しようと、店長を激しく追及するうちに、その姿も言動も恐るべきモンスターと化し、関係する人々全員を追い詰めていく。

感想① 役者の演技がすごい!

 役者の演技がとても素晴らしかったです。実力派の俳優揃い踏みの本作。

古田新太:個人的に映像作品よりも舞台の印象が強いですが、本作ではさすがの演技力を発揮。映像の中に映るだけで存在感と圧を感じる、“いる“というだけの演技に物凄い熱を感じます。

松坂桃李:近作に『孤狼の血 LEVEL2』(2021)がありますが、あれを“動“の演技とするならば、本作では“静“の演技。自分の意見を言えない様子や、とにかくアクションを起こさないようにしている中で、ジリジリと迫ってくる恐怖に追い込まれていく様子がうまく表現できていました。特に、つい弁当屋に声を荒げてしまうシーンは圧巻です。

寺島しのぶ:いずれも今年2021年の作品である『ヤクザと家族 The Family』『Arc アーク』『キネマの神様』などにもバイプレイヤーとして出演しています。正直、本作では主演の2人に次ぐほど存在感を放っています。冒頭から、松坂桃李演じるスーパーの店長・青柳にベタベタ触るおばさん役でかなりキツい(褒めてます!)のですが、それだけではなく“正しさ“や“善意“の強要。自分が悪いと思っていないからよりタチが悪い。添田を倒せるのはこの人しかいないと思えるほど、そのある種の狂気をわかりやすく演じられていました。


感想② 不寛容

 パンフレットを開くと、本作の企画・製作の河村光廉さんのコメントが載っていました。河村氏は2021年3月に発表された、「国連の世界幸福度ランキング、日本は56位」と、先進国G7の中で最下位だったことを紹介した後、以下のように述べています。

「政治社会の腐敗」や「社会的自由度の無さ」も一因ですが、特筆すべきは「寛容度が極めて低い」ことです。
(中略)
我々は、“生きづらさ“や“閉塞感“とも違う、「からっぽ=空白」な時代を生きているのではないでしょうか?

引用元 
河村光康,『空白』劇場用パンフレット,スターサンズ,2021.

 本作の主題は「不寛容」です。言い換えれば、「他人に興味がない」ということ。これによって人は対立し、次々に悲劇を引き起こしていきます。

・添田 花音への無関心によって家という居場所を失わせる。
・青柳 花音の万引きに行き過ぎた対応をし、間接的に殺してしまう。
・添田 花音を撥ねた乗用車のドライバーの謝罪を受け付けず、その女性は自殺する。
・草加部 同じボランティア団体に所属している若い女性のホスピタリティ精神の無さ(或いは少なさ)が許せず、チラシ配りに来るよう嫌な言い方で誘導する。
etc.

 この「不寛容」「無関心」は、人の一面しか見ていないとも言えます。例えば、添田は花音の家庭での様子しか見てこなかったので、化粧が好きなことや自分のことを怖いと思っていたことも、学校で浮いていたことも知りませんでした。一方で、添田も一見、暴力的で娘に無関心な怒りっぽいクソ親父と思われるかもしれませんが、物語終盤ではなんとか娘のことを理解しようと努力したり、藤原季節演じる野木を冗談言って笑い合ったり、そういう一面も描かれました。
つまり、この映画は決して善と悪、加害者と被害者で分けて考えさせようとはしていない。善人にも悪い部分はあるし、悪人にも善い部分はある。むしろ、物事に善いとか悪いとかはないんです。

本作では、野木というキャラクターによって添田の人間性が担保され、終盤の彼らのやり取りによって「あれ、添田って笑うんだ」「添田も被害者なんだよな」と、妙に感じてしまう。添田と青柳の間にいるバランサーとして野木が非常に上手く機能しています。

 他人に興味をもち、その人が悪いように見えても良い側面もあるかもしれない。悪いことをしているように見えても、その裏には何か理由があるかもしれない。理由がなくても、行いを恥じ、悔い、改めようとしているかもしれない。そうやって、人を理解しようとして、赦していかないと、結局不寛容の連鎖は止まらないのです。
 特に、作中でも描かれているようなメディアの切り取り。これにも注意すべきですね。この切り取りを使った良い例が、まさにこの映画の予告でしょう。

この予告を観た限りでは、添田がモンスターとなってずっと追いかけてくる映画に見える。しかし、しっかり最後は改心するし、彼には彼なりの愛はあった。この「添田を止めなければ」という感情が、映画がラストに差し掛かるにつれて薄まっていくようにできているのが、非常に上手いです。

