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【時事考察】2023年の紅白を見て、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば

 2023年の大晦日の夜は紅白歌合戦を見た。毎年見ているわけではないけど、なんだかんだ、ここ数年は紅白を見ている。その中で感じことがいくつかあるので、とりとめもなく書いてみようと思う。なので、あやしうこそものぐるほしけれになってしまうかも。

 まず、なにより大きな変化はジャニーズが一組も出なかったこと。理由は言わずもがな、ジャニー喜多川性加害問題の表面化。郷ひろみは出ていたけれど、そこは例外なのだろう。例年、白組の三分の一ぐらいはジャニーズが占めていたので、別物になってしまうんじゃないかと危惧されていた。

 結果、ふたをあけてみれば、あまり違いは感じられなかった。もともと、去年からJO1とBE:FIRSTが男性アイドルグループとして出場していたし、穴を埋めるようにK-POPのSEVENTEENやStray Kidsが圧巻のパフォーマンスを披露していたので、なんなら迫力は増していた。

 とはいえ、それはわたしがジャニーズの熱心なファンじゃないから。割合、好きなKinKi Kidsが出ないことに、一応、寂しさを覚えてはいるので、これがライブに参加するレベルで応援していたら、かなり心にくるとは思う。なにせ、最初からジャニーズなんて存在していなかったかのような演出なのだ。

 各社報道にある通り、NHKとジャニーズに長年に渡る蜜月関係があったことを考えれば、出演オファーしない方針を打ち立てるにしても、本編で説明責任を果たす必要があったのではないだろうか。賛否両論はあるけれど、ジャニーズに所属していたアイドルたちは全員、広義の被害者なのは間違いないのだ。

 テレビ局や広告代理店で働く人たちと話をすると、旧ジャニーズタレントと交わした契約について、諸々、本当の意味で区切りがつくのは年度末、つまり、2024年の3月らしい。恐らく、今回の紅白みたいに、様々なところで最初からジャニーズなんて存在しなかったかのように、空いた穴は速やかに埋められていくはずだ。

 そういう意味でも、YOASOBIの『アイドル』は日韓の現役アイドルたちがコラボレーションを果たし、アイドル史に残る名シーンになったわけだが、そこにジャニーズが一人もいないのは2023年をあまりに象徴していた。

 放送後、外からぼんやり除夜の鐘が聞こえてきた。その音色はいかにも諸行無常の響きを携えていた。

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

『平家物語』冒頭

 なお、ジャニーズが際立っていたけれど、紅白がしれっと排除しようとしているジャンルは他にもある。そう、演歌だ。

 近年、演歌歌手の出場が減っていることは周知の通りだけれど、その演出がどんどん雑になっている点は注目に値する。

 例えば、天童よしみと山内惠介は中継で歌唱した。それだけ聞くと特別感があるけれど、実際の映像を見ると背景がゴチャゴチャしていたり、芸人とコラボしていたり、正直、歌を聞かせるつもりは感じられない。それは恒例となった三山ひろしのけん玉チャレンジも同様で、今回は水森かおりもドミノチャレンジを行うなど、演歌をBGMとして使う演出が際立ってきた。

 恐らく、新たなヒット曲が現れないため、視聴者ターゲットの若返りを図っているNHKとしては演歌を可能な限り切りたいのだろう。しかし、紅白と言えば演歌というイメージは未だに根強い。

 そんな葛藤の中、苦肉の策で生まれたトリッキーな手法が演歌のBGM化なのかもしれない。

 なお、いまもカラオケランキングで上位に入り続けている石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』だけは歌に集中できる撮り方をしていた。なんだかんだ言って、名曲の力は否定できないということなのだろう。してみれば、演歌のベテランをクビにしてきた紅白の選択は正しかったのか、改めて、検証すべきときが来たのかもしれない。

 とはいえ、新旧の歌手が勢ぞろいする紅白は面白かった。ちゃんと歌詞が字幕出てるため、世代によって扱う言葉の傾向がガラッと変わることも確認できて、非常に興味深かった。

 間違いなく、J-POPのボキャブラリーはどんどんレベルが上がっている。Mrs. GREEN APPLEやOfficial髭男dism、緑黄色社会、あいみょん、YOASOBI、Adoなどなど。2020年代の音楽シーンを代表する面々は言葉の音と意味を巧みに組み合わせ、かつ、客観的に現象を描写していく。そのため、ありふれた出来事を歌うことはない。

 対して、ゆずや福山雅治、Superfly、MISIAなど、2000年代の人たちは一人称や二人称を多用し、とにかく共感を重視している。極めつけは秋元康が作詞した欅坂46の『Start over!』と乃木坂46の『おひとりさま天国』だろう。最先端なサウンドに反して、いったい誰の気持ちを歌っているのか、不明な歌詞が空回りしていた。

 むかしはCDが売れ、とりあえずみんなでカラオケに行く文化があったから、誰でも歌える曲に需要があった。基本、僕が君のために歌っていれば、漠然とみんなの気持ちに寄り添えた。結果、ファイナンシャルプランナーが提案する平均的な人生をモデルに、様々な歌詞が作られてきた。

 しかし、いまや、音楽はネットで個人的に聞くものになってしまった。存在するのかわからない曖昧な誰かの気持ちを歌ってもバズらない。どんどん、求められる内容がニッチかつ高度になっている。

 それぞれを別で聞いているときには気がつかないけど、紅白のように並べられると比較ができるから面白い。

 時勢を反映し、平和を祈る歌が多かった。ゆずと福山雅治はジョン・レノンの『イマジン』みたいに単語を羅列する形で多様性を表現していた。

虚無 悪
幸 不幸
滅 罪
想像 愛

ゆず『ビューティフル』

善と悪とを 生と死とをね
乗せてこの地球
今日も急いで
うちに帰ろう ごらん夕焼け
綺麗と思える 小さな世界で
泣いたり 笑ったり
食べたり 眠ったり

福山雅治『想望』

 いわゆる相対主義というやつで、唯一の正解があるわけでなく、立場や価値観によって、それぞれに異なる正解が存在するという考え方だ。この発想に立つと戦争は正義と正義の衝突になり、戦争自体が悪と規定される。

 第二次世界大戦以降、日本はこの発想に基づけば、おおむね平和を語ることができた。相対主義は加害者と被害者の両立が可能になるため、復興を目指す敗戦国として非常に都合がよかったのだろう。

 たが、第三次世界戦の様相を呈し始めている現代において、もはや相対主義は通用しなくなるかもしれない。ウクライナ侵攻について、日本はロシアの隣国として態度を決めざるを得なかった。もし、台湾有事が起こったら、より深刻な決断をしなくてはいけないはず。

 これまでの平和を歌う姿に心を打たれつつ、それが通用しなくなっている時代の変化に不安を覚えた。ただ、新しい世代のミュージシャンたちの言葉選びには希望を感じた。

 他にも、すとぷりの出演方法は斬新だったとか、NewJeans半端ないとか、けん玉を失敗しちゃった16番の人は気を落とさないでほしいとか、ポケビとブラビはやっぱり最高だったとか、気になることは無限にあるけれど、切りがないのでこんなところで。




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