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【読書コラム】「切手」って実はめちゃくちゃ特殊で画期的な大発明だったらしい - 『世界一高価な切手の物語 (なぜ1セントの切手は950万ドルになったのか)』ジェームズ・バロン(著),髙山祥子(訳)

 お正月の空気は妙に澄んでいて、散歩をすると気持ちがいい。神社やお寺はいざ知らず、なんてことない住宅街の人出はかなり減っている。いつも以上の静かさがあたり一面、響き渡っているようだ。

 そんな中、ブウォン、ブゥオンとバイクの音が聞こえてくる。見れば、郵便配達の人たちがせっせっと年賀状の配達をしている。

 年賀状の発行枚数は十三年連続で減っているらしく、ネットが普及した世界で衰退していく文化なのは間違いない。実際、わたし自身、一枚も出していなければ、ほとんど受け取ってもいない。それでも、子どもの頃に刷り込まれたせいだろう。お正月といえば年賀状のイメージだけは未だに消えない。

 以前、年賀状の歴史について調べたことがある。明治維新で郵便制度が作られたとき、元旦の消印が人気になったんだとか。そのため、一月一日に配達物が集中。働く人たちの負担が大き過ぎるということで、対策として、年末から元旦の消印を押せる仕組みが作られたんだとか。要するに、これが年賀状である。

 それから、年賀状は風物詩のようになるわけだけど、一度、いまみたいに廃れる危機に陥ったことがある。戦争による物資制限で、年賀状の配達は不要不急と見做され、廃止せざるを得なくなったのだ。

 たいていの習慣がそうだけど、一度やめたら、なかなか再開しないもの。年賀状もまた例外でなく、戦後もすぐには復活されず、国民の多くも必要だとは思っていなかったらしい。

 ところが、あるアイディアによって、1949年に年賀状が大ブームとなる。

 お年玉付郵便はがきを発行したのだ。これによって、年賀状は年始の挨拶ができる上、ついでに賞品も当たるギャブル性を伴い始めた。端的に言えば、一石二鳥。たくさん出して、たくさん受け取ることにメリットが生まれた。結果、見事、日本の伝統のような雰囲気で文化として定着してしまった。

 だから、メールやLINEで挨拶を済ませることが可能になり、そこまでして景品が欲しいのか疑問になった時点で、ライトユーザーが激減するのは必然だったのだろう。なるほど、年賀状とは相当に考えられたビジネスであり、五十年、六十年と続いた時点で歴史的な大ヒット! 衰退を憐れむより、その凄さに学ぼうとする姿勢が我々には必要なのかも。

 令和六年の朝、年賀状を配達している郵便局員の背中が離れていくところを見ながら、そんなことが頭に浮かんだ。たぶん、それがスイッチになって、年末に川越の古本まつりで郵便に関する本を買ったなぁ、と思い出した。

 帰宅し、読み終わった本の山を探してみれば、それはあった。 

 とりあえず、昨日は『千原ジュニアの座王 新春SP』が放送される夜十時まで予定はなかったので、復習がてらダラダラとページをめくり始めた。

 内容としては「英領ギアナ1セント・マゼンタ」という世界一高価な切手がなぜ高価になったのか、歴史を紐解くノンフィクション。ぱっと見は単なる赤い切手なので、素人目にはどうして貴重なのか、さっぱりわからないのだけれど、説明を聞くとたしかに貴重なのだとよくわかる。

 まず、貴重な要素として、これがイギリスの占領地だったギアナで間に合わせで作られた切手であること。本来、イギリスから切手が届くはずだったのに、船が遅れて、ヤバいと焦った地元の郵便局が勝手にこしらえたものなのだ。そのため、この切手は公式記録に存在していない幻の逸品となっている。

 そんな事情だから枚数が少ない。ほとんどが消失し、残っているのはこの一枚だけだと考えられている。噂ではもう一枚出てきたことがまだあるらしいけど、熱心な切手収集家が二枚とも買い集め、そのうちの一枚を燃やしてしまったんだとか。理由として、「本物は一枚であるべき」と述べたらしいが、いかにもサイコパスな感じでワクワクする。

 さらに、オークションで競り落とされるたび話題になり、世界一高い切手というブランドがさらに人々の興味を惹きつけ、値段はどんどん上昇。ついには2014年、950万ドル(当時のレートで9億7千万円)で落札されるに至るわけだか、それまで手にしてきたオーナーたちのクセが凄くて、それぞれ映画化できるぐらい。というか、一人はすでに映画化されている。

 ジョン・デュポンという人物で、オリンピックのレスリングで金メダルを取った選手を殺害し、カンヌ映画祭で監督賞を受賞している映画『フォックス・キャッチャー』のモデルである。

 そんなわけで、『世界一高価な切手の物語 (なぜ1セントの切手は950万ドルになったのか)』という本には興味深いエピソードがたくさん載っているのだが、今回、わたしが読み直したかったのはより根本的な部分。そもそも「切手」とはなんなのか。いまや、当たり前となったシステムの起源について説明している箇所だった。

 切手を用いた近代郵便制度は1840年のイギリスで始まった。

 それまで、郵便は後払いで運用されていたらしく、受け手が支払い拒否することが問題になった。たとえば、手紙なら、表に必要な情報を短く記し、読むだけ読んで受け取らないということができたのだ。

 このままでは財政的に破綻してしまう。悩んだ末、前払いシステムに変えようとするも、「送る側の負担が増えるなんておかしい」と多くの反対に遭ってしまう。要するに、郵便局で重さを測ったり、送り先の住所から料金を割り出したり、支払いを済ませたり、面倒な作業が増えるため不評だったのだ。

 そんな中、教師だったローランド・ヒルが郵便のコストを計算し、重さを0.5に制限すれば、全国一律1ペニーで配送しても元が取れると証明。前払いを容易にする理論を確立させ、これを運用する上でジェームズ・チャルマーズという人が考案した1ペニーの前払いを意味する証書「切手」の導入が決定した。

 結果、郵便は前払いが基本となり、受取拒否がなくなったことでロスが大幅に減った。さらには「切手」自体のデザインを工夫することで、コレクションアイテムとしての価値も高まり、配達せずとも利益が出せるようになった。

 してみれば、「切手」とはめちゃくちゃ特殊で画期的な大発明だったのだ。

 いまとなっては当たり前だけど、こうなるまでにはいろいろな人たちの試行錯誤があったんだよなぁ、と改めて気付かされることが郵便にはあふれている。年賀状もそうだけど、古いの一言で片付けてしまうのはもったいない。

 考えてみれば、国の端から端まで網羅した仕組みがあるって、とんでもないことだ。小泉劇場で郵便は古臭いもので、民営化しなきゃダメだという熱気に日本中が包まれ、あっという間に二十年弱が経とうとしている。

 郵便とはなんなのか。今年は物流の2024年問題もあるし、ロジスティックスについて理解するためにも、そのあたりの歴史や思想、哲学について、ちゃんと勉強してみようかな。そんな決意を固めつつ、時間が来たので『千原ジュニアの座王 新春SP』を見た。ロングコートダディ堂前の替え歌が最高に面白かった。




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