感想③ 生々しい事故シーンと鬱展開

 内容はすごく重くて、特に花音の事故シーンは悲惨でした。トラックに轢かれるところを、カメラが真っ直ぐ捉えるんですよね。冒頭から鑑賞者の心を抉ります。
その後も、横暴で気性の荒い添田の行動に終始嫌な気持ちにさせられますが、添田以外のキャラクターも碌な人物がいない。こういう映画にはありがちなマスコミ・報道の切り取りや、寺島しのぶ演じるスーパーの従業員・草加部の善意の押し売り、学校側の生徒に寄り添わない態度など、人間の嫌なところが詰まりに詰まっています

感想④ 草加部というモンスター

 正直、一番嫌いなのは草加部ですね。冒頭、明らかに青柳に恋愛感情を持っている描写がありますが(腕を触らせたり、逆に腕を触ったり。軽くあしらわれ、悲しそうな表情を浮かべたり)、青柳が自殺をしかけるシーンでどさくさに紛れてキスするところがマジでキモかったですね。
 それは、彼がおばさんだからとかじゃなくて、あの状況で自分のことしか考えていないのが。彼女はずっと余計なことばっかするんです。自分もボランティア経験があるので、それ自体を偽善だというつもりはありませんが、でも人のために何かやろうというよりかは、人のために何かすることで、正しいことをしているという自負に酔っていて、ありがた迷惑であることに気がついていない。ああいうのが一番厄介なんですよね。

感想⑤ 様々な苦痛

 花音にとって、居場所はどこにもありませんでした。生徒は、居場所が学校、家族、友人くらいですが、学校では友達もいないので居場所がない、家ではあの添田しかいないわけですから、彼女にとっての安全基地がない。もちろん、化粧したいなんか口が裂けても父親には言えない。そういう環境が、子供を非行に走らせるのです。社会との接点がないなら、悪いことでもして作るしかないから。
 しかし、添田はそんなの認めたくない。なぜなら、そもそも万引きの原因になってしまったのは自分ということになってしまうから。彼が花音の部屋で見つけた化粧グッズを公園のゴミ箱に捨てるシーンは、ああこの人は真実が知りたいのではなくて、結局自分を守りたいんだけなんだと思わせるものでした。
 それでも、花音を撥ねた女性が自責の念で自殺してしまい、添田がその母親と対峙する場面で、彼の心情は動きます。自分と同じく娘を失ったのに、自分のように相手を責めない。むしろ謝り続けるその姿に、自分の行動を振り返ります。
 自殺した彼女はずっと謝らせてもらえませんでした。青柳も土下座をしますが、そんなの無意味だと一蹴されてしまう。謝るという行為自体に実利はないということを物語る一方で、彼女の死によって、謝罪(罪を償う)という行為は、加害者にとって非常に重要なのです。償えないというのは一種の罰です。その罪から一生逃れられなくなってしまうから。

感想⑥ 添田が感じたモヤ

 ラストで添田は改心します。前妻に強く当たってしまったことを謝罪し、娘を理解していなかったこと、向き合っていなかったことを悔います。そして、まだ謝ることはできないが、申し訳ない気持ちはあると青柳に言います。万引きしてたかもと思っているとも。しかし、青柳が花音に何かしたかもというモヤも残っている。
 このモヤ、実は我々鑑賞者にもあるんですよね。青柳は否定していますが、過去の痴漢疑惑についてはハッキリ晴れたわけではない上に、青柳が花音にスーパーの事務室で話すシーンも全く描かれない。つまり、青柳の行動は敢えて“空白“にされている。
 さらに、彼は添田に嘘をついています。彼女が事故死したところを細かく説明しろと現場に連れて行かれた際に、花音と青柳の距離感は結構あり、急に車道に出たと説明するのです。実際は歩道で腕を掴んだところを振り払ったところで車道に出たのに。
 そして、添田がラストシーンで着けていた花音のストラップを見て、過剰に取り乱して土下座して謝る青柳。明らかに不自然に見えてしまうのは私だけでしょうか?これもまた、青柳を完全に信用しきれない要因です。

最後に

不寛容、暴力性、責任転嫁、自責の忌避など、人間が根源的に持っているこれらの“空白“によって生み出される様々な悲劇を、怒涛の怪演と脚本で描く素晴らしい人間ドラマです。
しかし、人に勧められるものでも、好き好んで再鑑賞することも当分ないかなと思います。嫌いだけど好きです。

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