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【読書コラム】79歳の母が72歳の父を殺した理由 - 『ママがやった』井上荒野

 瀬戸内寂聴と井上光晴の不倫をモデルにした小説の映画化『あちらにいる鬼』で、原作者・井上荒野さんが井上光晴の娘で、作家をやられていると知った。

 わたしは井上光晴の作品を読んだことはない。けれど、原一夫監督のドキュメンタリー映画『全身小説家』で凄い人だなぁと思った。なにせ、生まれ育った場所も、初恋の話も、経歴がひたすら嘘ばかり。そうして、死ぬまでモテて、モテて、モテまくり。この人は何者なんだろうと不思議で仕方なかった。

 癌になって亡くなるまでの姿がカメラに収められ、その後、生前の話がいかに嘘であるかを検証していく構成になっていた。ある意味、メッキを剥がすような作業で、死者に鞭打つような残酷さがある反面、井上光晴という生き様そのものが彼の作品だったのだと示す凄みにあふれていた。

 そのドキュメンタリー映画の中で、瀬戸内寂聴も登場し、なるほど、不倫関係にあったのだなぁと伝わってくる雰囲気に心打たれた。両者、ともに老いた姿で登場するし、病室で会っているところだったので、男女の関係が生々しく見えないためかもしれないが、いわゆる週刊誌に並ぶ「不倫」という言葉では説明のつかない関係がそこにはあった。

 きっと、そんな独特な雰囲気も含めて、井上光晴のフィクション世界だったのだろうと納得し、一視聴者として、わたしはその不倫を受け止めていた。

 だから、まさか、その不倫を娘の立場から小説として描かれるなんてことがあろうとは夢にも思わなかった。というか、井上光晴の女が作家になり、しかも素晴らしい作品をたくさん発表しているなんて、あまりにも出来過ぎた話であり、物語はまだ終わらないのだと感動した。

 ただ、井上荒野さんの作家活動は決して順風満帆でなかったらしく、小説『あちらにいる鬼』が出たときに行われた瀬戸内寂聴との対談でその頃の気持ちを明かしている。

瀬戸内 井上さんは、あなたが幼稚園ぐらいの時から、あの子は将来小説家になると言っていました。

井上 刷り込みですよね。(笑)

瀬戸内 初めてあなたの小説を読んだ時、ああ、これはすごいと思いました。その作品で、私が選考委員を務めていた「フェミナ賞」を受賞したんです。ご両親がとても喜んで。

井上 28歳の時です。ただ、そのあとの書けない時間が長かったのです。小説家として全然ものにならず、本当にダラダラして、恋人に依存して。

瀬戸内 病気もしましたね。

井上 はい。36歳の時にS状結腸がんに。当時、寂聴さんにはお手紙で打ち明けました。

瀬戸内 でも、私はね、必ず書くと確信していた。井上さんもそう思っていましたよ。

井上 父が亡くなる直前、私に「もう大丈夫だよ。ずっと書いていけるよ」と。根拠はまったくないのですけれど、自分に言い聞かせるように言っていました。

瀬戸内 結婚した頃からまた書き始めましたね。

井上 ええ、40歳くらいからようやくです。結婚がきっかけになりました。結婚式の時に寂聴さんは、「女流作家は幸せになったら書けないんです」って(笑)。でも私の場合はいい方向に働いたようです。父から「何者かにならなくてはダメだ」と言われて育ちましたが、それは本当に父の唯一にして最大の教育でした。小説が書けない時に、じゃ、結婚しちゃえとか、全然違うことをしようとは考えなかった。私ができるのは小説を書くことだけだと思っていました。父にちょっと感謝しています。

瀬戸内 井上さんが誰より喜んでいるわね。

婦人公論.jp「映画『あちらにいる鬼』公開 原作者と主人公のモデル対談」

 すごくいい対談だなぁと思った。父親の不倫相手とこんな風に話せるなんて、普通だったらあり得ないのではないだろうか。

 だいたい、父親が瀬戸内寂聴と不倫していて、娘がそのことをモデルに小説を書き、瀬戸内寂聴に読んでもらうという状況がかなりの異次元。しかも、瀬戸内寂聴は取材に全面協力し、内容を褒めているのだから、面白いにもほどがある。

 たちまち、わたしは井上荒野さんに興味が湧いた。どんな小説を書くのか、読んでみたくなった。

 で、買ってみたのが『ママがやった』という作品。

 キャッチコピーに惹かれた。

 79歳の母が72歳の父を殺した。

 これは気になる。

 ページをめくると、短編の連作になっていて、母が父を殺してしまったということで、子どもたちが集合し、あれこれ話し合うところから始まる。これが妙に明るいやりとりなので、殺人という重大な事件とのギャップが堪らない。なにせ、ママは高齢だから、刑務所に入ったらご飯とか困るんじゃないの、みたいな話をしているんだもの。

 そこから、父親をめぐるエピソードが時代を超えて、少しずつ描かれていくのだが、最終章でそれらが見事にまとまって、79歳の母が72歳の父を殺した理由が見えてくる。

 間違いなく、これはとてつもない傑作だった。

 そして、この傑作を書ける人だから、原一夫監督によってある種伝説化してしまった全身小説家・井上光晴に新たな光を当てることができたんだなぁ、とつくづく思った。




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