夢を見てるんじゃなくて

夢を見てるんじゃなくて、余白を追っているだけだった

漫画家になりたかった。漫画が1番好きだったから。でも、絵を描くのは上手くなかったから、なりたいと思ってから練習を始めた。好きでもない絵を練習したところで、全く上手くならずに諦めた。


小説家になりたかった。漫画より小説を好きになったから。絵が描けなくても、文章ならいけるんじゃないかと思った。「魔法のiらんど」に登録してケータイ小説を書いているくせに、「恋空」を読んでいるクラスメイトのことを見下しているような高校生だった。13歳から23歳まで、ずっと小説家になりたかった。そのくせ、新人賞にはほとんど出さなかった。満を持して出した小説は、箸にも棒にもかからなかった。

本屋になりたかった。本屋で生計を立てながら小説を書きたかった。もはやこの辺りは並行して夢を見ていた。一箱古本市に出たりして、ようやく行動を始めたりしたが、結局諦めた。

小説家も本屋もあきらめた頃、短歌を始めた。そして、歌人として売れたいと思い始めた。「売れたい」の内容はきっと具体的には描けていなかった。

そしてこの頃にはもう、私は私を信じていなかった。
私の夢も、私の本気も、私の感情の全てが、ただの現実逃避の手段なのではないかと疑い始めた。

夢は見始めるときが1番甘くて美味しい。

ここから努力して、その努力が実って、大きな仕事が舞い降りたり、人気が出たりするだろうと、いくらでも妄想は膨らんでいく。夢を追う自分の姿も、かっこよく思えたりする。
努力すればあれもできるようになるだろう、あれができるようになれば、あんなことも叶うだろう。

でも、そんなに上手く進むわけはない。

最初の頃は、新しい知識や技術を身につける段階がある。

憧れの人の模倣をして改めてそのすごさを知ったり、トレーニング法を試して、最初はできなかったことができるようになる感覚を味わったり。自分のスキルアップに活かすために過去の名作に触れたり。
この段階では、やることはいくらでもある。

でもある程度知識を得て、ある程度技術を身につけたとき、どこかで限界が見える瞬間がある。
最初の頃、ある程度努力と比例して伸びていったスキルは、どこかのタイミングで、簡単には伸びなくなる。

そして、ある程度技術を身につけたからこそわかるプロのすごさに打ちのめされ、自分はいくら努力してもここには辿り着けないだろうという感覚を味わう。

年数を重ねているのに何も結果を残せていない自分。思い描いた未来とあまりに違う結果。

たまに、「あの頃は俺も小説家目指してて〜」みたいな話をする人がいるが、「あのまま続けてれば今頃は〜」という論調で語る人のことを、私はあんまり信用していない。

ある程度年数を重ねたときに思うのは、どちらかというと「このまま続けても、無理かもしれない」ということだ。
そして夢を諦めたあとも、その感覚は残る。

夢を見始めたときに見える、ここから努力して、その努力が実って、大きな仕事が舞い降りたり、人気が出たりするだろう、という妄想ができるのは、自分の目の前に「余白」があるからだ。

結果を出さないまま年数を重ねると、この余白は現実に侵されていく。

〜年経ったのに大した作品を作れなかった自分、〜年経ったのに誰からも評価されなかった自分、〜年経ったのに技術が身につかなかった自分…「〜年経ったのに」という現実は確実に余白を埋め尽くし、夢を見る自分を圧迫してくるのだ。

だから、余白が1番大きい「夢を見始めた頃」が、夢を1番甘く味わえるんだと思う。

でも、甘く味わった夢を捨てて、次の夢を見始めて、それを繰り返せば、結果を残せず年老いた自分が残るだけだろう。

本当は余白が埋まったその先にも、新たな余白が生まれる。
きっと私はそれがわかっていなくて、余白を埋めるのが怖くてずっと逃げていた。
挑戦しなければ、「挑戦して負けた」という結果は残らず、「挑戦すれば勝てる」とイメージし続けることが可能だ。

でも現実は余白を圧迫する。
夢を見続けるためには、夢を何度も捨てては新しい夢を探すのではなく、小さな夢を叶えた先にある新しい余白を追うほうが良いのだろう。

1番大きな夢から逆算して、それに向かうためのステップを踏んでいくしかない。

たとえば自分の歌集を100冊売って満足したら、次は200冊とか、次は500冊とか、目標の数値を上げればいい。
数値の問題だけではない。
歌集を作る以外にも、新人賞を取りたいとか、短歌の連載が欲しいとか、いろんな夢を並行して追っても良いかもしれない。

5年間短歌をやってきて、小さな夢はいくつか叶った。小さいとしても、夢が叶ったのはたぶん初めてだった。
でもそれが叶ったら、その先を、その次を、新しい余白を求めてしまうだけだった。
夢の先に新たな余白があることを知らなかったせいで、私は夢からずっと逃げていたような気がしている。

余白がなくなるほど夢が叶うなんて、それこそ世界中のなかでもひと握りの人間だろう。
だから私たちは普通に、無難に、自分のできる範囲で良いから、段階を踏んでいけばいいんだと思っている。

未だに私は私を信じきれてはいない。
私の夢も、私の本気も、私の感情の全てが、ただの現実逃避の手段なのではないかと思う瞬間は、正直今もある。

これまで現実逃避のために利用してきた夢を、ちゃんと叶えることで、この疑いも晴れれば良いと思う。

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